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「殺す楽しさ、食う美味さ」などと書くだけでなにかうしろめたい。そんなうしろめたさと付き合ってきた肉の歴史。
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ハロウィンが流行り、ボジョレー・ヌーボーが流通しているってのに、新嘗祭はいっこうに流行らない。
食欲の権化たるワシらは、もはや新米をここまで我慢することはできないのだ。
米とならんで日本人の精神に深く食い込んでいるのが肉だ。神への供物は美味しいものが必要で、だから美味しい動物の肉が捧げられてきた。
米の豊穣を願ってのことである。やっぱり米と肉は関連が深い。
天武天皇の肉食禁止令以来、肉食は穢れとされ忌み嫌われてきた…んじゃなかった。
このとき禁じられたのは、馬、牛、犬、鶏、猿の五種の肉だ。当時一番食べられていたはずの、猪と鹿が抜けている。
しかも禁止期間は稲作の時期に限られている。米の成長に障害となる肉を、穢れ、という定義をしていたのが、いわゆる天武の肉食禁止令の実態だったのだ。動物の肉を食うと稲作を失敗するよ、というシステムだったのだ。
けれど、裏を返せば、このときは猪と鹿は通年食べられていたわけだ。
もうひとつ、仏教の不殺生戒が獣肉食忌避の原因という説がある。
これも、もとをただせば三種浄肉論、自分に提供されるために殺すのを見た、聞いた、その可能性がある肉は食べてはいけない、という説だ。裏を返せば、それ以外は食べていいのだ。
幼少の天皇が続き、官僚機構が安定してくると、天皇の周辺で肉食が否定されるようになってくる。幼帝には幼い頃から帰依を受けている僧侶がついている。この影響で俗人にも肉食を断つものが現れはじめる。同時に「穢れ」概念も肥大化している。神仏どちらも肉食忌避を強めていく。
かつて天武にも禁じられなかった鹿肉も、「食べたら参内できない」代物になってしまう。なぜ鹿まで駄目になったのかは、今後の研究課題として明らかになっていないのが残念だ。
でも、もちろん、食っている奴らはいる。
「病気が思わしくなく、医師が鹿食を進めたので」という例。
「他の料理と間違えて鹿肉を食べてしまった」という例。
おいおい、と思うけど、
肉は滋養強壮に効果があることは知られているから、薬という解釈もされていた。薬にかこつけて食ってるじゃないか、と思うなかれ、肉を避けていたら目の病が進み、やむを得ず肉食をすることで嘆き悲しむ例もある。抜け道とだけ断じてはいけないようだ。
一方で、社会には戒律が拡散していくが、大元の一つである寺院では戒律の拘束力が緩んでいく。平安時代の浄土思想では、念仏者は肉食も許される、とされる。
一つ。さけのむは、つみにて候か。
答う。ま事にはのむべくもなけれども、この世のならひ。
一つ。魚・鳥・鹿は、かはり候か。
答う。ただおなじ。
これは法然が宮中の女房たちの質問に答えたものであろう問答集の一つである。
酒飲んでいいのか。
ほんとは駄目だけど、この世の習いだからね。
肉食っていいのか。
酒と一緒だよ。
ということである。これは���端な例だが、肉食は別に悪くないんだぜ的思想が生まれてしまうのだ。しかしそういう思想は危険視される。これは仏法ではなく仏法の敵だと。こんなふうに鎌倉・江戸と変化の事例は続く。
食肉はなぜ禁忌になるのか。うしろめたさが一つの要因だが、これは昔からなのか後付文化なのか。
日本人は美を愛でてきたはずだが、食肉という美食については歴史的にあまり褒められてきていない。
著者が縦方向に風呂敷を広げたが、僕は横方向にたたみたくて、なんだかそのズレが、また後ろめたさのようなものを感じさせる。
それでも僕も肉を食い続ける。この世の習いだから。