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うーん、ちょっと帯であおり過ぎかなぁ。帯のあおりと物語の雰囲気で叙述トリックであることはすぐにわかります。なので、個人的にはラストで驚愕!とはならなかったです。
良くできてるけどね。
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「私を知らないで」を期待しつつ読んたが、時系列と人物描写が混在していて読みにくい。ここまでわかりにくくする必要があるのか…
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転校生の女子高生。何やら理由ありの模様。
女子が、俺とか使うとだいたいあの手だとわかってしまうわけで、
まぁそうだろうなぁという結末になるのだけど、それぞれの視点から
描かれた修学旅行の話は、いずれも面白かった。
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修学旅行を舞台にした「ぼっち」達の群像劇ではクラスの誰にも認識されない孤独な片思いが交錯する。
青いロマンチズムを含んだ、自分を変える片思いが。
不干渉な日々の最後に握りしめた他者との繋がり。
決して綺麗じゃない涙。
整っていない青春。
不揃いな場所から始めよう。
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クラスで爪弾き者のお話という点が「私を知らないで」を想起させられ、あれが個人的にはとても良い作品という記憶がある(読んだのは6年も前で、かなりおぼろげですが……)ので、本作にもちょっと期待を抱いて読んでいました。
「私を〜」と違って本作は群像劇になっており、特に第二章の舞妓の話は主人公の一途さに共感と同情させられ、かなり引き込まれました。ただ第一章の設定と齟齬があり、どうも時系列的にトリッキーな作りになっているのではと感じ始め、以降は登場人物の心情などより、どのような仕掛けがあるのかが気になってしまいました。
その点に関しては、最終章で納得のできる種明かし(ちょっと強引なところもありますが)があり、なかなかに面白い作りの小説のように感じました。
ただ、登場人物への共感という点では、二章の舞妓以外では宮下と志村の話くらいで、他は可もなく不可もなく。タロットに至ってはただ腹立たしいキャラでしかなかったため、トータルでプラマイゼロな印象となりました。
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「自分の力で運命を切り開くには、先ず一度運命を受け入れなくちゃならねーってことを知らない奴が多すぎるんだ」
『久米先生が無言でハンカチを渡そうとする。でも私はその手を払った。やめて! そんなことしたら本当に慎次が死んだことになっちゃう。泣いたら泣いた分だけ慎次が死んじゃう。』
『慎次となら何時間でも一緒にいられた。苦痛を感じずに同じ時を過ごせる唯一の存在だった。慎次は『夏休みに溺れ死ぬ』というベタな死に方をし、私は『失って初めてその大切さに気付く』というベタな認識をした。どっちもどっちの馬鹿な姉弟だ。』
「自分の気持ちに嘘をつくことが癖付くと、人生で何も手に入れられなくなるぞ。素直になれよ。当たって砕けた方が利口だ。砕けた分だけ強くなる。次に砕けても粉々にならないで済む」
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京都への修学旅行中に起こる「ぼっち斑」メンバーと、曰く付き転校生それぞれの物語。
甘酸っぱい青春群像劇&連作短編集・・と思って読み進めていたら、所々に違和感を感じ、少し読みにくい箇所も。
最後に違和感の正体が判明。
そうか、これはミステリー小説だったのか。
もう一度読み返すと大分スッキリするのだろうけれど、時間がなくて断念。
白川三兎さんの他の作品も読んでみたい。
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善意は回るものであり、回すもの。一つ一つのエピソードに心温まる。その上、最後に視点がガラッと切り替わり、ほっこりと衝撃と、二重に楽しめる作品。
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クラスのカースト最下位に属する「ぼっち」達を描いた連作短編集。
ミステリとわかって読み始めたのに、途中青春小説として面白くなってきて、忘れた頃にラストで衝撃的を受けた。「そうだった、これミステリだったよ!」という、阿呆ながら純粋な驚き。
当たり前だけど、カースト最下位のぼっち達にもそれぞれが主人公の物語がある。私は久米先生が実は生徒思いだったことがわかる「重なる生徒」が好きだわー。
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ラストにとんでもないどんでん返しとあるが
本書ではそんなこと二の次であろう。
登場人物達が本名で呼ばれない、2章からもう
違和感がある。
何かがあることは必至なのだ。
大事なのはぼっち達による青春群像劇の方だ。
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いつも衝撃的などんでん返しを見せてくれる作家なので、注意深く読んでいたが、違和感を何度も覚えながらもその正体はつかめないまま読み進めた。
少しずつ全貌が見え始めたところで一気にすべてが明らかになる瞬間は圧巻。
登場人物の人数がおかしい、旅行の日程がおかしいということには気づいていたが、今話しているのは誰なのか勘違いしてばかりだった。
ミステリとしての構成のうまさが光る一方で、物語の深さはこれまでの作品と比べると浅かった。
やはり群像劇でそれぞれのキャラクターを深掘りするのは難しい。
逆境に負けない芯のあるヒロインが登場しなかったことも残念。
私がこれまで読んだ著者の作品の中ではこれは初めてのことだ。
第六章の語り手の心境の変化にもあまり納得がいかなかった。
手代木麗華をもっと物語の中心に据えることができれば違っていたかもしれない。
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欧米の「罪の文化」に対し、
日本は「恥の文化」だと聞いたことがあります。
どうやらルース・ベネディクト「菊と刀」
にその説が述べられているようです。
よく聞くタイトルですが、
残念ながらまだ読んだことはありません。
学校の教室において最も恥ずかしことは何か?
「ひとりぼっち」になることかもしれません。
給食やお弁当を一緒に食べる人。
体育の時間の二人組をつくってという号令。
遠足や修学旅行の好きなもの同士という班分けの地獄。
授業にも休み時間にも課外時間にも、
「ひとりぼっち」の恐怖は、そのリスクは、
たえず付きまといます。
あの人アタマ悪いんだ!はなぜか許せても、
あの人友だちいないんだ!はなぜか深く傷つきます。
恥の意識が働くからかもしれません。
だから皆「ぼっち」にならないように、
必死に予防線を張ります。
いざという時に孤立しないよう、
グループを形成し仲良しの証を交換し合います。
もちろん自然に友だちをつくれる人もいると思います。
気の合うもの同士が
自然にグループになることもあると思います。
でも「ぼっち」になりたくないがために、
つくられるグループや友だちもあるように思います。
爪弾きにされないために
興味のない話題に話を合わせ、
楽しくもない会話に相槌を打つ。
誰しもそんな経験をしたことがあるのではと思います。
作者の白河三兎さんは、
そんな苦労を人一倍してきたのではと思わせます。
彼女は声高らかに「ぼっち」を応援します。
教室で孤立する「ぼっち」は、
実は強さを秘めた存在なんだといいます。
自分の弱さを認め教室の隅で静かにしていながら、
自分の好きなものやこだわりをそっと抱きしめている
素敵な存在だと気づかされます。
「ぼっち」を恥ずかしいと感じなければ、
一人でいることが基本だとすれば、
実はそんなに怖いことでないのかもしれません。
本当は詰まらないと感じていることに、
興味がある振りをして愛想笑いをしているより、
ずっと自由で居心地がいいかもしれません。
この物語には様々なタイプの「ぼっち」が登場します。
教室の中ではみんなただの「ぼっち」ですが、
その心の内はそれぞれです。
そんな「ぼっち」達が寄せ集められ、
修学旅行の一班となります。
大人しそうにみえたそれぞれが、
それぞれの心に秘めた大胆な行動に出ます。
そして事件が起きます。
なぜタイトルは「ふたえ」なんだろうと不思議でした。
もっと相応しいタイトルがあるんじゃないかと
疑問を覚えていました。
各章のタイトルも「重なる」と「重ねる」が
交互に使われていて、そのこだわりは何だろうとも。
最後に来てその意味が分かります。
作者の仕掛けにあっと驚かされます。