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書店で発見し、即入手。本書も何度か繰り返し読んでじっくり考察する本になる。氏の本は自身が言うようによくわからん、ところが所々ある。が、何度か繰り返して読むと、ある時急に、「もしかしてこういうこと?」→「こういうことか!」という発見につながる。これが数学の問題が解けたような感覚で一種の快感となる。本書もその点で面白い気がする。現状まだ半分もわからん状態だが・・・。
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知性について書いたというのが、本書。
知性とは、『勝つこと』、『勝ちに行くこと』ではなく、『負けない』ための力と論理は展開される。著者独自の論点で展開される『理屈』は、かなり入り組んでいる。強い人は反発を覚えるかもしれないが、社会の傍系を歩いている自覚のある僕には、なんの抵抗もなく受け入れられる。
注意深く、著者の言わんとすることをすくい取り、咀嚼しようとするため、頭の中の一部で小型モーターが高速回転しているような、ちょっと変わった読書感覚でした。
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少し前から、「負けたくない」「負けない」という声が心のどこかから響いてきて、誰に?何に?と不思議に思っていました。 -> 続きはブログで
https://higetama.blog.ss-blog.jp/2020-08-29
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答えを自分の外にも求める日本人が多い。
教養主義は範囲の線引きをしやすい。ここまでは教養といえる、ここからは教養といえないというような。その結果マニアが生まれる。そして排他的になる。選り好みしないでなんでも認めよう。
謙遜して自分はまだまだだということを認めつつ、答えは、自分が決めるものだから、周りに追いつこうとしないで、普段は周りがどうということを気にせず、万が一やばいってなったら自分の尊厳を守るため踏ん張りたい。
なんかの本を読んでも、それを丸呑みして考え方をガラッと変えるのではなく、量をこなしながら気長に考え方を変えていくって感じが必要かな。そのためには時間と量が必要。焦らない。身に染みてはいない知識を振りかざして、知ったかぶりをする赤シャツにならないように。かといってそんなのいらねえよと最初から拒絶する坊ちゃんにもならないように。時間が必要。
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知性がなぜ負けているか流行らなくなったか、現代の受験システムや流行から考察し、昔の知性はどのようだったか教えてくれた。
知性のついになるものとして教養主義があり、教養主義は範囲を限定し、役に立つものを覚えることを重視するため、自分の頭で考えることにはならない。
結局は自分にとっての問題を見つけ、自分の頭で考える、その結果、知性は負けないという言葉が自然と導き出されるんだなぁと思った。
教養は知識をひけらかすためにあるんじゃなく、自分を成長させる、つまりいろんな見方や考え方があることを学ぶということが主眼でなければならないのだなと思った。
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まずは「知性に関する本を書いてくれ」という依頼から始まり、「勝とうと無理に思わず、負けないためには何が必要か」という観点で話が展開している。結局は「良く考えること」であり、そのために普段から自分の意思で考えることが重要…といったことを分かりやすい言葉を使ってやや分かりにくく説明している。
例えとして夏目漱石の「坊っちゃん」「吾輩は猫である」を引用しているくだりは面白かった。改めて言われると「そういう話だったのか」と思ったのと、共にインテリ階級であるはずの夏目漱石も筆者も、どこか斜に構えてインテリ達を皮肉っている。漱石を引用してきたのは、筆者が少なからず影響を受けているのかと思うと興味深かった。
一種の啓蒙書のような本。ライトなくどい言い回しは多少気になるが、時に歯に衣着せぬ言葉(現実が、そうだから)を使いながらも本質は突いている。
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知性とは「負けない力」であるという著者の考えが開陳されている本です。
現代では「負けない力」ではなく「勝てる力」の実効性・有効性が求められており、そのために「知性はもう負けている」と著者はいいます。そのうえで、役に立つか、立たないかという基準を絶対的なものとみなすのではなく、「なんの役にも立たない」と思われているもののなかに、複雑なものを見いだすことこそが知性であるという主張がなされます。
前半は、日本における教養の変遷を概観する議論が中心となっています。近代以降の日本では、すでに西洋において正解が存在しており、それを追い求めることに注力してきましたが、そのやりかたがもはや有効性をうしなったということが論じられています。
こうした意見は、それほどオリジナリティのあるものではなく、くり返し語られてきたことではありますが、そこから著者は一歩進めて、「自分以外の他人の中に存在する知性」を認めることが重要だという意見を提示します。養老孟司であれば、このことが認められず、自分の思考習慣から抜け出せないことを「バカの壁」というところでしょうか。著者は、養老の論じているような「バカの壁」から脱することができない状況に陥らないために、謙遜の意味をあらためて問いなおし、さらに「世界はもう完成している」という思い込みをみずから点検するという方法を提示しています。
養老孟司、池田清彦、内田樹、橋本治の四人の思想には、ある種の構造主義的な発想が存在しているようにわたくしには思えるのですが、本書では橋本流の構造主義的な考えかたが比較的ストレートに語られているように感じられます。