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弁造さんの庭とエスキースを20年にわたって見続けてきた話。
夜盗虫の話もホラっぽいけどガルシア・マルケスみたいですばらしく、忘れがたい。
年寄りの繰り言よろしく、同じようなトーンの話が何度も何度も繰り返されながら、ジワジワとその世界に入り込んでいく。時系列も少し行ったり来たりする。それがちょっとガルシア・マルケスっぽいと感じた理由か。
写真家だから、と言ってしまうと安易に過ぎようが、饒舌ではないのに、光景が鮮やかに見えるような文章で、丸太小屋やメープルの木陰の光が肌にあたるのを感じられるようだ。
海の大きさに改めて驚いて、しかしその海と渡りあう人間を応援するところにはグッときた。私も東北の人間だからか。
最後の一葉の写真もいい。
庭というのは、こういうものなんだな。
庭の遺影か、それとも庭は生き返ったのか。
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本を読む時間のぜいたくなこと、豊かなことを実感できる一冊。弁造さんが職業欄に「画家」と書いていた場面で泣いてしまった。
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七十をとうに超えた弁造じいさんと
まだ二十代だった写真家との
二十年の記録
と言っても
その写真家の写真はわずか、
ほとんどはその綴られた文章である
北海道の開拓地のあとに
独り住まいをされている
弁造じいさん
そこで 自称、自給自足をされている
弁造じいさんの元へ
若い写真家である奥山さんが
愛犬さくらと一緒に
二十年の間、通った様子を
淡々と綴られているのですが
これが まことに
しみじみと 心に迫ってくる
弁造じいさんが
奥山さんを相手に
しゃべりかけている様子が
まざまざと浮かびあがってくる
特別なことをされた人ではなく
まぁ ある意味では特別とも言えますが…
その弁造じいさんの
日々の暮らしが語られるのですが
その日常の風景が
なんとも 貴重なものとして
胸に迫ってくる
挿入されている
写真の一枚一枚が
すばらしいことは いうまでない
こんな一冊を読んでしまうと
全ての人の 全ての人生は
語るに値する
と 思わせてもらえる
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とても美しい写真、佇まいの本である。
25歳の奥山青年は、他者を通じて「生きる」ことを知りたいと考え、北海道の新十津川にて自給自足の生活をしている78歳の弁造さんの写真を撮り始める。弁造さんが亡くなるまで続く15年間の2人の交流を中心に書かれている。
弁造さんは、独自の美意識で「庭」を作り上げ、青年時代に画家を志し、一度は挫折したものの80歳から再び下書き(エスキース)を描き始めた。
弁造さんはかなり変わり者のようだが、読み進めていくうちに、優しく、ユーモアもあり、愛すべきキャラクターであることがわかる。そして、弁造さんは無名だが、だからこそ、「生きる」ことを肯定する姿や発言に鮮烈な印象を受ける。
挟まれている写真が綺麗で、読むのが心地良い本です。
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写真は当たり前に良かったけど、文章がとても濃密で、美しくてハッとするような言い回しが多くて、何個もフレーズをメモした。濃密すぎて、1章ずつ余韻を味わいながらしか読み進めることができず、時間がかかった。目で文字を追っているのに、講演会で直接弁造さんのお話を聞いているような空気感だった。時間についての哲学感、生きること、死ぬこと、たくさんの思考を共有してもらった。写真集も手に取ってみたい。
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東京から岩手に引っ越した若き写真家と、大正の終わりから北海道・石狩平野の外れで自給自足の暮らしを営む「弁造さん」の、1998年に出会ってから2012年に弁造さんが逝ってしまうまでの、14年間の交流の記録。
どれだけ深く語り合おうと、他者のことはわからない。「弁造さん」のような自由奔放な人なら尚更そうだったのだろう。そこで想像するのをやめ、孤独や諦観に浸るのもいいのかもしれない。でも作者の深山さんはわからないながらもその事実を「不思議さ」として受け止め、記憶や遺品の数々から「生きること」(亡き後は「不在」)の意味に少しずつ迫っていく。
北海道の美しい自然の描写や写真も随所にあって、またいつかゆっくり訪れたいと強く思った。
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自給自足のための庭を作り、一人暮しの小屋で好きな絵を描く。世間や文明を否定した隠遁ではなく、好奇心や科学的研究心、ユーモアに溢れる暮しを送る弁造さんに惹かれ写真を撮り続けた若い写真家が、彼の没後にその思い出を綴った思索的なエッセイ集。描き続けた絵は完成せず庭も自然に還ったが、自分の信じること、好きなことを最後まで続けた素敵な人生と暮しへの思いは、この本になって残り続けることになった。写真と絵の展示会が開かれ、限定販売の写真集もあったようだけど入手は困難。いつかどこかで出会うことがあればいいな。
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弁造さんとの思い出、人柄、北海道の自然、庭の美しさが淡々としていているようで、ハッとするような美しい文章で書かれていて、何日からかけて少しづつ読みました。
弁造さんの死後の周りと人たちとの関わりも、筆者の人柄なのかな、とても微笑ましいです。