投稿元:
レビューを見る
とても楽しかった〜!
ご本人も後書きでおっしゃっている通り、証明されている事実かどうかはともかく、養老孟司という個人がどう考えてるのかを知れて良かった。
私自身一般的でないジェンダー感を持っているので、養老孟司御大の「曖昧なのは当たり前」「ほっとけば皆雌になる」等のお言葉は大変救いになった。生き物には多様性がある。それでいいんだ。
長尺を占める「都市化」の話も興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
P192
結局「身についたもの」だけが
財産となる
P254
「ああすれば、こうなる」だけに
なった現代社会
P262
計算高い世の中では子どもは生めない
P213
都会ではすべてを予定しようとするから
現在がどんどん大きくなって
未来を食っていく
P222
大人というのは
好きなことをやっているときに
それは何のためだという
無意味な質問を繰り返しする動物
P270
知識は自分の考えを説明するときの
材料である
投稿元:
レビューを見る
たまたまヒトのゴキブリ嫌いの理由に興味を持って、養老先生が執筆されているとのことで読んでみた。
都市に住むヒトの自然の捉え方をまるっきり変えてくれる一冊だと思う。
ヒトは歴史的に絶えず自然を排除してきた。なぜなら自然は予測不可能なものだから。天災はその一つ。だからヒトは自分の脳の想定内のことを具現化する人工物を作ってきた。それが都市。
だから都市に住み着くヒトは徹底的に自然を排除し、ムシを嫌ったりする。その象徴がゴキブリであり、一向に都市から排除できない存在であるが故に、ヒトは酷く嫌うのだろう、という論理。
かく言う私も、ゴキブリを含めムシはとてつもなく苦手なので、都市が作ったヒトの一人。
ここで湧く疑問。ヒトも自然じゃね?
そう、もちろん自然!多分私たちは自然なんだっていう考えこそ最も欠けたものだろう。
本書に沿っていくつか例を挙げてみる。
・ヒトの死も自然なことだが、人工的な病院で隔離し、死を特別なことに昇華させる。ヒトが道端で横たわっていたら驚き慄くだろうが、本来は自然の死がそこにあるだけのこと。
・ヒトは本来裸であることが自然であるが、都市は服を着ることを強いる。
・女性は妊娠・出産などのヒトの自然的な営みは都市空間にはそぐわない。都市を成す会社に属していれば産休を取らなきゃいけない。
例は色々あるが、本来自然的な存在であるヒトは人工的な都市に順応せざるを得ない。
順応させるものの一つに教育がある。子どもは自然の存在であるため、教育を施して人工的な存在に仕立て上げていく。
本当にここまで人工化を推し進めてしまっていいのか?
私はバランスが大事だと思う。ヒトは自然の存在なんだから、予測不可能な人生を歩むことを大切にしつつも、都市生活に順応できる器を大きくしていく。
養老先生も末尾で楽しいことをやりつつも、淡々と浮世の義理をもこなしていると語っており、自然と人工に折り合いをつけながら生きていくことがいいんだろうな、と。
投稿元:
レビューを見る
解剖学を専攻する、東京大学名誉教授である著者の講演録。
いつになったらゴキブリがでてくるのか?私の思っていた内容とは、大分違っていた。
タイトルの付け方はどうなんだろう、インパクト重視?結局ゴキブリは比喩的な使われ方で、しかもほんの一行ほど。
全体的に何を言いたいのか、ちょっと入ってこなかった。
投稿元:
レビューを見る
『都のものは全て田舎を源にするものにて』という鴨長明の方丈記の引用があったがまさにだなぁと。
都市的な、人の意識の世界がすべてになってきていて、全てが頭で理解できないと気が済まない世の中になってきている。
宗教が補っていた、人はなぜ死ぬのかなどの"ブラックボックス"も、どんどん弱くなってきている。
投稿元:
レビューを見る
著者が現在の日本のおかしいなと思っているところをズバズバと日本史や海外を実際に見た観点から話している。
都市化という言葉がよく出てくるが、その言葉と自然という言葉を対義語として、日本は全然自然ではなく、人工のものだと語っている。
確かに大人になるにつれて目標や未来のことを考え、ああすれば、こうなるを求めるようになってきているが、本来はやっていたら辿り着くというのが理想なのではないかという感覚は共感した。つくった生活を生きるのではなく、どうなるかわからない世界に身を置いたりそういう環境を自ら作ってみることが人間の自然なのではないだろうか。
投稿元:
レビューを見る
都会と田舎。
自然と人工。
対比が面白かったです。
人間は自然を排斥して全てをコントロール下に置こうとする傾向がある。
その点をGで騒がれすぎている、ゴキブリを例に挙げている点は流石だと思いました。