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性被害にあったとき、警察に行くには事前に予約して信頼できる男性と一緒に行くこと。
残念だが、それが1番警察もきちんと対応してくれる方法らしい。
男性警官と女性警官が2人で同席してくれるらしい。
そんなこと、初めて知った。
知らない人は多いのではないだろうか。
泣き寝入りする人が多いとは聞くが、言っても聞き入れてもらえないとも聞いたことがある。その裏は、こういうことなのか、と腑に落ちた。
小学生の頃の経験は、いたずら、というものではなかった、そう今更ながら気付いた。
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勉強になりました。私の過去を思い出しながら読み進めてました。
特に共感した言葉が「「ほとんどがいい人なんだから、一部の過剰反応を気にして対処を行う必要はない」ことにするのは大人の責任放棄」です。ジェンダーレストイレの件についてたまたまテレビでコメントしていた人が似たようなことを言っていて「何言ってんだこの人」と怒りや悲しさ、悔しさを感じました。たった一部の異常な心理によって性被害に遭っている人たちがいるのに「そういう事件は滅多にないことなので気にする必要がない」というようなことを言ってました。この人やこの人と同じような考えをする人たちには被害者の存在が「ほとんどない」ことにされているんでしょうね。
何度も読めば今以上に理解が深まると思うので時間をあけて再読予定です。
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男女平等の話
わたしも保育園に最後までいる「ステゴザウルス」(笑)だったし、よく色んな大人にお母さんが帰ってくるの遅くてかわいそうって言われて勝手に可哀想な子にカテゴライズされてたけど、すごく嫌だった。働いてるお母さんが好きだったから。
自分がいざ働く世代になってもお母さんが働いていて保育園のお迎えが遅い子はかわいそうっていう偏見が消えてない日本ってやばいな。
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セクハラに遭った。
人によってはそれは全然セクハラではないし、笑い飛ばせる人もいるのだろう。
たった一瞬、偶然エレベーターに乗り合わせた一瞬だった。
その一瞬、わたしは不躾なことを言われ、ものすごく混乱した。
その後に、怒りと悲しみと、自責に襲われた。
上司(男性)は力になってくれようとした。
でもわたしは、自分が話をしたあとの上司の言葉や反応が怖くなって、結局「大丈夫です」と言って、詳細は話さなかった。
その後上司からはなんの反応もなかった。
それもそれでショックだった。
結局、わたしはどうしてほしかったのだ。
話を聴くと言われたら拒否するし、上司はわたしの言葉をそのまま受け取ってそれ以上踏み込まなかった。(面倒なことにしたくないからそうしたのかもしれないけれど)
結局どうなってももやもやするだろう。だから何もしなかったのだ。信頼できる人、笑わずに話を聞いてくれそうな人にだけ気持ちを吐き出した。それはそれで後悔はしていないのだけれど。
ちょっと上の階に行くだけなのにエレベーターを使ったわたしが悪かったのか、不愉快なことを言われて、うまく受け流せなかったわたしが悪かったのか。
いや、わたしは悪くないんだけど、それは分かっているのだけれど。不愉快なことを突然エレベーターのなかで言ってきたおじさん、いや、くそじじいが悪いのは分かってはいるんだけど、でも。
こちらが悪いと思わされてしまうのが、セクハラや性被害。もちろんパワハラもしかりである。
日常の中で少しずつその出来事のことを思い出さなくなっても、くそじじいに出くわせば一気に思い出すし、例えば家で一人でいる時とか、同じエレベーターに乗った時に、じっとりと思い出す。
ずっと鉛のように心の中に沈んでいるのだ。
フリーのライターをされている小川たまかさん。(最新情報じゃなかったらすみません)
性暴力被害当事者の取材をメインにされている。この作品は、2016年~2018年の2年とちょっとのブログの内容を大幅に加筆修正したものだ。最後には、性被害をメディアの前で訴えた伊藤詩織さんとの関わりも描かれている。
そんなに長くない作品ではあるけれど、読むのにものすごいエネルギーを使う。理不尽への怒りと悲しみ。しかしその理不尽は自らが引き起こしたのではないかと思わされてしまう性被害の構造。読みながら気持ちがぐらぐら揺れ、自分がされたこと、言われたことがどんどん頭の中に浮かんだまま消えないどころかそれに支配されていく。
決して心地のいい読書の時間ではなかった。決して全てを理解できたわけではない。わたしの想像力が及ばない描写だってあった。
例えば、電車で痴漢に遭った時、わたしも痴漢に遭う前は「声を出せ」と言われてきたし、そう思ってきた。ある日友人が「でもあれって声なんて出ないよね」と話しているのを聴いて「そういうものか」と思っていた。そしていざ自分が同じ状況に陥った時、混乱して声が出なかったのである。
結局何が言いたいのかというと、わたしは自分が同じ状況にならない���、きちんと理解できないということだ。かといって、ここに描かれていることを進んで経験していくわけにはいかない。
だから、ここに描かれている、必死の思いで話をしてくれた方や、小川さんご自身の経験のことを思って、少しずつでいいから、自分の想像力の幅を広げていきたいと思った。安易な想像で、安易な言葉で、安易な態度で相手を傷つけないように。わたしのことを信頼して話してくれた人を、余計に傷つけないために。
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日常生活の中で「女性だから」という理由で嫌な目に遭ったり差別されたりすることがあると改めて気付かされる。
25歳の誕生日を迎えたらもうチヤホヤされない、というCMで炎上した化粧品ブランドのエピソードを読んで、自分も若い頃歳をとることで価値がなくなる、と本気で思い込んでいたことを思い出した。
愚かである。
過去の自分の考え方や発言を振り返って反省したい気持ちにもなったが、今気づけてよかった。
女性であるが故に嫌な思いをすることはこれからもあるだろうが、この本を読んで、そういうことに疑問を持ち直視することの大切さを学んだ。
救われた気持ちになった。
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男尊女卑やら性被害やらのニュースに目は行くが、腹が立ちすぎるので直視できないことが往々にしてある。
この本はその「腹が立つ」ことについてしか書いていない。読んでいてイライラする。なんだこのクソみたいな社会は。いい加減にしろ。そんな感じ。
被害者の視点が強調されているが、これは元々そういうコンセプトだとタイトルで明示されている。というか、フェミニズムは元来、The personal is political.なのだから、正統派の本と言っても良いのでは。笑
様々な視点から見たい人は、気になった事件について自分で調べるといいんじゃないですかね。
これは本自体の感想から外れるが、
リベラルっぽい私のパートナー(シスへテロ男性)にフェミニズムめいた話をすると、嫌な顔をされる。「そんな七面倒くさい議論するのやめよ~」とか言われるのは、本当に腹が立つ。面倒くさい議論させてるのはお前ら男だよ。面倒だと思ってるならさっさと社会改革しようぜ。
リベラル寄りで割といろんな視点を持っているはずのうちのパートナーがこの調子なのだから、社会全体が変わるにはどれだけかかるのだろうか。気が遠くなる。
あまり文章?文体?が好きではないので、☆を減らした。何が合わないのか分からないが・・・。嫌にふわふわしている。
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性暴力被害、痴漢犯罪、年齢差別、ジェンダー格差、女性蔑視、等をテーマにした記事を書いている小川たまかさんの本。ブログを加筆修正、一部書下ろしたもの。
興味のある分野の本だけに、とても良かった。
全部の問題を、全部考えていたら、なかなかしんどいなぁと思うけど、ちゃんと見つめて、時々はちゃんと考えなくちゃと思わせてくれる一冊。
有名人の名前とか作品名とか、実名で掲載されていてわかりやすかった。反論とかもあるかもだけど、これは大事な視点だと思う。
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性暴力、性暴被害、ジェンダー格差社会、、、こういう問題は、きっとゼロにはならない。だけど、こういう本が世に出て、たくさんの人の目に触れる事はとても大切なことだと思う。「レイプはセックスのジャンルの1つだと思っていた」という認識にはとても驚いた。
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自分は女性の中でも限りなく嫌な思いが少なく生きてこれた方だと思う。それでも 当たり前とおもっていたことに全然男女平等ではないのでは?と気づくことがある今日この頃。
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男の人の体が苦手という話
・女性のヌードは綺麗と思うが男性のヌードはなんだか恥ずかしい気持ちになる→わかる。
・男性の裸がなんだか苦手。毛とかちょっと…なんとなく…??→わかる。
・自分は女性で異性愛者。男性の好みのタイプはハッキリしていないが「好きな女性のタイプ」は明確。→わかる。
・自分が男性になって女性を口説いて見たいと思ったことがある。→わかる…
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「ほとんどない」ことにされている側の気持ちがわかるには、その前に、"こっち側"を認識するには、現実を経験したことがないとわからない。
たとえば、ストーカー。されたことがないと、される人の気持ちなんて想像できないのかもしれない。してる側も、ストーカーをされたことがない同じ性別の人も。
…でも、そんなの酷いよ。もっと、みんな想像力を働かせてほしい。"こっち側"の気持ちを想像してほしい。これは、女性とか男性とかジェンダーに関わることだけじゃない。もっと、社会から「見ようとしないと見えてない」存在がいる。もっとちゃんと見てよと思う。
・
この本の中に社会的に良くない例として出てくる方々は、考え方が古すぎる気がした。私のまわりには、ここまで酷い考え方をする人(していたとしても、実際に言葉に出したり、態度に露骨に出す人)はありがたいことにあんまりいない。古すぎ。そして、想像力なさすぎ。
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私は30代の男性だが、女性が日々どのようなプレッシャーに晒されて生きているのか、どんな性犯罪に日常的に直面しているのか、加害者がどんな心理状態なのか、少しも理解していなかったことが分かった。
エッセイ調なので、どこにどんな話題が書いてある、というよりも、本書全体を通して空気感/境遇を伝えてくれる。
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2018年刊行で、2022年に読むと、4年で世間の認識は色々変わって、この本刊行時にはではまだまだ知られていなかったことが知られてきてるなと思った。
性的同意とかがあたりまえで。
子どもの性教育も前より積極的になっているよね。
これから大人になる子たちは変わっていけるんじゃないかなと期待している。
でも多分現行の痴漢犯罪者とかレイプ犯とかモラハラな人は変わってない。
残念ながら彼らの思考回路は全く異常で、自分の都合の良いようにできているようなので。
まずは異常を自覚してもらって、治療が必要なんだよな…
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日常にある隠れた視点からエッセイ形式で語るので著者の感情がダイレクトに伝わる。読み進めていく中で、絶望を感じる部分もあって日本が性に関してどれだけ無情なのかを思い知らされた。また自分でも気づかなかった視点があったり、モヤモヤしていたことを上手く言語化してくれていてスッキリしたと同時に自身のジェンダー観を問い直すきっかけになった。個人的には8月29日の「女の人の体が好き」が印象的。私も著者と同じように「男の身体が好きじゃなく、女の人の身体の方が好きだ」と考えていることに初めてはっきり気づいた。
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「年齢の話」
25歳を過ぎると女の価値が下がってしまうことが当たり前と受け取れるような広告についての話があった。
私も年を重ねることに恐怖を感じていた。
子供がいない、この先やりたいことも特に無いのに、年ばかりとって自分の価値が無くなっていってしまうような気がして、誕生日を迎える度にタイムリミットが近づいてくるような焦燥感があった。
だけど幸運なことに、心から尊敬できる年上の女性達にたくさん出会うことができた。
彼女たちは人生を目一杯楽しんでいて、もし過去に戻れるなら50代に戻りたいと言う。
「物事の分別がついてきて、しかも体力がまだあったから一番楽しい時期だった」らしい。
そして、自分に合ってると思える仕事に就けたこともあって、年を取りたくないという気持ちは無くなった。
尊敬する先輩たちのようにかっこよく年を重ねていきたいと思えるようになった。
この前、25歳の女性に年齢を聞かれ33歳だと答えたら、申し訳なさそうに「そんなに年上だと思いませんでした。若く見えますね」と言われた。
私自身は33歳に見られる事が嫌ではないし、若く見られたいとも思っていない。
だけど私も25歳の頃は、年上の女性に対して悪気無く同じような言動をしていたかもしれない。
「歳を取ると女の価値は下がる」という呪いは社会だけがかけてくる呪いではなくて、自分自身でも無意識かけてしまっているのだと思う。
申し訳なさそうにしていた25歳の女性はまだ呪いにかかっているのかもしれない。
結局私は彼女に何も言えなかったけど、いつか先輩たちのようにかっこいい女性になって、年齢を重ねることに恐怖を感じている若い後輩たちの呪いを解いてあげたい。
「半分だけわかる、でもいいと思う」
欅坂46の「月曜日の朝、スカートを切られた」という歌の話。
この曲は、
月曜日の朝、スカートを切られた
通学電車の誰かにやられたんだろう
どこかの暗闇でストレス溜め込んで憂さ晴らしか
私は悲鳴なんか上げない
と続く。
スカートを切られるという理不尽な性被害にあいながらも、大人になるにはこれくらい仕方ないと社会を冷めた目で見ている女の子。
そんな女の子がカッコいいというメッセージまでは無いにしても、この歌を国民的アイドルが歌うことで、こんな状況に共感する女の子が多いという事が社会で当たり前になってしまうのは悲しいと感じた。
私自身痴漢にあった時、大声を出した方が良いのか、でももし逆上されたら?相手がナイフを持っていたら?なんて考え始めると怖くなって、結局何もできなかった。
それに、痴漢くらい女なら皆あってるし、そんなに特別なことじゃない、と正直そこまで大事に捉えていなかったし、通報もしなかった。
何もできなかった自分を責めてはいないけど、この本を読んで、やっぱり「悲鳴なんかあげない」のが当たり前な世の中はおかしいと、改めて思った。
「男女平等の話」
【あるとき、私よりも若い女性が、こんな風につぶやいたのを聞いたこ���がある。
「セクハラでもパワハラでも残業代が払われないのでもそうだけど、やられた方がそれを言った途端、会社は態度を変える。『お前、そういう面倒くさいことを言い出すヤツだったのかよ』って」】(p159)
この部分、確かにそうなんだよなぁ。
私も前職でパワハラ、セクハラにあっていた時、上司に相談したら、「だけどあの人はあの人にしかできない仕事があるし、辞められたら困るでしょ?」と言われたことがある。
私自身は全然困らなくて、困るのは上司なんだろうけど、もう上にいくら言っても無駄だ、と戦う気力が無くなってしまった。
職場内でもなんとなく、大事にすると面倒だからうまくいなすのが仕事ができる人、みたいな雰囲気も出来上がっていた。
適当にかわしたり我慢する能力ばかりが長けてしまって、そんな自分が時にどうしようもなく嫌になった。
うまく対処できなかった時は、私は社会不適合者なんだろうかと悩んだりもした。
そんな環境から離れてみると、おかしいのはセクハラ、パワハラをしてくる人だったと一目瞭然だけど、当時はそんなことにも気付けなかった。
もし今後同じような状況になったら、今度こそ私はきちんと戦いたい。
そして理不尽な事に対して戦っている人がいたら、ちゃんと味方になりたいと思う。