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中谷彰宏さんの「なぜあの人は『教養』があるのか。」を買いました。
内容を一言でざっくりと話すと、「教養を身につけるために、芸術を学びましょう」ということが多く書かれているように思います。僕は芸術にはそれほど興味はありませんでしたが、中谷さんから言わせれば、「芸術を面白く感じないのは、芸術について学んでいないから」ということのようです。
確かにそのとおりかも知れない。僕も美術館に行ってみようかな(笑)。みなさんは芸術を学んでいますか?
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教養とは全体を把握した世界観。体系的な知識と同様に圧倒的な体験が必要。基礎が大切。
教養の勝負は古い作品にある。
セオリー、理論を勉強する。
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具体的にこうすれば教養がつきます!ということはあまり書いてない。教養論って感じ。
例文は違えど要するに同じことを言ってる項目が多い気がする。
すごく極端な考え方。なんか日本語も読みにくい。
最後の一文でなんとかまとまってるかなあ。
タイミングじゃなかったのかも。
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最近Twitterの例の件で教養がないと叩かれてたのを見て、そもそも教養って何だろうと思い、本棚に眠っていたこの本を取り出して読んだ。
シンプルで簡潔なのですぐ読破した。
学びが多くハッとさせられることが多くこの本に出会えてよかった。定期的に読み返したい。
常に知的好奇心を持って体形的に勉強していきたい。
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読みやすかったけど残酷。自分にいかに教養がなく、また今から到底身につけられるものではないことが突きつけられた(笑)でも、まぁそういうものなんだなと割り切って自分は自分が身につけられる精一杯の教養を身に着けようと思う。
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宗教みたいな気持ち悪さを感じた。
というのも、この本では「教養とはこのようなものである」という定義がはっきりなされているわけではない。
「世界のトップはこういったことをしていて、教養がある」「京都ではこういったことがされていて、教養がある」など、「著者が教養である」と認めたもののみが教養とされているように感じた。
この本を読んでから気づいたことだが、結局この傾向は「教養」について述べているどの本でも同じ事象が発生するのだろう。
私がするべきだったのは、「教養の身につけ方」について解説しているような本をタイトルだけ見て読むことではなかったのだろう。
そうではなく、「この人には教養を感じる」「私はこの人のようになりたい」というロールモデルを見つけて、その人の書いた本を読む、もしくは話を伺うということだったのだろう。
一つ学びがあるとするならば、(上で記述したことと重複するが)、「教養・一流とは一流の人からしか学ぶことが出来ない」という点。