投稿元:
レビューを見る
森田さんのエッセイ19篇。数学の難しい話は一切なく、哲学の本と言ってもいい。つながり・主体と客体などの同じようなテーマで書かれているように見えるが、視点はいろいろ。「意味」という話を読めただけで私には価値のある読書体験だった。あとアラン・ケイのことを改めて調べてみたくなった。
投稿元:
レビューを見る
はじめておとづれる異国への旅の機内で読了.
旅行や仕事で海外をおとづれると,いかにふだんの自分の生活が日本の東京のある業界で仕事をしている40代うんうんというコンテキストとそれをとりまく情報社会に絡め取られているかを実感として感じるわけですが,森田さんは京都の人気のない土地での普段の生活の中で,数学を通して,そんなコンテキストを異化して「現在」を直視してる.
読んでいて「生の感覚」がピシピシと伝わってくる.
投稿元:
レビューを見る
日本経済新聞社
小中大
記事利用について
印刷 印刷
あとがきのあと「数学の贈り物」 森田真生氏 先人の気付きをつかみ直す
2019/4/6付日本経済新聞 朝刊
「人はみな、とうの昔に始まったこの世に遅れてやってくる。先人の気付きを自分の言葉で考え、つかみ直すことを繰り返しながら、果てしのない遅れを自覚するとき、present(今)がpresent(贈りもの)だと実感する」
数学を糸口に学びの世界が広がる随筆集だ。ウェブ雑誌に2014年から季節ごとに書いた17編を基にした。連載開始とほぼ同時に、数学に関する本を扱いながら生きるとは何かを語るトークライブも始めた。「ライブで直接言葉を届けるように、親密な、心の通う相手に向けて言葉をつないだ。来場者に直接本を手渡すつもりで本を贈りたい」
16年に息子が生まれた。子供は大人のように空気を読んだり、効率を追求したり、損得だけで動いたりはしない。子供はその一瞬一瞬を懸命に、こん身の力で生きる。「自分が滅びても命がつながることに希望を感じられるようになったことが一番大きい」と話す。
表題には「数学」が入るが、数式はほとんど登場しない。「英語のマセマティクスの語源はギリシャ語のマテーマタ。『初めから知っていることを再びつかむ』という意味がある。ソクラテスは『学び知ることは思い出していくこと』だと言った。本来の意味を首尾一貫して使い広めたい」
岡潔、オスカー・ワイルド、松尾芭蕉、アラン・チューリング……。生きた時代も活動分野も異なる人物が登場する。彼らがどう共演しているのか。それを楽しむのも面白い。
難解な数式とにらめっこするわけでなく、息子との散歩や友人との会話など日常から生まれる一瞬の気付きから研究は始まる。身体的な実感が伴った生きた言葉が持ち味だ。
「言葉は本来『こと』の『端(は)』だという。言葉もまた事実に遅れるが、『こと』を引き起こす力があり未来の『端(いとぐち)』となる」。この本が今を生きる人に、そして遅れてやってくる未来の子供たちに届くことを願っている。(ミシマ社・1600円)
(もりた・まさお)1985年東京生まれ。大学や研究機関に属さず在野で活動する独立研究者。デビュー作『数学する身体』(新潮社)で小林秀雄賞を最年少受賞。
このページを閉じる
本サービスに関する知的財産権その他一切の権利は、日本経済新聞社またはその情報提供者に帰属します。また、本サービスに掲載の記事・写真等の無断複製・転載を禁じます。
NIKKEI Nikkei Inc. No reproduction without permission.
投稿元:
レビューを見る
意味が数学についていけなくなった、という表現が言い得て妙。
機関車トーマスの誕生の秘密も驚き。
全体的に素朴すぎな感じが。
投稿元:
レビューを見る
この著者には前から少し興味があった。代表作である「数学する身体」をまず読むべきだったかもしれないが、行きつけの本屋でこの「数学の贈り物」を手に取って開いたら、冒頭に「もうすぐ三歳になる息子」とのエピソードが出てきて、自分の息子と同じだったため何か縁を感じて、こちらを購入した。仏教の影響が強い感じがし(著者が京都に住んでいることとも関係があるのか?)、クリスチャンである自分は全く同じ考え方はできないと思ったが、共感できることは多く、クリスチャンの考え方は本書とどこが違うのかと考えさせられ刺激を受けた。
以下、印象に残り考えさせられた章。
偶然の贈り物
クリスチャンや他の一神教徒は「偶然」という発想を嫌う(「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタイン)。ただ、そのように言うとき、一神教徒は必ずしも世界を、全てが機械的に決定されたものと考えているわけではないと思う。「偶然」に対するのは、「必然」や「決定論」ではなく、「神の御心」すなわち「神の主体性」だと思う。
身軽
「道のために生きる」
「道は、生きるための手段ではない」
道元禅師の教えだそうだが、イエスの「わたしは道である」に通じる。確かに、クリスチャンにとってイエスは生きるための手段ではなく、生きる目的である。
白紙
「膨大な知と技術の体系に囲まれて、日々その体系の拡張に忙しい」現代にあって「一枚の白紙から」思考を始めることによる喜び。これには激しく同意。
不一不二
「Aというのは言い過ぎだが、Aでないというのも間違いである」という事態を指す仏教用語。興味深いとは思うが、クリスチャンとしては「あれか、これか」を選ばなければならないこともある。また、ビジネスや日常生活でも、そういう厳しい選択をしなければならないことはあると思う。
意味
多くの書評がこの章を取り上げているが、確かに面白い。「数学は、何か既知の意味を表現するために導入されるのではなく、無意味な記号操作の反復の先に意味を作りだしていく(意味のフロンティアを切り拓く)営みである。それは、赤児が意味不明な世界に生まれ落ち、もがきながら意味を獲得していくのと同じである。数学の力を借りて人は、いつまでも幼子のようであることができる。」
情緒
「英語と日本語の間を行き来してみて、はじめて見えてくることがある。」確かに、日本語しか知らない者は、日本語すらよく知らないのかもしれない。
変身
ソクラテスが、文字を学ぶと忘れっぽくなるとして、文字や書物を批判するシーンがあるというのが面白い。
いまいる場所で
孟子の一節「道は近きに在り、而るにこれを遠きに求む。事は易きに在り、而るにこれを難きに求む。」旧約聖書にも同じような記載がある(箴言、歴代誌?)。機関車トーマスは、病気で寝ている子どもを励ますためにオードリー牧師が書いたので、食事や体を動かすシーンがない。宇沢弘文の引用。著者が一番伝えたいのはこの章のような気がする。
探求
「現代は規範が壊れ���いく時代。規範には知恵と偏見が混在しており、両者の区別は困難。大人ですら何かを学び終えたとは言えないから、子どもに教育するという考えを捨てるべき。」現代を生きる者として、とても共感できる。でも、クリスチャンとしては規範への従順を子どもに教えなければならないと思う。規範の中の知恵を偏見と区別する努力を続けていかなくては。
投稿元:
レビューを見る
本書は、「数が生まれる」(『母の友』二〇一八年九月号-「かぞえる」)、「隔たりの彼方から」(『すばる』二〇一八年十一月号ー「母語」)、「数学の贈り物」(「みんなのミシマガジン」二〇一四年一月~二〇一九年一月-右記二篇を除く十七篇)をもとに全面的に加筆・修正を加え、一冊のホントして再構成したものです。
投稿元:
レビューを見る
エッセイ。数学。言語。家族。京都。
数学以上に言語。
頁数は少ないけど難解。考えながら読んで時間のかかる本。
投稿元:
レビューを見る
“そうであった”ことのすべては、“そうでなかった”こともできたはずだ。無に直面しながら、無に転落することなく、偶々そうであったことのすべての果てに、この一冊の本が生まれた。(P.4)
-----
★贈り物 = present = 現在★
タイトルは「数学の贈り物」だけれど、数学についての小難しい話は一切ない。著者は、東京大学文科二類を卒業したあと、社会人になってから数学への興味に目覚め、大学に入り直したとのこと。数学のみならず、学ぶこと自体を愛しているのであろう著者が、日々感じたことを美しく丁寧に、つらつらと綴るエッセイ集。
息子さんが、生まれてすぐに複数の手術とNICUへの入院をしたそうで、そのときに感じた思いが、「丁寧に生きよう」という信念の根底にあるんだろうなぁ。公園に行きたいと言われたときに、よし行こう!と言えることの幸せを噛み締めているエッセイ「いまいる場所で」を読んで、特にそう感じた。
特に意識しなければ、記憶にとどまることもなく、指と指の間をすり抜けるように流れていってしまう「現在」のこの瞬間。それこそが貴重で大切なのということを忘れずに生きよう、という真摯な試みが伝わってくる。
投稿元:
レビューを見る
想像したものと内容が少々異なった。お子さんなど生活に根ざした随筆で、数学はあまり出てこない。
きかんしゃトーマスが書かれた背景には驚き、心の暖かい人が作り出したことをしった。
投稿元:
レビューを見る
内容は文学的で哲学的なのでおよそ現代の数学とは程遠い。
ただ、この空気感というか、感性がとても心地よい。
投稿元:
レビューを見る
数学的な考え方は話のきっかけとして少ししか紹介されないけど、静かで哲学的な思索は根源的で、やはりそれは純粋な数学的思考と切り離せないんだろう。
無垢なこころを思い起こさせる素敵なエッセイ。
投稿元:
レビューを見る
・まっすぐ
自然の中に「まっすぐ」はない。
だけど人間は「まっすぐ」を作りたがる。そしてそこから脱線することを恐れる。直線たちに囲まれると、生きるのが窮屈になる。人間はそう簡単にまっすぐに生きられるものではないから。
その線が、人間の行動を支配する。
歩く行為は道をつくるが、その道がまた人間をつくる。
・切断
何かと繋がろうとするとき、何かを切断する。
オンラインでショッピングができる手軽さと便利さと繋がるのと引き換えに、店頭に行くまでに出会う人や、発見を切断している。
・変身
私たちが直面する重大な問題は、その問題が生み出された時と同じ水準の思考によって解決できない。
・いまいる場所で
「最先端」だけが偉大じゃない。遠く、難しい場所にだけ価値があるのではない。すべての人が、いまいる場所で大切なものをすでに与えられている。だれもがいまいるその場所で、すでに英雄なのだと気づくことができるような、そういう世界。
・胡蝶
原っぱと遊園地
→原っぱは、そこで行われることで、その中身がつくられていく。
遊園地は、あらなじめそこで行われることがわかっている。
子どもの世界は後者でつくられることが多い。
学びが始まり、そこに「学校」という状況が生まれる。
何かになろうとするのではなく、今を積み重ねた結果、何かになる。
数学と国語からこの世界を紐解く感じ。
投稿元:
レビューを見る
たまたま娘の宿題に付き合わされ、目についた本でしたが、言葉の美しさとそれを紡ぐ文章の滑らかさに一気に読んでしまいました。この方は本当に数学者なのかと不思議に思い、調べさせてもらって納得です。著者の教養の深さと美しい時間の過ごし方に更に興味を持ちました。また影響を受けられた岡潔さんの著作を手に取りたいです!
投稿元:
レビューを見る
一切の執着を離れ、あらゆる根拠を手放した時、豊かなありありとした今が現れる。
身軽に行こう。
在野で研究活動をする数学者という経歴にひかれて読む。興味深く読んだ。
投稿元:
レビューを見る
私は数学に関してはいわば門外漢だし、著者に対する予備知識もないまま衝動買いしてしばらく積読状態だった。
たまたま最近道元に関する本や岡潔の本を読んでいたので
この本をペラペラとめくって何気なく読み始めてみると
この二人に関する話が頻繁に出てきて驚いた。
シンクロニシティってやっぱりあるわ!