投稿元:
レビューを見る
文章は読みやすい。本を読み始め,座った場で一気に読み切ったというレビューが多かった。 ところが、私は自分が経験した差別の話がまさにここにあり、私の現在と未来がこの本にそっくりそのまま書かれていて、心が痛くて苦しくて読み切るまでけっこう時間がかかった。フェミニズムの理論を読むときの私は、耐えがたい思いと体の苦痛従う。この本はフェミニズムの理論書ではなく、女性の受ける差別を話すだけであるにもかかわらず、本の一ページをめくることが難しいほど元気がなくなり、肉体的に大変だった。 現実は、本のストーリーよりひどく感じるから。 そしてこれは私の現在と未来、過去の話だから。
82年生まれのキム・ジヨンと96年生まれの私、その時と今の人生がどれほど変わっただろうか。 彼女の話と私の姿が重なって見えた。不当な状況で「これは差別ではないですか」と主張する私に’鋭い’’すべての男が痴漢しない’と言われて育ったせいで、結局、大抵の場合沈黙するようになった姿、おばあちゃんの家で多くの家族が集まるお正月、秋夕には、当然ながら男の親類が私よりお小遣いをもっとたくさんもらったし、家事は女性である私の分だった。 この小説に現れキム・ジヨンの人生は、96年の私の人生とさほど違いがない。 私は差別された話をあんまりしないけど、「非現実的でお前はとても鋭すぎる」と言われたり、被害者の私に「対処をそれしかできなかったあなたの過ちもあるではないか」という話も聞いたりして、結局,差別の話をすると戻ってくるのは傷だった。
この本は私の話を代弁し、女性だけが共感できる話を持ち出し、世の中にある女性蔑視(ミソジニー)を表すことに意味がある。 正直、女性として経験する差別、そして不幸な話ばかりをしているので、"フェミニズム"小説と言うには足りないと思う。 "なぜ"差別を受けるのか,根源的な問題に対する思惟ではなく、差別を受けて"不幸"だよ!と話すだけにとどめるからだ。 女性なら誰もが経験するという話なので共感し、互いに傷を癒すことができ、男性はこの小説を読んで自分とは違う"女性"の人生について真剣に悩み、共感しようと試みることができる本としては意味がある。
この本の感想を聞くと不思議なほど,女性と男性の反応が違っていた。
男性は「これは大げさすぎるんじゃない? おばあちゃん時代の話じゃない? 韓国の女性たちはあまりにも被害妄想しているのではないか」といった反応を見せた反面、女性は「むしろキム·ジヨンという人は状況が少し良さそうだ。 キム·ジヨンは中産層だからこの程度でも生きていくんだ。 私の話になりそうで現実が絶望だよな。お母さんの話だから、胸が張り裂けるんだ」と。
感受性の違い。 人の人生を共感できる能力。 理不尽な社会に向き合い、現実を見られる思考を持つこと。
女性嫌悪(misogyny)の辞書的意味は「女性を性的対象化したり、蔑視したり、性別の中に制限させようとするすべての家父長制的行動」をいう。 フェミニズムを勉強しながら一番大変だったのは私が当然だと考えてきたことほとんどが"女性蔑視"であって、差別を受ける側である私さえも差別だと気づかなかったことが多かったのだ。 簡��に言えば、それが私たちの文化にあまりにも当たり前のことで、女性に対する差別または女性嫌悪ではないと思っていた部分が、もう一度考えてみると厳然たる女性嫌悪だった。 女性の私でさえ女性嫌悪(ミソジニーが韓国語で女性嫌悪で訳された)に鈍感だったが、当事者でない男性たちはどれほどだろうかと思いながら、差別を話すと鋭いとか言ってくる男が理解できることもある。 しかし、自分の目にいかなる嫌悪感情が見えないからといって、それがないわけではない。 フェミニズムを勉強する前に、私のように本人の感受性が足りなくて'ミソジニー’を捜し出すことができなかっただけだ。 勉強しなければ何が問題なのかわからない。 無知は罪ではないが、その無知によって他人に傷をつけると罪になる。 黙っていれば、何が問題なのか気づくことができなくなり、思わず誰かが私の言動によって傷つけられる。そうしないように人を理解するための感受性を養うための努力は不可欠だと思う。
気に入った文というより何回読めば読むほど心が裂ける文。
そのコーヒー1500ウォン(150円)だった。 その人たちも同じコーヒー飲んだからいくらか分かっただろうよ。 オッパ(夫に)、私ね、1500ウォンのコーヒーを一杯飲む資格もないの? いや、1500ウォンではなく、1500万ウォンでもだよ。私の夫が稼いだお金で私が何を買おうがそれは私の家族のことじゃん。 私が生んだし、私の生活も,仕事も,夢も,私の人生,私自身をすべて諦めて、子供を育ているんだよ。 そしたら虫になった。 私はもうどうすれば良いの?’
*韓国には子供連れのお母さんに’맘충(マンチュン)’と名乗りつける単語がある。맘(mom) + 충(虫) の合成語で、子供がいるお母さんの存在は虫くらいしかない。
*韓国語で書いた感想を自分で日本語で訳しました。分おかしいかもしれません笑笑
投稿元:
レビューを見る
シンプルな文体でとても読みやすかったです。
さらっとした文体だからこそ、理不尽が次々と立ち現れても止まることなく読み進められたように思います。82年生まれでこの作品の主人公のような体験をすることは、確かに日本とは時代的なギャップがあると感じます。ただ、両国とも性差別の根拠として儒教や家父長制によって形成された価値観を据えている点はとてもよく似ているからか、差別の表れ方も近いものがあると思いました。
『チーズインザトラップ』のドラマ版で「女は兵役がないから協調性がない」という主旨のセリフがありましたが後書きにあった文とも重なります。国防の重要性を認識しながらも、何で男だけが兵役なんて行かなきゃいけないんだという気持ちが、兵役義務のない女性に嫌悪として向けられるのも想像が出来ます。フェミニズムに対して男性だって差別されているという反論がありますが、韓国においてはその代表格として真っ先に兵役が浮かぶんだろうと思いました。
既に身に染み付いてしまっている価値観に疑問を持つのは難しいです。当たり前のことだと受け止めていることについて立ち止まって点検し、待ったを掛けるのは勇気がいります。今まではそれに従って、それに基づいて自分も行動してきたのに、今更ひっくり返すのは加担を自覚するということだし、自分が抑圧あるいは搾取されてきたことを認めるのは惨めでもあります。しかし今後の自分が傷つかない為に、そしてこれから生まれてくる人たちへもっと生きやすい社会を残す為に、改善すべきなんだろうと思います。
投稿元:
レビューを見る
小説という形を取りながらノンフィクションのように、82年に生まれた女性にキム・ジヨンという名前がいちばん多いらしくこのタイトルみたい。
キム・ジヨンが生まれてから、同時に祖母や母が生きてきた中での女性に起きていた問題や男性の無理解や家父長社会における扱いについて、困難について書かれている。
日本でも似たような、近いことはあって、読んでいて男性として居心地が悪く思う部分も多々ある。ただ、知らないといけないと思うのは自分が充分に無理解の側にいる可能性が高いからだ。知ればまだ無意識でやったり言ってしまっていたことについても意識できるし、考えることができる可能性はある。
きっと日本でも多くの人に読まれると思う。
投稿元:
レビューを見る
韓国における女性差別の歴史について、ある1人の女性の人生を追うことで赤裸々にする小説。読んでいて辛くなるけれど、読むべき小説。日本とほとんど変わらない現実があるとともに、韓国人が声をあげようとする姿勢に感銘を受けた。
韓国の日常的なしきたりや慣習についても知ることができ、面白い。
投稿元:
レビューを見る
んんんんんーーーーーーーーーーー
なんとも言えない読み終わり…
正直、女性として共感できるところがたくさんあることが悲しかった。
韓国のお友達の顔も浮かんだ。
女性の権利、平等って何だろうって。
男女とも幸せに生きていくためには、本当は何が必要なのか。
それはずっと私が考えてきたこと。
でもフェミニズムには抵抗が少しあって。
いつも結論出ないよね。
男性にも言い分あるよね。分かり合える日が来るのか?!
今はLGBTの人たちも。
みんなで個性豊かな自分たちをそれぞれ大切にして、新しい世界を創造していけるといいのに。
やりたいことを皆んなが堂々とできればいいのに。そんなことしたら、世界は回らないのかなぁ。
投稿元:
レビューを見る
男女の教育格差、就職差別、セクハラ、盗撮、痴漢、男性の問題がなぜか女性側の問題になること等、日本で女性として生きると起こりえる嫌なことすべてが、お隣の国、韓国でも起きている…?ということに驚いた。もちろん、韓国は夫婦別姓であることや、男性のみの徴兵制、就職活動の在り方等において日本と違うところもあり、それも興味深いのだが、とにかくキム・ジヨン氏の言葉や置かれた環境に共感できるところが多い。
この本、儒教の影響があまりない国ではどう読まれているのかに興味がある。
この本の主題ではないが、自分のことを他人事のように話すことを”幽体離脱話法”と呼ぶ、と書いてあってとても面白い表現だな、と思った。
投稿元:
レビューを見る
何かカタルシスを求めて読むと読後辛い。ひたすら問題を提起している小説。
韓国で話題になっているのが分かるし、日本もこの本が話題になる国であって欲しい。
或いは、昔そんな事もあったの?今では信じられないね、という意味で話題にならない国になって欲しい。
投稿元:
レビューを見る
読書中は、ちょっとしたトランス状態に。女性が年齢ごとにうけている理不尽を、自分では気がつかなかった(ふり)理不尽を立て続けにみるのだ。セクシャル(な被害)をあえて描かず、ソーシャルに特化し、カウセリングの所見というアプローチをした小説、読み手の熱狂とヒステリックを誘う。
特に母が不動産を転がす場面と、主人公の出産場面、真顔で読んだ箇所。
決意したことがある。「わたしは(差別、セクハラされた)経験ないから」と言葉にだしたり、経験あるひとを突き放してしまうことを、絶対にやめよう!と。わたしができる小さな小さなことだけど。
投稿元:
レビューを見る
いわゆるフェミニズム文学ですが、ただそれだけであれば100万部のベストセラーにならないでしょう。本書は、精神が崩壊した主人公の主治医(精神科医)の手記という形で、淡々と彼女の身に起こったことが記述されています。それはその年代のごく普通の韓国人女性の歩んできた人生です。その普通さへの共感が、多くの人の心に響いています。
彼女は、正社員として働き、結婚し、子どもも生みました。それだけ聞くと、とても順調な人生に思えるかもしれません。それにもかかわらず、なぜ彼女は狂ってしまったのか。彼女を狂わせたものはなにか。
彼女自身の人生を描くことで、彼女のまわりにある空気・社会そのものの輪郭をあぶりだしている、そうした作品です。言うまでもなく、彼女を狂わせたのは、女性への社会的な抑圧であり、それにがんじがらめになっている彼女自身を含めたすべての当事者です。
この物語に、特に救いはありません。
この物語が問いかけるのは、「彼女がこうならないために『私たちは』どうすればよかったのか?」です。
訳者あとがきからの引用になりますが、原書の解説を書いたキム・コヨンジュ(女性学専攻)は、
"「彼女一人で解決できないことは明らかだ」とし、この本を読んだすべての人がともに考え、悩むことからすべては始まるだろうと示唆している"
これは、「キム・ジヨン」だけの固有の問題ではなく、「私たち」の問題です。
タイトルに固有の名詞が使われているのは、固有の問題がそのまま普遍的な社会問題につながっていることを強調しています。
韓国も、日本と同様にジェンダーギャップ指数のランキングは144か国中、118位(日本:114位)と低いです。
こうした社会において女性たちがあげ始めた声は、女性嫌悪、バックラッシュ(反動)などさまざま形で現れます。#Metoo運動の盛り上がりによって、女性を忌避したり、男性だけで集まろう、みたいなことが起きるようなものです。そうした反応が、この問題を解決するものではないことは、自明だと思います。
一般にネガティブなメッセージを発信する場合、小説という形を取ってそれが発せられることが多いです。人間の心の闇や社会の暗部などといったネガティブな描写や言説が通りやすいからです。
社会がそれによって、1ミリでも動くなら、ネガティブなメッセージにも十分に意味はあるし、それを見ないふりせずにきちんと受け止めることをしたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
多くの人に問いたい。あなたが放つその言葉は自分の娘にも言えるのか?と。僕自身が本を読んでそう問われていると感じた。
キム・ジヨンという一人の女性に焦点をあてながら終始客観性を感じる内容となっており、読む人自身に何を思うかを委ねられているのがよかった。
特定の属性や特定の個人の例を誰かやカテゴリーにあてはまるのではなく、もっと解像度高く世界を見ていく必要があると思った。
日本ではあまり話題になっていないけど、もっと広がって欲しい作品。
投稿元:
レビューを見る
一言で言うと、衝撃だった。
ここまでの男尊女卑は遠い昔の話だと思っていた。
読んでいて腹が立つくらいの性差別。
こんな時代があったのか、、と思った。
現在でも政治家の発言など、
たまに女を見下したような発言をする人間もいるが、
問題になっているし、古い考えの人間もいるもんだなぁ、
くらいで、深く問題意識までは持っていなかった。
でも実際は現代にも起こっている。
私は女だが、正直女だから生きづらいと思ったことはない。
一人っ子だから男兄弟と比べられることもなかったし、
やりたいことも学びたいこともやれてきたし、
今女性が多い職場で働いている。
自分は性差別とは無縁だ、と思っていた。
でも、よくよく考えてみると、
生活の中にも性差別は無意識のうちに含まれているし、
自分の中にもあることが気づいた。
同期と仕事と将来について話している時、
「男の人は今の給料じゃ大変だよね、家族を養う立場なのに」
こんな言葉が自分が無意識に言っていた。
私は"事実"を述べているつもりで、この時口にしたが、
これは立派な差別ではないか。
家族を養う立場は、性が決めるのではなく、その家族が決めること。
このような無意識的に社会が構築する性差別が
日本にもたくさんある。
この本では女がテーマになっているから、
男性からしたら逆に男性の在り方を悩んでしまうこともあるかもしれない。
これからは男尊女卑から抜け出すことではなく
男女平等を目指すことをしていく必要があるのではないか。
身体的な性の違いは変えられないが、
"男だから""女だから"という言葉について
これからも考えていく必要がある。
まずは自分の中な無意識にある性の差異に
気づくことから始めたい。
投稿元:
レビューを見る
「恥を知れ」
読了後、「キム・ジヨン」氏に、女性たちに、そう言われた気分になった。
自分に興味のない事・関心がない事は、目の前で起きていても気が付かない。マジックミラー効果。
女性である、という理由で抱える理不尽な悩み、苦しみ。日頃から性別関係なく、対等に個人として女性と接してきたつもりであったが、薄々気付いていた。
あるショッピングモールで「お客様からの声」のボードの下に掲示してある店長の顔写真が女性だと
「女性店長か。珍しいな」と。
変えようの無い生理的問題(女性しか子どもが産めない)があるにせよ、その事が今現在でも妨げとなり、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」から何も変わらない現状。
この本が多くの男性に読まれ、今年3才の姪が大人になる頃には、「女性初の」なんて言葉は死語になり、少しでも女性が「個人」として自由に生きていける環境になる事を望むばかりである。
投稿元:
レビューを見る
同じ女性として共感できる部分はたくさんあって、久しぶりに一気に読みました。30代の韓国の普通の女性が辿ってきた人生を女性目線で書いた内容という感じを受けました。
同じ女性として共感できる部分があるにはあったのですが、正直に言うと、あまりにも女性という視点から見過ぎかな、とも感じました。この内容だと男性=悪みたいな極端な考えに至る人もいるんじゃないかと。ただ、女性が日ごろどんなことを感じているのかを知るという点においては男性にも読んでもらえると女性の視点というものを知ることができるとは思います。これが正しいとかは置いといて。
韓国でも日本でも性別の違いによる格差をなくそうとしてはいる昨今ですが、そうであってもやはり女性しか子供を産めないことのようにそれぞれの性別でしかできないこともあると思っています。
私自身としては、お互いに攻撃しあうよりは、良いところを認め合って、理解して生きていくような社会になればいいなとこの本を読んで改めて感じました。
投稿元:
レビューを見る
韓国で社会現象になったベストセラー。文化系トークラジオLIFEで紹介。
とても読みやすく、韓国の作品だということを忘れてしまうほど、日本との共通点が多い内容でもあった。自分で考えることに誘ってくれるような読後の後味の悪さがとても良かった。
サラッと読み終えた後に、巻末に掲載されている伊東順子さんと、斎藤真理子さんの解説を読むと、新たな気付きもあり、再読せねばと思わせられる。
なお、今度、映画化されるそうである。
投稿元:
レビューを見る
小説というかルポというか。ああわかる、ええそんなことが!?を行ったり来たり。女と男の差別でなく、区別をしなやかにできるようになりたい。
とにかく残業できぬ日々に苦しみ、どうしてものときはシッターさんを手配し、まあひとりでやったほうがめんどくさくないから、と思ってやってたけど、まあ溜まってくるんだよな、ウラミツラミがさ。誰が悪いとかではなく、大事なのは確かな教育だな、と思ったり。大人の教育。子がいるいないにかかわらず。