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「ある男」
ある男になることとは。
分人とは一言で言うなら、人間を見る際の「個人」よりも更に小さな単位ということらしい。私達は、日常生活を過ごす中で多面的な自分を生きている。自分がいる場所、会う相手によってその時の適切な自分に変えて生きている。この時は、個人よりも小さい単位で生きている。
だが、自分を識別するモノを変えてまで多面的な自分を生きることはまずない。氏名・戸籍を変えてまで、多面的な自分を生きることなど無い。いくら職場で上司といる時と同級性といる時とでは自分が違うとはいえ、山田太郎は山田太郎だろう。
しかし、里枝が出会い、愛した「大祐」は、その“まずない多面的な自分”を生きていた男だった。ある男"X"は、「大祐」であることを示していた氏名・戸籍を持ち、「大祐」の過去までを教授され、そこからは「大祐」として生きていたのだ。そして、里枝に出会って死んだ。弁護士の城戸は、ある男"X"が一体誰だったのかを調べる中で、彼と同じように過去を変えて生きる人物達の姿が浮かび上がってくることに気付く。
本書のテーマは「私とは何か」であり、「死生観」であるが、最大のテーマは愛。総じて面白く読むことが出来た。愛に関しては、里枝が愛した「大祐」が別人だったと知ってしまった以降、そのある男"x"を憎まずいられるのか?死ぬまでに「大祐」として家族に注いでいた愛は、果たして受け入れるべきものなのか?だったりする。
例えば、里枝の息子は、こう答える。「叱る時もちゃんとどうしてダメなのか一緒に座って説明してくれて僕の話もよく聞いてくれたし、前のお父さんよりも人間として立派だと思う。僕には前のお父さんの血が流れているけど、後のお父さんが本当のお父さんだったらよかった。花ちゃんがうらやましい。」
この時、既に里枝は「大祐」が別人であったことは知っている。その上でこの息子の発言を聞くというのは、様々な感情が沸き上がってきたと思う。「例え別人であったとしても自分の選択は間違いではなかった」とか「こんなに息子に慕われる人間だったのに何故「大祐」として私の目の前に現れたのだろう」とか色々。
また「私とは何か」では、城戸がある男"X"を理解する為に、といってもその気持ちは僅かだったと思うが、起こしたある行動が大変興味深い。これこそ人が多面的に生きているということの証拠なのだろうと思った。
城戸は生まれを含めて、私とは何かを考える人物である。里枝の依頼を受けて以降変化していく妻との関係には、城戸という人間の根本的な考えと妻とのそれに隔たりがある。また「大祐」という人間を調べる過程で出会った女性との交流でも次第に城戸の考えが変化していく。
最後になるが、「大祐」が別人であったという衝撃的な事実から始まる「大祐」とは何か、ある男"X"とは何か。彼ら二人を通じて、では、私がある男"X"になったらどう生きるかを問われていると感じた。そして、その場合は、きっとある男"X"のように懸命に生きるしかないのだろうと思う。懸命に生きる中で愛することが出来たならば、その愛は誰からも否定されることは出来ないその人にとっての愛になると思う。・・・と思ってみたものの、全ての大前提は、そのある男"X"に私が共感し、理解することが出来るかどうかだが。
城戸を通じて3つのテーマを考えざるを得ない状況に引き込まれる作品。
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ある弁護士が亡くなった男性が実は全く違う人物
だったと言う謎を追い求めて行く所から始まる。
主人公の弁護士自体も在日三世で日本人でありながら
在日と言う自分のアイデンティティーを何となく
ヘイトスピーチなどから感じている。
戸籍を変えるビジネスにこの事件の成り立ちを見つける
。自分がもし今の自分ではない人生ならとは
一度位は誰しも考えるかも知れないが、やはり己の
アイデンティティは中々変えるのは難しいのではないか。
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え!? という始まりから、人の黒い部分を目の当たりし、全く読めない展開に引き込まれた。人のもつ過去、傷、家族というつながりの時間。その意味を、じっくりと考えさせられる。過去にどう向合い、人と関わるのか。深く大切なことを思う時間だった。
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自分が結婚して一緒に子どもを育てていた相手は、本当にその人なのか。
これって、ものすごく怖いことだと思う。だって、自分が誰で何者なのかって証明してくれるのは家族であったり、知り合いであったり、自分を知っている第三者しかいないわけで。
つまり、その第三者から「この人は別人です」と言われたら、それはもう何者なのかわからなくなってしまう。
身分証明書?戸籍?そんなものはいまは別人のものを手に入れることはそう難しくはないようで。つまり、私が私であるという証明は不可能に近い。だから、自分が愛して共に暮らしていた相手についてなんんてもっと不可能だ。
そんな不安定ななかで私たちは日々暮らしているのだ、と何とも言えない怖さを感じた。
自分の過去を清算するために、あるいはまったく別の人として生きていくために、新しい戸籍を手に入れる。戸籍だけではなく、その人のそれまでの人生さえも受け取って、その続きを生きていく。
そういう、新しい人生を歩いている人との「愛」は出会う前から繋がる今なのか、それとも出会った時から始まるこれからなのか。
簡単には答えのだせない問を受け取った気がする。
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貪るように、夢中で読んだ。
面白くて、とにかく先が気になって仕方がない。
ある男の突然の死から浮き彫りになる、それぞれの生。
歪な家族のつながり。
ある男の壮絶な人生が明らかになっていくにつれ、どうにもやるせなく、切なくなる。
ただ、この物語は不幸な生い立ちの男の人生に思いを馳せて、涙するに止まらない。
世相の描写が、とにかく秀逸。
ヘイトスピーチに代表されるような、過激で偏った民族的な差別意識が蔓延し、東日本大震災以降いつまた大きな地震や災害が起きるかわからない漠然とした大きな不安を抱え、明るい未来が思い描けない厭世的な空気、社会の規範から外れたものは排除してしまえという安易な傾向や自己責任の問われ方など、今私たちが置かれ生きている社会がどのようなものか、弁護士の城戸の行動や思考を通して考えさせてくれる。
今読むからこそ、ここまで沁みるし余韻も格別なものがあるのだと思う。
私の中では、特別で大切なカテゴリに分類される作品。
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よかった。不気味さや結構怖い面もあったけれど、ある男の正体に迫る中で、自分自身のあり方まで自問し、変えられていく男の話でもある。
序文の存在がまた主人公の城戸のその後を匂わせているし、フィクションの奥に隠された本当のことに興味が尽きないつくり。
死んだ夫から知らされていた事実が全て嘘、本当の彼は何者か?というミステリ的な始まりなんだけれど、弁護士として追っていく中で、奇妙な共感や、同情、失望が城戸にもたらされていく。
紛れもなく主役は城戸自身だけど、なかなか入り込んだ話で、哲学や社会、文学や芸術の効用まで高い知性と教養に裏付けされた物語が展開されます。
ストーリーそのものが興味深いので、細かなことを気にしなくても面白いけれど、他人に成り代わることで本当のものをつかめることもあるのかな?とか、いろいろなことを考えさせられる内容でした。
Xに関しても、当初は不気味に移る彼の人生があぶり出されるにつれ、言いようのない気持ちに何度も襲われる。
途中からは、誰かの人生だからこそ、上手に歩むこともできるのかな?とか、今の自分の人生は誰かにとってなり借りたいものだったのかな?とか、必ずしも本物であることが幸福をもたらす訳ではないのではないか、また事実が知られるにはそれ相応の時があるのではないか、などなど哲学してしまう内容でした。
何度も語られる在日三世の話にしても、Xとは違う方面で、出自がもたらす運命的なもの、レッテル、そういったものを違う方向から考えさせる材料になっています。
作者の平野氏は大変なインテリなんだなという印象があるので、彼の構成の意図を把握するには何度か読まなければいけないかな、と思いますが、熟読にて値する内容だったと思います。
近頃の作家さんでは珍しい濃い内容でした。
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弁護士の城戸はかつての依頼者である里枝から「ある男」についての奇妙な依頼を受ける。
宮崎に住む里枝には、二歳の次男を脳腫瘍で失って、おっとあと別れた過去があった。長男と故郷に戻り、その後、「大祐」と再婚して、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日突然、大祐は事故で命を落としてしまう。
その後、大祐は全くの別人であるという事実がもたらされる。
主には城戸、そして里枝の目線でこの物語は描かれる。
なぜ、1人の弁護士に過ぎない城戸が「大祐」、変身にそこまでひかれるのか。
そして最愛の夫が偽名を使っていたと知ってその家族が何を思うか。
個人的に、本当の「大祐」の今の姿が悲しかった。名前が変わると、その人の過去まで背負うものだろうか。それとも生活からくる退廃?
愛に過去は必要か。
難しい問いだと思う。
城戸はどういう答えを出したのだろう。
ちょっと急いで読んだのでもう一度読みたい。
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平野啓一郎作品の常として、流麗な美文と情報量の豊富さには圧倒される。
それでいて、本作は非常に優れたミステリーであり、人間ドラマである。知っていた筈の「彼」が何者であったか。展開はそれ程意外性のあるものではないが、シンプルなストーリーに数多くの「物語」を搭載していて、なおかつそれが崩壊しないというのはさすがだと思う。
ひとつだけ分からないのは、なぜ著者はあの「序」を入れたのかということ。あの意味を考えあぐねている。
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大人の知的な会話というのは本当に素敵だなと思わせる作品。年齢が近いせいもあり、城戸の境遇や感情の揺れにいたく共感を抱いてしまう。
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2018/10/06Mリクエスト
なかなか複雑な話です。
そんなにうまくいくかな?と思うシーンもありますが、まあ…
結婚していた相手は誰だったのか?
という設定が今までにないと思います。
主人公の弁護士の先生、いい人に描かれてます。
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楽しみにしていた初めての平野さんの小説。
話の中身よりもまず言葉の美しさに好感を持った。
すごく表現が丁寧で選んでこの言葉を使ってるんだなと思った。
分人のお話を読んだばかりだったので、それを表現したものなのかなと思いながら読み進めてみた。
私は結構名前にこだわってるんだなと最近気付いたのだけど、実は名前なぞどうでもよくて、尚且つ持ち物とか所属とかはどうでも良いと考えた時の自分とはどこに存在するのかを考えさせられる。
ある日ふっと消えても分からなくて、では何のために自分は生きているのかというと、それは自分で信念を持って自分が自分だと証明し続ける必要があるのではないのかと。
だんだん訳が分からなくなってきたので、このあたりにしておきますが、それは自分を身軽にする一方で、虚しさみたいなものも感じさせるのだし、ここから死ぬまで一生向き合い続けるテーマになるのだと思いました。
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再読。はじめて読んだのは、発売してすぐだったから、2018年の秋のはずで、ちょうど2年前。
この本の主題は、「人を愛することに(特にパートナーにおいて)過去が必要なのか」ということなのだと思う。好きだから、愛するが故に、相手の過去を知りたがったり、打ち明けたくなったりするのは、人間誰しもあるものだと思うけれど、それを日々実感しているからこそ、大祐(原誠)は、どんな気持ちで四年足らずの第三の人生を過ごしたのだろうと思ってしまう。過去のない愛はどんな形なのだろう。
現実のこの社会だって、風俗店に行けば男も女も、名前も過去も偽って束の間の愛をはぐくんだりしているけれど、この場合はもっと深い本物の愛をはぐくめるのかというテーマだから。
大祐が原誠であるということを、里枝や悠人に生きている間に打ち明けていたら愛の形は変わったのだろうか。きっと、より深みが増したと思うし、信頼関係が強固になって、心から幸せを実感できたのかなあと私は思う。このテーマは今の私にとって、とても熟考する価値のあるテーマだな。
ほかの人はどう思うんだろう?読んだ人に聞いてみたいなあ。
一方で、平野さんの分人主義的な思考でいうと、この人とは10年の付き合いがあってこれまでの自分と連続した分人がいて、最近出会った人とは積み重ねる時間の中で少しずつ過去との繋がりのある自分を出していて、と、対峙する人によってその分人過去の濃度は違うはずだよなと思ったことも、メモしておこう。その濃度を広げるのも、関係性をつくる楽しさだったりするよね。
城戸を中心に、それぞれの登場人物の思考や会話が深く、その思考や対話の中にもぐって私も思考を深めらる感覚があって、そこもこの作品というか平野さんの作品の好きなところ。
ただ、ところどころに中年男性作家(主人公?)らしい粘っこさというか気取ったところがあり、少し受け付け難くて読み進めるのが難儀なところがあったので、連続して同じ作家さんのは読めないかなあ。私は。平野さんの作品や分人主義などの主張はとても好きですが、今の私には、という意味で。
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平野さんが別の本で主張されている分人にも通ずる考えが根底に流れている本です。例え親しい人であっても、その人について知っていることは一部にしか過ぎない、そう謙虚に考えて人と接していこうと思えました。
小さい子供がいる方は、少し描写がキツい部分があります。
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なかなか人間50をすぎると、おっさんはとくに
涙もろくなってきてしまって、いろいろ感情移入というか
経験からくるところの思いなどがあって
ぐっとくる内容ではありました。
社会の弱者というか、苦しさを感じている人たち
に対する存在の根源がどこにあるのかというのを
考えさせる内容でした。
ただ、サイドストーリーというか伏線的な話題が
ちょっと関係がわからないので、消化不良というか
わからないところも多くありました。
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「私とは何か」で個人の中に内在する「分人」という考えを打ち出し、続く「マチネの終わり」ではキラキラと輝くような文章にすっかり魅了され、平野啓一郎のファンになりました。
今回の「ある男」は、過去を入れ替えた人(たち)の物語。「変身」によって新たな人生を手にしようとしますが、「普通の生活」を望んでのこと。この小説の本意ではないかもしれませんが、「普通の生活」をしていることは有り難いことなんだなとしんみり思いました。
人は、その人そのものに加えて、その人に関する情報をもあわせて、好きになったり嫌いになったりするのでしょうか。「一体、愛に過去は必要なのだろうか?」という深遠な問いを投げかける秀作です。