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下巻はフェイスブックでの日々が中心
モバイルの世界とウェブの世界はこと広告に対しては大きな差異があるそうだ。ウェブの場合はクッキープールを介して様々なパブリッシャーがユーザーがどのような行動をしているのか把握できるのに対し、モバイルの世界ではクッキーがアプリ毎に隔離されているため、ユーザーが他のアプリでどのようなことをして、どういう関心を持っているかということがうかがいしれない。そのため、入り口で課金(ダウンロード一回400円のような)するなどマネタイズに関しては進んでいる。モバイルで広告によって課金しようというアプリはそもそもそれだけの人気がないものばかりだという。
2012ころからプライバシーの問題がやかましくなってきており、モバイル的な作りのフェイスブックにとっては幸運な状況だという
ただ、著者自身は毎年のようにギャンブルを繰り返し、大きな当たりが出ればよし(フェイスブックにとってはインスタグラムやワッツアップの買収)、出なければ急速に会社が衰退していくというシリコンバレーの流儀に疑問を感じたこともあり、四年間(ストックがボーナスとしてつく)を過ごして退社しているが、IT長者というほどのものにはなれなかったという
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「サルたちの狂宴」読んだ、いやーおもしろかった! http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000013898/ … わたしは内輪受けかもだし内容はもう古くなってるけど著者の教養と知性に圧倒されるだけでも読む価値あり。うちのことをごちゃごちゃ言ってる何もわかってない(からこそ言うんだろうけど)人たちはこれ読むといいよ(おわり
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上下巻の話で、上巻は著者がゴールドマンサックスの金融業界から、シリコンバレーのIT業界への転身。
さらにベンチャー立ち上げ。資本金の獲得からTwitter社に売却までを描く。
Twitterへの売却は会社の身売りというよりも、会社ごとの吸収合併。
著者もCEOな訳なので、当然にTwitter社に転籍するはずなのに、そこを裏切ってFacebook社へ転職。
下巻はFacebookの広告マネージャーと転職してからの、Facebook内の広告の仕組みの杜撰さ、そこを改善するために社内政治に巻き込まれながら奔走する様子が描かれる。
本書は業界の内幕だけでなく、所詮自分自身も「サル山サル」であることを揶揄しての物語が展開さていく。
シリコンバレーのエンジェル投資家とベンチャー企業との関係性。
ほとんどは人脈と言われるが、逆にどうやって人脈を築き、事業をプレゼンし、資金を提供をしてもらうか。
そんな様子もざっくばらんに描かれる。
タイトルの通り、その様子はカオスであって、秩序がある訳では決してない。
サル山の掟は確かにある。しかしそれは統制が取れているものではない。
暗黙のルールを守らないと業界内では決して生きていけないのは確かだ。
だからと言って、おとなしくしていても一歩も前には進まない。
むしろ搾取され、むしり取られて自分が損をするだけだ。
そうならないためにも、時にはハッタリをかまし、騙される前に相手を騙し、違法スレスレのところでヒリヒリと神経をすり減らしながら生き残りをかけて戦い続ける。
読み進めていきながらその様子を想像すると、シリコンバレーとは本当に競争が激しいところだと感じる。
日本のように同質性がある訳ではないので、様々な人種がひしめき文化も異なる人たちの中で、誰を信じて誰を敵と見做すかは、相当に難しい判断だ。
裏切りそして裏切られの世界の中で、まさに生き残るために最も大事な人生の選択は「人を見る目」なのかもしれない。
この物語はシリコンバレーの成功譚ではない。
著者はかなり恵まれた方だとは思うのだが、本書は貧乏人がのし上がって成功したという立身出世物語ではないところが特徴だ。
金銭的にも比較的赤裸々に記載しているが、ベンチャーの売却による利益やFacebookのギャラや持ち株を含めても数億円の収入にはなっているようだが、これもシリコンバレーでは大成功とは言えないようだ。
本書を読むと日本との物価の違いも相当に感じる。
サンフランシスコに家族が住める一軒家を買うならば、2~3億円はかかる。
そもそもの生活コストが相当に高いのだ。子供がいれば、子供の大学までの学費で日本の何倍なのか。
(冗談でなく10倍くらい違うのではないだろうか)
サンフランシスコ、そしてシリコンバレーだからという特徴かもしれないが、日本が相当に暮らしやすく、世界的に見ても生活コストが相当安いということを改めて感じてしまった。
下巻のFacebook編は主に社内政治の話なので、ここは日本のサラリーマンとしても共感できる点はあるのかもしれない。
どこの世界でも上司と部下の関係性は似たようなものかもしれない。
カリスマCEOと何も持たない部下を比べたら、どちらを向いて仕事をするのかは明白だ。
Facebookという企業でも縦割の弊害は記載されている。
それも当然だ。
人種も様々で、隣の人間も敵か味方か分からない状態で、組織を超えて仲良くなろうなんて思わない。
関わらない方が得と思うのか。
外側にも味方を作った方が得と思うのか。
つまりはすべてが個人の損得勘定で判断されていくということなのだ。
組織全体の得とか、会社全体の得とか、さらに言うと「徳」という目線では決して判断されないということなのだ。
人間の本性はなかなか変わらない。
今でもシリコンバレーの狂宴は続いているはずだ。
その狂宴が世界のスタンダードになっていくのかは分からないが、いずれにしても楽に生きていけることではなさそうだ。
これからの世界を生きていくには、覚悟が必要というなのだろう。
生き残りたければそうするしかない。
(2021/5/15)
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著者のFacebook(、Twitter)時代を描いた下巻。
Facebookの中身はどうなっているのか詳細に語られている。Facebookの企業文化によって著者のプロジェクトであるFBXがなかなかうまく進まない点にはやきもきさせられた。FBXの顛末を考える余計に…。
上巻に続いて描写が細かく、専門用語や裏事情には具体例を交えて捕捉されているのでかなり感情移入してしまった。
学生の身で読んで十分楽しめたが、社会経験を経て読んだら見えてくるものも違ってきそうな予感がする。
またいつか再読したい本である。
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【感想】
上巻と下巻を両方読了。「華々しい世界ってわけでもないんだなぁ」というのが率直な感想だった。
シリコンバレーは一言で言うと「カオス」だ。なんでもありの無法地帯。勤めているエンジニアはスマートとは程遠いテックオタクの集まりであり、プロダクトとコードにしか興味のないギークが、今日もドタバタと社内を混乱させている。
シリコンバレーのエンジニアというと、世界一の頭脳職である。それゆえお洒落なオフィスで優雅に働いているんじゃないかなぁと想像しがちだが、それが全くの幻想だということをわかりやすく教えてくれた。
「社内のどこへ行っても、情緒面で不器用な若い男のギークたちであふれている。そのなかにおそらく一割ほどだろうか、若い女性がぽつぽつとまぎれこでいる。さて、どんな間違いが起き得るだろう?性的にも法的にも地雷がたくさん埋め込まれたこの状況で、フェイスプックはいちいち細かな決まりを設けて取り締まるのでなく、基本方針を一つ定めるやりかたを選んだ。言葉を選んで、しかしはっきりと、人事部の男性社員はこう言った。同僚を一回デートに誘うのはOK、だがノーと言われたらノーであり、それ以上誘ってはならない。一度誘ったらそこまで、それ以上やると制裁の対象になる、という」
「絵心などないギークたちが、人生で初めて白いまっさらな壁というキャンバスを前にして描きはじめたのは、線と丸だけで描いた悲哀の感じられる人間の絵に大きな吹き出しがついて、フェイスプックの社風をネタに笑えないジョークをつぶやいている。つたない花や動物の絵は、三歳児が描いたなら親だけは「上手ねー」と言ってくれるであろうレベル。
週末、ザックはふたたび全社あてのメールを発信した(あるいはフェイスブックの全社員向け社内グループに投稿したのかもしれない)。要点はこうだ。「みんながアートを創作してくれるものと信じて託したが、やってくれたのは破壊行為だ」まあ事実そのとおりだった。オフィスは今や世界でもっとも前途有望なIT企業というより、ミッション地区の路地裏にしか見えない。いや、それ以下だろう」
とまぁ、やっぱり人には「コード向き」「アート向き」が存在し、社交的か内向的かも人によってバラバラなのだ。そして、この「どこもかしくも変わった人間がいる」というのがシリコンバレーの強みであることは間違いない。
そんなモンキーたちばかりの世界で、筆者は超がつくほどのエリートだ。3人の仲間でスタートアップを立ち上げ、歴戦の投資家たちと手ごわい交渉を重ねながら資金を獲得する。3人のチームで開発した「アドグロック」をツイッターに売却し、自身はフェイスブックに入社。FBXというアドエクスチェンジを開発した後、Facebookを去っている。
とても順風満帆な人生……とならないのが本書の面白いところ。
筆者の生活は、スタートアップ時代から一日16時間にも及ぶ仕事、仕事、仕事の連続。アドグロックを立ち上げた仲間とは裏切りに近い形で袂を分かち、子どもをもうけたパートナーとは離婚。養育費がかかったストックオプションの受け取りに気を揉みながら、最後は組織に潰���れて事実上のクビ宣告を受ける。自身はフェイスブックでの社内政治に巻き込まれたあげく会社に捨てられ、かつての仲間はツイッターでのどかに暮らして多額の報酬を受け取っているという、何とも皮肉な結末で終わるのであった。
こうした恨みもあってか、筆者のフェイスブック評はなかなか辛辣だ。
「フェイスブックには、本気で、本当にもう心底から本気で金のためではなく、大人も子どもも地球上のすべての人が青枠に縁どられたフェイスブックのページを見るようになるまでたゆまず進むのだと心底本気で思っている人間が大勢いる。これは考えてみると単に欲得で動くよりもよっぽど怖い。欲深い人物はかならずなんらかの値で買い上げられるし、どんな動きをするか予測がつく。でも本気で狂信的な人間はどうだろう?どれだけ金を積んでも落ちないし、狂気の構想のもとで自身も周囲も何をするかわからない。これが、マーク・エリオット・ザッカーバーグという人物と、彼が作り上げた会社の姿なのだ」
「フェイスブックは方針も雰囲気もナポレオンが支配した帝国に似て、宮廷政治の例にもれず、周辺でさまざまなはかりごとやドラマが繰り広げられる。皇帝に近い位置にいれば、それがすなわち組織におけるその人の力になる。フェイスブックを支配する青年皇帝の目の届く範囲に入り込めば、そうと明言しなくても担当プロダクトに最高レベルの恩恵を与えられ、会社の後押しが手に入る。エンジニアを割り振られ、ほかのプロダクトを中断したり押しのけたりしてもらう優遇を受け、何より自身が宮廷のような帝国のなかに定位置を確保できるようになる」
本書は、こうした筆者のウィットに富んだ皮肉がなんとも痛快で面白い。また、IT業界における内情暴露だけでなく、スタートアップがいかにして資金調達に奔走するかや、インターネット広告がどのように収益を上げ(どのようなロジックで広告主から利用料を取り)、それがどうやってユーザーの注意を引きながら欲しいと思うアイテムに手を伸ばさせるよう設計されているか、などが詳細に語られている。デジタルマーケティングの手法部分も併せてとても読み応えがある作品だ。
ただし、エッセイとしては内容が相当に難しい。デジタルマーケティングの経験者、そしてスタートアップの立ち上げと資金調達の経験者でないと理解が追い付かないところが多々ある(実際、私は大部分がチンプンカンプンだった)。業界の実情をふんわり味わう読み方もアリかもしれない。