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マレーシアのボルネオ島、プナン。そこは贈与論(Mモース)にでてくるような循環型社会の一端を虫眼鏡で拡大したような、個人での所有という概念の無い社会。この社会では、幼いころから親などから「ケチはいけないことだ」と教えられ、モノ・非モノ問わず全てを共有している。人々は常に今ここを生き、将来の心配も、過去の反省も無い。問題がおきても、個人にその責任を追及することはなく、それにより、ストレスや孤独、自殺も無いそうだ。
著者はニーチェの言葉をそこかしこに引用し、プナンの生き方と重ね合わせ、我々の常識に揺さぶりをかけてくる。プナンの人々は生きることの意味を考えたりはしない。一生かけて何かを達成したり、社会へ貢献したり、などを考える我々の直線的な生き方とは対極的なのである。それは、ニーチェの「永遠回帰」を生きるための技法であるかもしれないと、著者は言う。
プナンのビッグマンは超人だろうか?
この本のカバーイラストに、我々の考え方とプナンの考え方の違いが図的に描いてあるのだが、それが面白い。これを見ていると、何か新しいものを思いつきそうな気がしてくる。
自分の「当たり前」の外にあるものに触れることから生きるヒントが見つけられるのではないかとこの本は述べている。
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虚構で現実に疑問符を投げる手段は神話,宗教,御伽噺,伝説,SFといくらでもあるが,ある現実を相対化する別の現実を体験させてくれるのは文化人類学しかないのではないだろうか.
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近代・現代
個人主義・グローバル
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共同主義・ローカル
アナキズム入門
アナキズム:”権力による強制なしに,人間が助け合って生きてゆくことを理想とする思想”
海外旅行・異文化との接触を通じ,今あるものがなぜそうあるのかと言う懐疑主義に
→ある社会や人類そのものを相対化し,根底にある前提に揺さぶりをかける学問.文化人類学の道へ
全ての生物ー>栄養を摂取し生命を維持
原始生物→人間:内臓に保持→体の外に保持→紙幣に保持
プナンの人たちは反省をしない.ー>なぜ現代人・現代社会は「反省を強いられるのか」という逆説的問い
貸し借りは財を所有するという概念が大前提
死への恐れ、打ち手が農耕→財の蓄積
プナンの長:ビッグマン
一番ものを持たない.誰よりも分け与える.だからこそ人々に支持される.独占を仄めかしたら人が離れる
倫理→自己消化的な恵みに対するお返し?精神と態度
動物の境界
野生犬→労役犬→ペット犬
労役とペットの境はなんだろ
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価値観、人生観というものは生まれ育つ環境で色々変わるものだとしみじみ思った。私を取り巻く環境の中で森の民の価値観を取り入れることは難しいが、同じ地球上で違う常識で生きている人たちがいると知ることはこれからの人生でより大きな目で物事を見る助けとなるだろう。
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旅の楽しみは日常からの離脱。
自分が日頃属している社会の常識からの離脱。
そして価値観の逆転と新しい視点を得る。
それを究極まで見つめたエッセイ。
昔わたしを捉えたツィアビの演説のようなもの。
同じ社会に長期にわたって参与観察し続けた人類学者が、その面白さを各章でわかりやすく物語ってくれる楽しい本。
以下、章ごとの感想。
3 反省しないで生きる
プナンの社会では、誰かが悪いことをしたり失敗したりした場合、やらかした当人が反省することはなく、まわりの人たちの側が、そうならないようにするにはどうしたらいいか対策を考えるのだそうである。
何か問題が起きた場合、当人の反省に帰するより、当人の責を問わずにみんなで問題そのものに対して対策をした方が、当人のメンタルヘルスにもいいし、実効的な解決法にもなるよね。確かに。
4 熱帯の贈与論
もらったものは手元にとどめないで誰かに贈る。そのことが価値を生む。ポトラッチと並んで有名な理論。たぶん布施なんかとも通ずると思う。リンポチェさんなんかにプレゼントして、めっちゃ喜んでくれたと思ったのに、次に会うとその品物は違う坊さんが持ってたりするのはよくあることで、アレって何となく寂しいなと感じてしまいがちなんだけど、そうじゃないんだよね。ステキなものをもらったら誰かにあげるのが物惜しみしない良い心なんだよね。うむむ、本も手元にため込まないでみんな上げてしまうのがいいのかもにゃ。
5 森のロレックス
なんと!プナンの人たちは時間や年月日の意識をほとんど持たないという。誰が誰よりも先に生まれたとか、誰それがなくなったのは自分が今の誰それのような年頃であった頃だ、とかは意識するのみであるらしい。将来どうしたいとか、そういうことを計画することもないし、誰かが亡くなると、そこに埋めて所縁のあるものを捨てその場所を立ち去るのだという。歴史もない。うわわわ究極のその日暮らし。その日暮らしができるというのは豊かだということ、何かに備える必要がないということ。
7 慾を捨てよ、とプナンは言った
プナンの人々が持たないのは、時間の概念だけでなく、所有という概念も、なのだと著者は言う。物なお金のみならず、知識や能力さえ個人で所有するという概念がないのだと! しかし、小さい子どもに「自分だけのものにしたい」という所有慾はあり、それは周りの大人によって否定される。もらったものはみんなで分けるように躾けられるらしい。で、近年になるまで貸し借りの概念もなかった、と。まるで原始共産制ではないですか。
全てのものを共有するプナンの社会では、格差もない代わりに個人の持つ向上心や努力も見られないのだ、と。ふぅん。ほんまかいな…。
8 死者を悼むいくつかのやり方
近しい者を亡くしたときの情動にどう対処するのか。日本では、死者に死者としての名前(戒名)を与えて死者とし儀礼の対象とするのだが、プナンは違う。死者はそこに埋葬し死者の持ち物は焼き捨て、残された者はその場所を放棄して立ち去り、残された家族はその名を変え死者���名を口にすることを禁じられる。死者の痕跡を消そうとする…それがプナンのやり方…。
他にも学校のこととか(当たり前のことながらプナンの人たちは学校に価値を見出していない)、選挙のこととか(選挙では、ケチじゃないというプナンの徳を体現している人、つまりお金をばらまく人に投票する笑)、人の社会の価値観はさまざまであることを思い知らされる。
自分の価値観を揺さぶって楽しむにはうってつけの本だよ!
本書の元になった連載の題は『熱帯のニーチェ』。この名もなかなか素敵である。
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筆者がボルネオ島で狩猟を主生業とする民族プナンと一緒に暮らして考えたことの記録。プナンは人から物をもらってもありがとうを言わないし、失敗しても個人のせいにしない。物は個人のものにせずみんなのものとして扱い、親族が亡くなると早くその人のことを忘れるために近親者の人たちは一時的に名前を変える。つまり、私たちとは違うことだらけなのだ。この本を読んで改めて人って自分が培ってきた感覚のフィルターでしかものを見られないんだなあと再確認。でも、だからこそそれがひっくり返ったときに面白いって感じる。
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第50回アワヒニビブリオバトル「Thank you!」で発表された本です。
チャンプ本
2019.03.05
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人間社会の原始の姿か。
社会は一体化していて、わたしたちが基本で必須だと思っている挨拶さえもないという。貸し借りの概念もなきという。
人間同士はそんなにも近しかったのかと感嘆する。
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各章の最初にニーチェの言葉が引用されています。
それがとても良い。ニーチェの言葉は説得力あるし、元気出る!
パースペクティヴィズムという概念があることを初めて知りました。
自分が生き物をじっと観察する時にやりがちなこと。
今、私に見られている対象物(生き物)がその瞬間何を考えてどう感じているのか、見ている私との関係は今どんな風か。
これ、パースペクティヴィズムの端くれちゃうの?!ちょっと出来てた気がして嬉しくなった笑
自然の中で、ただ自然の声を聞き狩猟して食べ物を得て暮らすプナン。
個人の所有欲という人間の本能かもしれない部分を幼い時期に徹底的に潰し、共同体の一員として平等に分配して皆で利益を受けるシステム。簡単なようでこれを当たり前にすることが私たちにはどれほど難しいということがこの本を読むと痛感する。
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ボルネオ島のプナンの人と暮らして著者が考えたことが書かれている。興味深かった。
ボルネオ島の森でプナンと一緒に暮らすことは、「大いなる正午」を垣間見る経験だった。
「大いなる正午」という比喩はニーチェの言葉で、「真上からの強烈な光によって物事が隅々まで照らされ影が極端に短くなり、影そのものが消えてしまった状態。」のこと。「影が消える」とは、世界から価値観がすべてなくなってしまった状態である。おおいなる正午とは、真上から強烈な光に照らされて影の部分がない、善悪がない状態である。
世界には固定された絶対的な価値観が存在しないということを、体験をとおして理解したと言っている。
私たちは、一生をかけて何かを実現したり、今日の働きで何かが達成されたりすることをひそかに心に描いて働いている。ところが、プナンは、これこれのことを成し遂げるために生きるとか、将来何かになりたいとか、世の中をよくするためい生きるとか、生きることの中に意味を見出すことはない。
なので「反省しない、感謝を伝えるべき言葉がない、精神病理がない、薬指という言葉と概念がない、水と川の区別がない、方位・方角がない」、、、という、わたしたちにとって「あるべきこと」がプナン社会にはない。とても興味深い。
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現代社会でがんじがらめになっている、そんな人たちが読んだら概念ぶち壊される、そんな本
国が違えば、価値観は変わる
時代が違っても、価値観は変わる
そんなことは知っていたけど、国どころじゃない、民族であっても、価値観は変わる
そういったことに何故気付けなかったのかと自分の思考回路の狭さに呆れ果てました
ニーチェも気になる、そんな作品
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海外で仕事をする身でありながら、よくなんでこんな事がわからないんだ、なぜこうしてしまったんど、と思うことがある。
自分が育ってきた極小な世界から抜け出して本当に他者のカルチャーを、単純に面白がり、敬意を持って接する大人になりたいものだ、、、と思った。
そして、それは遠くに行かなくても、親きょうだいでも、直面することなんだな。。。
大いなる正午。に妙に関心。
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立教大学で教鞭を取る文化人類学の著者がプナンという狩猟採集民族について書いた本。
プナンとは、ボルネオ島(マレーシア、インドネシア、ブルネイの三つの国から成る)に暮らす、人口約一万人の狩猟採集民である。彼らは今日でも、資本主義社会の一端に巻き込まれながらも伝統的な社会を持ち続けている。
本書で紹介される通り、彼らの生活は我々の生活と何もかもが違う。
プナンの社会には、「おはよう」もないし、「ありがとう」もない。「ごめんなさい」もなければ、時間という概念もない。ないない尽くしである。
プナンは常に生活をひとつの共同体で完結させているので、我々が使う交感言語(伝達機能を持たないが、一体感を生み出すような社会的な機能を持つ話し言葉)を使う必要がない。だから、「おはよう」「さよなら」という言葉がない。
プナンは死と隣り合わせの厳しい自然に生きているので、あらゆる物を分け合い、協力することが当たり前なので、プナン語には何かをもらったときの「ありがとう」にあたる言葉がない。
プナンは「反省」をしない。
共同体の中のだれかの過失でみんなが損害を被ったとしても、当人の能力や行動が追求されることはない。失敗は個人の責任ではなく、以後の共同体としてのおおまかな方針に反映されるだけだ。だから当人も反省することはない。「ごめんなさい」にあたる言葉もない。
上記のように、プナンの社会は我々の社会とはまったく似つかないものである。
どちらが良いとか優れているとかではなくて、根本の発想からして違っている。そしてそれぞれの社会は相手方の社会の在り方から学ぶことが多くあるだろう。
プナンが「反省」をしないのは、彼らに発展や向上を目指すという目的がないからだと著者は述べる。
なぜ反省が必要かというと、ある事柄において「次はもっと上手くやろう、効率よくやろう」という価値観があるからだ。この根底の発想がない以上、反省する必要がないのだ。
必要がないから、存在しない。これは自明だ。
このことは特に我々に示唆を与えてくれる。
資本主義の専制の下、我々の社会は断続的で際限のない発展を続けてきた。しかし、現在我々はその成長の限界を目の当たりにしている。顕在してきたあらゆる環境問題、倫理的問題は成長主義の限界を示している。
その中で、脱成長主義にシフトしていくためにはプナン社会の考え方がその一助になるのではないか。そう感じた。
本書は、まったく未知の社会のイデオロギーを紹介し、読んだ人に新たな視点を与えてくれる本だと思う。少し長いが、読んでみて損はない良書。
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文化人類学をイメージするのに最良の入門書かもしれない。著者の具体的な経験や観察と文化人類学の学問的知見が、内容的にも文章的にも無理なく接続・展開されていて、とても面白く読める。プナンの人々の暮らしを経験することで、今の自分たちの暮らしの常識や価値観が相対化される様を、ニーチェの思想と結びつけて語るのも新鮮で、それはそれでなるほどと思わされる。「所有」「自我」「言語」等について思考実験でなくフィールドワークによってラディカルに探究していくことの面白さといったらない。
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タイトルの通りの内容なので、「ルポルタージュ」ではないかも。何に分類したらいいのかわからない。エッセイでもないし。とにかくタイトルの通り、人類学者の著者が、プナンというボルネオ島に住む人々に密着して気づいたことを、ニーチェの哲学と織り交ぜて、そもそも人間とは、生きるとは何なのか、現代人の、文明的な生活が本来あるべき人間の姿なのか?と考察しながら書いている。
ちょっとニーチェの引用が難しすぎて読むのに時間がかかってしまったが全体的には面白かった。
プナンは定住することも、家や土地を所有することもなく、森のなかをうろつき、狩猟採集をして暮らす。子どもは学校に行かない。そもそも所有するという概念がなく、あるものはみんなで分かち合う。人よりも高い能力を獲得して優位に立つとか、豊かになりたいという欲求もない。
人間はいつからそのような欲求をもつようになったのか?
プナンの生き方が文明的でないとか、人間らしくないと言えるのか?
トイレで排泄するという習慣もない!
著者が何かを持って彼らのコミュニティーを訪問すれば、当然のようにそれをみんなのものとし、ありがとうもなく、壊してもごめんなさいもない。
とっても興味深いですな。
最後の方で、年に何度か訪問していたのにコロナで数年あいて再訪したとき、スマホとWi-Fiが導入されていたっていうくだりもかなり面白かった。
プナンはそんなものに興味をもたないかと思ったら、マレーシア政府の政策?で無料で配られたスマホとWi-Fiを駆使して、彼らはエロ動画を見ていた笑!文字の読み書きができないので、音声チャットで獲物がどこでとれるかという情報をやりとりしたり。
ニーチェは難しくても、知らない世界を覗き見られるという読書の楽しみを存分に与えてくれる一冊でした。