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夢現の章は私にはあまり理解できなかったけれど、肉親ではなく唯一無二の友達を亡くすという喪失感もまた、私にはまだ分からないものだ。
彼女を取り巻くあれやこれ、忘れていこうとする人、忘れられない人、忘れたい人。そのどれもこれも静かでずっと悲しくてつらくて、誰かの家族や友達や知り合いをみんな飲み込んでいった津波、何千何万何十万の人の心をいまもきっと蝕んでいるのかな。
当事者でない私はこんな風に思いを馳せることしかできない。それでもこうして時々ふれるべきだと思う。
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決して明るい話ではないのだけれど、それでも読んでいくにつれてだんだん気持ちが軽くなっていくような、前向きに生きようって思えるような本だった。
久しぶりに、とても時間をかけてゆっくり読んだ本だった。
読み終わるのに半年くらいかかってしまったが、今思えば、それくらいの時間をかけなければ読み切れなかったと思うし、それくらいの時間をかけてでも読み切りたい話だった。それだけ、中身の濃い、濃密な世界感が広がっていた。
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私も主人公と同じで、亡くなった方はずっと同じ場所に留まっているイメージだった。だって地縛霊とか言うし。
でも遠野くんは「歩いている気がする」と。
それは彼が言っているように、「卯木すみれ」だからかもしれないけれど、そう考える方が余程いいのかもしれない。
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解説にもあるが、本書はノンフィクション『暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出』での著者の経験から紡ぎだされた悲しく、苦しく、そしてそれぞれの希望の物語だ。旅先で津波にのまれたすみれ、親友の喪失を引きずる真奈の、二人の視点で物語は進む。人の一生を山から流れ出す川に喩え、海へと注ぐ河口が此岸と彼岸の境界というのは、象徴として腑に落ちる。東日本大震災関連書籍を今年も読むことができて良かった。
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「ものすごい数の死者の置き土産が積み上がって、今の世の中ができている」
何を置いていってくれたんだろうって思う。
悲しみだけではなかった。
でも、思い出すのは悲しげな顔なんだよなぁ。
まだ痛む。
この痛む心はやっぱり優しさを覚えているからなんだろうな。
だから、痛みすらをも私は愛しく思う。
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学生時代に震災に遭った女性の親友&恋人の心を繋ぐ話。あの震災には、簡単に言い表せない其々の人達の人生を一変させる話が有るのだろうと改めて考えさせられる。
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. 「少し前までは都合のよい解釈をして死者を置き去りにし、楽になる事だと思っていた。けれど、それだけではないのかもしれない。もっともっと難しくて、勇気の要ることなのかもしれない。」
「また、たくさん歩くだろう。痛みや傷を溜めるだろう。それでも全然構わない。歩き続けた先で、何度でもなつかしいあなたに巡り会いたい。」
震災による大切な人との別れをテーマにした作品です。悲しみとの向き合い方のヒントを与えてくれます。
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僕はこんなにフカクフカク人を想った事なかった。
こんな喪失感を抱いた事もなかった。
メチャメチャ沁みました。
これからの僕の血肉になる1冊です。
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作者自身が、東日本大震災を間近で体験したからこそのリアル感があった。彼女自身がこの物語を書きながら答えを探している気がした。大事な人を忘れていくことが怖い。
"フカクフカク愛し合える人が欲しい"
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この本を読むきっかけは君の膵臓を食べたいのアニメの映画で主人公が読んでたから。
住野よるさんが主人公に読ませるならっていう本
大切な人を震災で失った人の話し。
感想を文字にするのが難しい。失う経験は今までしたことないし、失うことを想像するのもなんか違う。読んでて何も思わんかったわけじゃないけど、わからないっていうのが正直なところ。
たぶん、唯一読んでてしっくりきたところ。
震災を忘れない、戦争の悲惨さを忘れない、風化させないってなにを忘れなければいけないんだろう
ここまで津波がきたとか、組織でこんな不手際があったとかは教訓で忘れる忘れないとかより、当たり前のものにしていかなきゃいけない
忘れないって力んで言うのはもっともやーっとしたもので、死んだ人は悔しかったねとか、被災者はかわいそうとか。
戦争を経験したわけじゃないし、身内をなくしたわけじゃない、その人たちとは全然一緒じゃないのに。忘れないっていう言葉がうさんくさく思えてきた。
ふだんやったら手に取らない本を読めてよかった。
共感はできなくて、わからないけど、考えさせられて、心動かされた本でした。
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2019年の3.11前後に読んだ作品。
ここ最近、死ぬことと生きることについて深く考えることが多くなって、そんなときにたまたま読んだ。想像ラジオを1年前くらい?に読んでいたので、違う視点が興味深かったし、実際に被災した著者の言葉の選び方も感情の動きもリアルで、何より一瞬にして大切な人を失うやるせなさと、その人に対する残された人の生き方。描き方は残された私たちそのものだったと思う。私たちは想像することしかできないから、想像ラジオしかり、あの時波にのまれた人たちが、どのように、いや魂がどうやってどこにいったのか、果たしていけたのか、何を思っていたのか、思い巡らすことしかできない。それを文学に落とし込んで私のような読者に与えられているんだと思うけれど、今生きている私たちができる最低限で、最大限のことなのだと思う。
今日で広島に原爆が落とされて74年経つ。自然災害と戦争は異なるけれど、一瞬で多くの命が奪われた災いということに変わりはない。だから今日、いま、なんとなくこの投稿をしたくなったのかもしれない。大切な今はいない人に思いを馳せたいのかもしれない。
作中で真奈が、頑なに死んでしまったすみれのことを忘れないことが供養であると遺品を捨てられないシーンがある。忘れさられる時が、その人がほんとうに死んでしまう時だと私は真奈と同じ価値観を持って生きてきたから、心がとても痛かった。そして、それに対する遠野くんの価値観も違う意味で心が痛くて、でも少し受け入れられた。解説の東えりかさんの最後の言葉が、ずっと心に残っている。
生きていても死んでしまっても、いつかはみんなどこかへたどり着く。じぶんもいつかそこに行く。そう信じると、気持ちの底が温かくなる物語である。
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追悼のかたちはひとの数だけある。
死についてどう思うかも。
私はどちらかというと遠野くん寄りで、最期はひとり、だとやっぱり思う。忘れることを自分に許そうとすることも、それでいて夢に出てきたら嬉しくなって主人公に電話しちゃうのとかも、肯ける。(主人公には不評だけど、遠野くんいいやつだよな?)
死んだあとどこに行っただろう、ということよりも、死ぬまでのあいだ何を思っていただろう、と考える。あのひとはどうしてほしかっただろう、と考える。
ううーん、こたえのない問題。
すみれ視点を読むと、さいごは、ひとりでも、ひとりじゃないのかもしれない、という気持ちになるけれど。
でも、「どんな人間の生き方も、死に方も、それなりに大きな影響をこの世に残す」というのがほんとうなら、私の中に残っているものがあるのだろうか。たとえば、と国木田さんが例に出したのと同じ経験を私もしたけれど、それは私の何かになって、さらに私が関わる何かの何かになるのだろうか。
そう思ったらめちゃくちゃに泣いてしまった。
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身近な大切な人が突然死んだとき、残された人はどのように思い生きていくのか…大切な人を震災でなくした主人公が葛藤しながらも徐々に死を受け入れて前に進む姿に感心した…
あと、死者視点での描写は突然の死がもたらす残酷さに衝撃というか落胆を覚えた
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感情移入できないまま読了。
詩的表現が多すぎて、好みではなかったこともあるのだけど、多分、私にはまだ大切な人を亡くした時を想像する覚悟がない。
だって明日も明後日も、いつもの通り続くもの、と言い訳しながら。
いつか避けられないことは知りながら。
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『暗い夜、星を数えて』の後すぐ、一気読み。
津波から間一髪逃れた体験を持つ作者が、物語にしてその体験を経験に昇華させた。
p.152〜 女子高生二人と話すシーンがある。
「忘れないっていうけど誰かにとっていいことあるの?…うさんくさい、それさえ言っとけばいいだろ的な、考えるのをやめてるかんじ…もしふたりのどちらか死んで二度と会えなくても、遠くにいても、友達のままでいたい」
きっと本当の絶望を知らないからこんなこと言えるんだと思う主人公、しかしここで大きく救われた気がする。
毎年3月に読み返したいと思う。