紙の本
愚策だけでしょ
2022/09/10 16:22
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投稿者:名無し - この投稿者のレビュー一覧を見る
改革って、竹中さん、あなたのやってきたことは、愚策だけでしょう? 非正規雇用の常態化、賃金の抑制、外国人労働者の積極的登用、など。日本経済、ひいては日本社会を衰退させたのはあなたですよ。
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平成の終わりに当たり「総括」をデータに基づきキチンとしようとする姿勢は素晴らしい
遣りっ放し、C-Aのない我が国
「IT化・グローバル化」への対応がメインテーマだが
日本は結局変われなかった
改革は出来ず
橋本政権は改革の準備を果たした
小泉政権は改革の扉を開けた
安倍政権は残念ながら長期政権しか残せなさそう
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平成の30年間を経済政策といった点で振り返る事ができる良書。
過去に行われた経済政策がどのような変化をもたらしかを、数字を用いて客観的に感じる事ができる。我々が得ている多くの情報は私見が入ってる為、数字をみる事で有効な政策、愚策なども振り返る事ができた。
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竹中平蔵氏が自身も活躍された平成の30年間の政治経済の改革を総括、批評する本。功成し名を遂げているはずの竹中さんですが、まだまだどうして舌鋒鋭すぎる内容が面白いい。特に第五章「平成に横行した10の愚策」という章は、時を経ているからこそできる答え合わせ的批判として、参考になる。特に日銀、90年代の自民党、民主党政権への批判は手厳しい。最終章は平成の教訓と令和への提言。教訓は「市場の果たす役割の重要性」、「規制緩和」、「実行した政策の効果を分析、評価する文化」、「強い政治リーダー」、「縮小戦略・切り捨て戦略」。これに対して令和の世の中では、PFI,コンセッション、スーパーシティ、明るい縮小戦略、人口集約、非連続の変化などを実行することを提言して終わっている。改革を志す政治経済リーダーは知識として読んだ方がいいように思う一冊。
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【試みと蹉跌と】経済的には不況やデフレに悩まされ、「失われた30年」という言葉も巷間に流布した平成という時代。約30年の間に試みられた改革と「愚策」を振り返りながら、来るべき次の時代に求められる政策について提言を行った作品です。著者は、2001年から経済財政政策担当大臣を務めた竹中平蔵。
極めて平易に、かつ論理的に話が進められていくので、読みながら思わず「なるほど」と膝を打ちたくなってしまう作品でした。本書の白眉は、著者自身も主要な役割を果たした小泉政権期の振り返り部分。平成の中での異色の時期が、何故に異色であったかがよくわかりました。
〜平成の時代を経済面から分析・総括して私がまず強調したいのは、「失われた30年」という見方は誤りだ、ということである。平成の約30年は、失われた30年ではなく、正しくは「まだらな30年」であった。〜
やっぱり本人の言葉に当たるのが一番☆5つ
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竹中氏の見解は若干あるものの、概ね妥当で中立の立場から平成の経済及びそれへの対策等を振り返っている。
平成は終わり、本日は令和元年初日(5月1日)であるが、振りかえるにはまだ遅くはないだろう。
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全てに同意できるわけではないけど、平成の愚策10選は面白い。規制緩和の流れは小泉改革で止まってしまったね。
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竹中平蔵氏に興味があって読んでみた。内容はほぼ自身が行った改革の総括と他の内閣との比較に焦点があっていた。過去の政策を振り返るのに参考になったが、この先の改革にはもうひとひねり必要そう。
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ご自身の政策や施策も含め、振り返りながら検証していく。結局「平成の失われた30年」とは何だったのか。
本書を読みながら、私自身が平成という時代を総括するとしたらどうするかを考えてしまった。
著者と私は年齢も異なるため、同じ平成元年であっても、その時が10代・20代・30代・40代・・・だったとしたら、その景色の見え方は様々だろうと思う。
私自身は平成元年の1989年は大学1年生だった。
大学4年間のほとんどはバブル期の最中と言え、貧乏学生だったために、世間の景気の良さという実感は当時も無かった。
しかし、今思い返してみると、自分自身がお金を持っていなくても、なぜか心の余裕はあったような気がする。
もちろん自分が青春時代の真っ只中であるし、今よりも視野も視座も貧弱であるのだから、当時の社会を正しく見えていなかったという点もあると思う。
今の大学生の方が、よほど将来を考えているし、しっかりしていると感じるが、現代のような閉塞感は当時なかった気がする。
これは、私だけの錯覚かもしれないし、やはり社会がバブルで浮かれていたのに乗せられていたのかもしれない。
あまり深く考えずに、将来に対しても楽観的で、ただ遊び惚けていたように感じる。
当時から社会人だったり、その中でも重責を担っていた人は、また感じ方が異なるだろうと思う。
そういう時代背景を感じながら、平成をどう総括していくのか。
著者は、平成を「失われた」訳ではなく、「まだら」だったと説く。
私自身は平成年間を20代・30代・40代と30年間過ごした訳であるが、確かに感覚的に「負け続けている」というのは、言い過ぎな気がしてしまう。
牛丼は安くてありがたかったが、飢えて食べる物に困ることは無かったし、失業もせずに何とか仕事を続けていられた。
もしかしたら恵まれた環境だったのかもしれないが、そんなに酷くなかったような気がしてしまうのだ。
もちろん、著者が見ているのはもっとマクロな視点だから、様々な目に余る愚策もあったのだろう。
私はイチ消費者として、インターネットが登場した時には心躍って、何とか回線を繋げたいと配線やら設定やらと格闘しながら、夢みたいな新しい世界を楽しんでいたし、カラフルなiMacにも胸がときめいていた。
携帯電話のガラケーだって、折り畳みタイプが出た時は「格好いい!」と思って、衝動的に機種変していたりした。
iPodだって、登場した時はビックリしたが、「何で日本企業がこういう製品を作れないのだろう」とは考えもしなかった。
ただiTunesの仕組みとか、CDを買わなくて済むとか、そういう部分で「すごいことを思い付くなぁ」なんて、気楽に考えていた。
こんな日常を過ごしていたのは、私だけではないはずだ。
大多数の人たちが日本国内の狭い場所だけにいたから、世界との差が開いていったのかもしれない。
そういう意味では確かに「まだら」だったのかもしれない。
2011年は震災もあったし、色々な意味で勝ったり負けたり、激変の時代を過ごしたような気がする。
今思い返すと、民主党政権とか、「2位じゃ駄目なんですか?」とかは何だったのだろう。
そういう時代をそのまま気にもせずにいた自分が、逆に何だったのだろうかと思ってしまう。
様々な政治や経済の施策については、私は門外漢なので何か批評できる訳ではないが、よくも世界第3位の経済大国をキープ出来ていると思う。
問題は本当にこれからなのだろう。
「非連続の変化」にどう対応していくのか。
平成30年間は色々とありながらも、人口が1億2千万人台をキープできていた。
ここから令和の時代になり、大幅な人口減少社会に突入していくと思うと、これから社会をどうやってリデザインしていくのか。
政府だけでなく、我々個人レベルでも想像しながら対応を考えていくしかないと思う。
著者も記しているが、もし「平成の愚策」をたった一つだけ上げるとすれば、「人口減対策を怠ったこと」と言えるかもしれない。
平成年間でも総人口1.2億人台とは言え、高齢化は進んでいたし、当時から「このままではマズイ」という警鐘は鳴らされていた。
つまり、注意喚起されていても、何も行動できなかったということだ。
私自身、結婚して子供を授かったが、結果一人っ子になってしまった。
もしかしたらタイミングさえ合えば、もう一人二人子を授かったかもしれない。
今となれば何とも言えないが、人生を流されるままに生きている人は、私も含めて案外と多いのだろうと思う。
つまりは、流れさえ上手に作れれば、流されてくれた人もいたかもしれないということか。
それが政治の力なのか経済の力なのかは分からないが、もしかすると「まだらな平成」というのは、そういう時代だったのかもしれない。
誰もが主体性を持てず、流されるのを待っていたが、流れを作ることもそれに乗ることも佇んでしまったのではないだろうか。
私自身が一番そのことを憂う。
人生を後悔しても意味はないが、これだけ先が見えない未来については、そのまま流されて生きていくことが、むしろ危険な気がする。
それでは、どうやって主体的に生きていけばよいのか。
ここは自分自身でよく考えて、意識を変えていくしか方法がないような気がする。
すでに時代は連続した直線上ではなく、「非連続な状態が普通」であることが確実だ。
つまり「変化」を繰り返すのだから、数年後にはガラッと価値観が異なる社会になっていてもおかしくはない。
そこでどう生きるかは、やはり自分次第。
平成時代は「このまま続く」という勘違いが、流される人々を生み出してしまった。
令和の時代は、この状態のままで続くことはあり得ないということを理解して、自分で流れを作っていくことが大切なのだと思う。
大変だとは思うが、平成を反省しつつ、未来に向けて前向きに生きていくしかない。
(2023/9/5火)