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ミランダ・ジュライの初めての長編は、意外にも?しっかりした構造を持つ、物語らしい物語だった。ちょっとジョン・アーヴィングの読後感を思い出したりした。
最初クスクス笑いながら読んで、途中から切なくなってくる。
『いちばんここに似合う人』とも『あなたを選んでくれるもの』とも全く違うことに挑戦しているのが素晴らしい。
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読み終わって、叫び出しそうになった。
でも、何に? ー なにかに。
イタくてアツクて、色んなものが刺さってくるんだけど、
金色の光のようなものがそこにちゃんとあって、
私たちはぼろぼろにはならずにいられる。
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ミランダジュライ「最初の悪い男」https://www.shinchosha.co.jp/book/590150/ 読んだ。全く好かない内容だったんだけどラストシーンがウルトラスーパー素晴らしくて、それだけでそこまでの全体を補って余りある。あれだな、子供が欲しい女性ってのは自分が必要とされた(くてそれを実感した)いんだな。結局エゴ(おわり
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ミランダ・ジュライ初の長編小説。
短編と共通するところは色々あるが、本書は長編ということで、より深く色々なことが掘り下げられているように思う。巻末の『訳者あとがき』でも触れられている、主人公の『変化』が面白かった。
(それにしてもこの主人公、序盤はちょっとアレなタイプに描かれているが、めっちゃ心広いよな……)
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レビューはこちらに書きました。
https://www.yoiyoru.org/entry/2018/08/26/000000
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しばらく感想が書けないくらい、なんじゃこりゃぁ・・と読むたびにぐったり疲れてしまう本だった。すごいな。これ以上の人のどうしようもなさみたいのを、ここまで、読んでてつらくなるくらいまで、エグく描くのはすごいな。かっこいい。
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全開のミランダ節が創造したイタくて孤独な妄想中年女の生態に本気で引いたりゲラゲラ笑ったりしてたはずなのに、なんでか彼女の味方になっていた。美人で巨乳でものすごく足が臭い女に徹底的に破壊された彼女の世界が、まさかあんな結末に化けるとは!
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恋愛、幸せ、理想の人生、そういうものを思い描く時、抗い難いほど固定観念に捕らわれていたことを思い知らされた。シェリルの重ねる妄想と行動、やがてそれを一枚づつ捨て去り現実と向き合う。その時に人生は何度も輝くのだ。そこには無駄もなく近道もない。この物語はあらゆる人々に捧ぐ人生賛歌だ。
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どうにも空想が侵食してきて、まるで途中から彼女になったようで、とてもシリアスな悩みがあっったのに、一瞬どうでもいいような気になってしまった。
なるようにしかならないし、なるようにもならないかもしれない。
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ミランダ・ジュライのワールド爆発な長編。
短編が上手い人が長編も上手いとは限らないけど、この作品はいつもの彼女の世界観が出すぎなくらい出ていて楽しかった。
主人公の妄想オンパレード、ズレた登場人物たち、珍妙な展開。タイトルも、そこから取るんかい!という唐突さ。
意外性とかいうレベルでなく、とにかくへんです。笑
でもへんなのに愛おしくて、登場人物にあまり感情移入しない、キャラ小説を好まない自分が最後にシェリルと別れるのが惜しいと思ってしまったほど。
翻訳も安定の岸本佐知子さんで、良かった。
ずっとこのコンビでいてほしい!
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ミランダ・ジュライ×岸本佐知子さん
のコンビは最強ですね!
大好きです。
妄想と箱庭的小宇宙の中で暮らす
中年女性のシェリルのもとに
若くて美人でグラマラスで傍若無人で足の臭いクリーが転がり込んできて
始まる共同生活。
おや?ファイトクラブ?
とも思わせるところもあったり…
とにかく、シェリルの妄想が痛いし
なおかつ共感もできるので
とても楽しくそして切なく読めましたー。
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40過ぎの変人ともいえる主人公シェリル.妄想の中で,セックスや愛が,9才の時に去っていった隣人の赤ちゃんクベルコ・ボンディの思い出とともに現実となっていく.この不思議な酩酊感がやみつきになって,最後のエピローグで綺麗に昇華する.本当に面白く,見事な小説だ.
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43歳独身妄想女シェリルの家に、上司の娘クリーが転がりこんできたことで起きた人生の奇跡。
精神的に余裕がないと辛い。人間ってどうしてこうも残酷で単純な生き物で、また美しいのだろう。
シェリルの妄想はリアルだ。欲求や理想をこれでもかと見せつけ、私の脳内にまで踏み込んでくる。
サプライズでシェリルと読者を困惑させる。守るべきもののおかげで、なんとか前へ進むのだが。
幸福とは変化なのか?理想の追求なのか?
この結末は正しい。そう納得するしかないのは私の器の問題。
タイトルの意味を理解した時、やはり正しいと再認識するだろう。
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『彼はぼくこわいよと思うこともできない、「ぼく」ということも知らないのだから』
このちょっと世間からずれている主人公にミランダ・ジュライを投影しないでいるのはとても難しい。「君とボクの虹色の世界」、「フューチャー」の主人公のその延長線上に(あるいは同じ位置にと言った方がいいか)この本の主人公は位置しているのだから。コケティッシュという表現は最近余りに耳にしないけれど、正にその言葉が真っ先に頭に浮かぶあのミランダ・ジュライの顔を主人公に貼り付けずにはいられない。
SNSで時々披露される作家自身を写した映像の少々痛い感じ(その言い方は余り好きではないけれど)、それらは主人公の言う所の「システム」を彷彿とさせずにはいられない。例えば車から箱を抱えて降りてきた彼女が転んで箱をぶちまける映像などに感じる「あざとさ」のようなもの、あるいはロンドンのホテルでの怪しげな行動から感じる「迷子の気持ち」のようなもの。それらはシェリルの心の中のつぶやきによって説明可能となるもののように思う。そして漸く、そういうことか、と理解されるものであると感じる。もちろん、その映像は偶然を捉えたものではない。作家の表現の一つである。全て計算されたことであるとは思いつつ、そこにどことなく漂う「よるべなさ」は、作家の個人的な趣向や価値観の根幹を成すものであって、それが作品に滲み出ていると考えた方が自然であると思う。
ミランダ・ジュライを読み始めた切っ掛けは岸本佐知子であるのは言うまでもない。彼我の差はあれど、自分の中でこの翻訳家はどこかしらミランダ・ジュライと通じ合う「変」さがある。「気になる部分」を読み返してみたらきっとこの作品のシェリルそっくりな逸話が見つかる筈と思う。その翻訳家の趣味嗜好がぎっしり詰まった翻訳私花集「変愛小説集」の二冊目でミランダ・ジュライは強烈な印象を残した。以来翻訳を待てずに読んで来た作家ではあるけれど、この作品は岸本佐知子によるトランスレーションを待たずには消化し切れなかった作品。とてもジェンダー・オリエンテッド(性別志向性とでも言うのか)が高い作品だと感じる。特にセクシュアリティの表現のされ方に、男性目線を模した女性性の主張のようなものを強く感じる。同じ翻訳家の手になるニコルソン・ベーカーのフェルマータが男性性を強く意識させるのとちょうど正反対であるように。その敷居の高さが少しだけミランダ・ジュライを近寄り難くさせる。シリアスな顔のミランダ・ジェニファー・グロッシンガーに初めて出逢った気にさせる。いつもに増して岸本さんの翻訳が光る。
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40代のシェリルは働きながら精神的引きこもり状態。
そこに傍若無人な若い娘クリーが転がり込んでくる。
赤ん坊という「現実」そのものを押し付けられ…。
Bowieのkooksが効果的に使われてて、懐かしかった。