投稿元:
レビューを見る
やはりこのひとの作品を観る・読むと
頭に浮かぶのは「ただひたすらに」。
ひたすらに人を思い、幸せを思い。
そして主人公が感じる世界とのズレや違和感を
と、ヒロイン、周りの人物、様々な出来事
を通して、受け入れて、修正して、乗り越えていく成長
男はどこかいじけて、女は凛と強く
40も半ばを迎えたオッサンには
まぶしく、うらやましくて、でもきっと若いときには
形を変えて、大なり小なり、人知れず
きっと必ず誰もが通る道なのだと思うと、
それを映像や文章で表現してくれる人がいて
老若男女が共感してくれて、今現在の思春期真っ盛りの
少年少女は幸運だと思う。。
みずみずしかったころを思い出させてくれて
おじさん・おばさんも幸運だと思う。
投稿元:
レビューを見る
新海作品は、「星を追うこども」以外全部小説のみで映像見てないんだけど、これはやばい。
あとがきですら、ちょっとウルっときてしまった。
小説でグッときたキャラクターの声優気になって調べたら、想像と違う声だったから映画は観ないけど、小説版最高オブ最高。
さっきCM観ただけでまた泣きそうになった。
ぜひ、小説版でも映画でも好きな方を見てみてほしい。
親を亡くした姉弟の十歳の男の子が、どんなにしっかり者でおとなびていても、所詮は子どもで。その子の大切で切実な想いが、「一言の叫び(願い)」に変わった瞬間、堰き止めていた涙腺は決壊した。
投稿元:
レビューを見る
読了。映画を観て、小説をなにげに立ち読みして、あとがきに、エンドロールの歌があったのを知る。意味も知って、ダウンロードした。なるほどとホクホクさした気分になった。
投稿元:
レビューを見る
時は2021年。
日本は異常気象のため、年間通して
雨に見舞われる日々が続いていた。
主人公の帆高は、田舎から家出してきた身、
身寄りのない東京で、須賀という男から
仕事を紹介してもらい、編集者の雑用係として、晴れ女 という神秘的な女性 陽奈に出会う。彼女は1時間程、周辺の気候を祈りにより晴れにする能力を持っている。
年間通して、雨が降り続ける中、帆高は彼女と一緒に晴れ女のビジネスを始める。
雨を晴れに変える現象は瞬く間に広まり
有名人になるところまで発展するが…
彼女が未成年であり両親と暮らしていないこと、また主人公が家出をし、両親から行方不明届け出が出ていることで、色々と問題になってくる。
そんな最中、彼女は
雨になることを止めることを引き換えに
自分が人柱になり、帆高の前から消え、
帆高は彼女を見つけるために奔走する。
投稿元:
レビューを見る
内容は、映画「天気の子」と同じだが、映画ではわからないことや、気づかなかったこと、視点が変わることでわかることがあり、面白かった。
タキと三葉は結婚したんだな、とか。
投稿元:
レビューを見る
賛否両論があっていい。エンタメは教科書では無い。綺麗や礼儀正しさなんてものを守らなくていい。
前作で抑えていた新海誠らしさが爆発。愛おしく思える少女を守りたいと、身を捧げる主人公が堪らなく愛おしい。こんな綺麗な世界があっていい。
これもあとがきで語られていたが、映画と小説では表現が変わるという点もなるほどと思った。映画では、セリフは短く、声優や背景や効果や音楽が肉厚にする。小説では、人物の内面を書くことで、後のセリフに意味を持たせる。映画と小説両方読んで、『天気の子』という作品を理解できたと思われる。
自分にとってはたまらなく好きな作品だ。
投稿元:
レビューを見る
>彼女とともに過ごした、あの年の夏
>東京の空の上で僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったのだ。
巷では「俺たちの新海誠が帰ってきた」だの「2000年代前半に原作ゲームをやった記憶が蘇ってきた」だの「セカイ系は死んだ」だの「センパイが呼んでる」だのオタクたちの叫びが溢れかえっているし、あんまり詳しくなさそうな人が商売上の要請で書いたようなのも散見されていて、賑やかです。
今回は、なんだかんだ今までずっとあった「切ない諦観」から突き抜けたな~というのが一番の感想。須賀さんがちょっと担当したのかしら。
君の名は。と比べて、過去のセンシティブな作品群の作りに戻った、という見方にはあんまり賛成できない。むしろまた別のほうへ行ったなと思った(そもそも独立した作品群を比べて考えることに意味はないよねということもあるけど)。
あとはもう言うことなしのボーイミーツガールでほんと素晴らしかった。
前半のわくわくパートと後半のシリアスパートの配分も好き。後から崩れるとわかっている幸せが、須賀さんとこと姉弟のとことでふたつあるのがまた、後の落差を生むというか。
あとやっぱりアレ、クライマックスで走る映画は名作になるの法則。先日のユーフォ劇場版でも走ってたなあ。
賛否分かれる物を作ったと言っていたけど、どうかな?
クライマックスの選択が物語的に賛否分かれるとは感じないけど・・・あの小道具を使うかどうかという点では好き嫌いは分かれるかも。
――ここまで映画の話。以下小説版の話。☆の数も小説について。――
さて小説版。
「君の名は。」同様、映画製作と平行して執筆され公開直前に出版されたもので、ノベライズではないので映画とほぼ同じ。そのように書いたと著者は言っている。
ノベライズ物に良くある番外要素・語られなかった設定が好きなのでそこはやはり物足りない(ちょっとはある。そこは表現媒体の違いで表に出てきたものであって映画は映画で過不足なく作ったとのこと)。
記しておきたいのは、あとがきと解説が必読だということと、夏美さんの背景がちょっと語られているということ。
楽曲が物語の根幹にこんなに影響を与えているとは。
こんなあとがきと解説読んじゃったらそりゃサントラ買いますよ。グーグルミュージックで買うと一部タイトルが英語なのは何故なのかしらん。
当然だけど小説家ではないので、筆力に唸らされるような楽しみは無いし、あくまで追体験をしたい人向け。これ以上劇場に行くとお金がいくらあっても足りないので、ありがたいことです。前回のようなスピンオフ出して欲しいな。
>「映画は学校の教科書ではない」ということだ
>「老若男女が足を運ぶ夏休み映画にふさわしい品位を」的なことは、もう一切考えなかった。遠慮も忖度も慎重さもなく、バッテリーが空っぽになるまで躊躇なく力を使い果たしてしまう主人公たちを、彼らに背中をたたかれているような心持ちで脚本にした。
それっぽいこと言おうとしている批評家たちにめちゃくちゃディスられるといい。そうしたら我々、有象無象の「新海誠の元カノ」たちは大変喜ぶ。
投稿元:
レビューを見る
映画「天気の子」、小説版が新海誠監督自身の執筆。
「君の名は」瀧くんのおばあさん冨美さんが出てくるのですが、さらっと小説版だけに ファンサービスが仕込まれてました。
P281,終章。「部屋にはいくつか写真が飾られている(略) お孫さんの結婚写真」、えぇぇ! お孫さんって瀧くんじゃん!
天気の子の瀧くんは、あの君の名は、劇中よりも 落ち着いた雰囲気。三葉はアクセサリーショップで就職してた。
それから3年後。
たとえ、雨で東京が水没したとしても、あの2人はちゃんと再会出来ていたのですね。そして結婚も。 おめでとう。
映画にはこの写真は無かったはず 、ですよね。
投稿元:
レビューを見る
映画を見る前に読んだので、映画を見たときにキャラの背景も知った上で見ることができてよかった。
映画は絵がきれい!
話としては君の名はの方がおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
映画が面白かったので小説版を購入。映画のビジュアル版というだけあって写実的な描写が目立つが、一人称視点の心理描写や語り口はまさに新海誠のそれであり、大筋は映画と同じでありながらも細部のディテールは細かく、鑑賞前、鑑賞後のどちらでも楽しめる一冊となっている。
この作品は予告編でも語られている通り、ジャンルとしては「セカイ系」に属する作品であると言えるだろう。ただ着地点は今までのセカイ系作品のそれらとは少しだけ異なり、またセカイ系に対する批判や取り巻く状況などをかなり自覚的に描いてる点には恐れ入ってしまった。
僕自身、ロマンチストなのでセカイ系特有のヒロインのために世界を敵に回すという描写には心惹かれるものがある。その反面、どうしようもなく大人になってしまった今となっては、描かれない中間世界で息づく人たちのことを忘れることができず、主人公の身勝手さや若さに対して、幼子の駄々に対する苛立ちに似た感情を抱いてしまう部分もある。なので映画を見る前はかなり不安ではあったのだが、不思議と感動してしまったのだ。
視点としては登場キャラクターである須賀にかなり近いのだが、心を動かされたのは姪の夏美がスクーターで警察から逃げる穂高に手を貸すシーンである。凡百の映画なら、リスクのある行為に手を貸す仲間というのはありがちではあるものの、そこに何かしらの利害かそれを超える信頼関係がないと御都合主義に映ってしまう。穂高と須賀や夏美に信頼関係がないとは言わないが、リスクをともに負うほどとは思えず、そういう意味では「冷める」シーンなのかもしれない。だがそういう気持ちにはならず、心を動かされてしまった。
その理由として、就活で連戦連敗を重ねた夏美に感情移入してしまったというのが大きいのかもしれないと映画鑑賞当時は思っていたのだが、小説版を読んで少しだけ感想が変わった。夏美の一人称で描かれた、世界の主役は自分であるという感覚。押し潰されそうな閉塞感と自己喪失の中で、そうした非現実な出来事に身を委ねたくなる感覚は痛いほど理解できる。その結果、年甲斐もなく、スクーターで逃げる夏美を応援してしまったのだ。そして自分なら果たしてこういう行動を取れたのだろうかと、自問自答してしまう。
それが、この映画が一般的なセカイ系と異なる部分であるのだろう。全てではないが、大抵のセカイ系作品では主人公は受動的で、世界か彼女かの選択も、望むと望まざるとに関わらず、突きつけられるものである。だがこの作品では世界か彼女かを能動的に選択しており、その結果に対しての自己責任への言及もある。それに加えてヒロインの特性「晴れ女」をビジネス化するという今の時代ならではの物語運びが、中間世界で生きる人間に対する「つながり」になってる点にも舌を巻いた。以前までのセカイ系は中間世界を意図的に無視する点に批判があったが、中間に住まう人間たちにも本作のヒロインに主体的に関わるチャンスが平等にあったという点だけで、かなりフェアであると思う。「皆、何かを踏みつけて生きているくせに」はこの小説に出てくるフレーズだが、自覚することが物語の主人公になれるかどうかの一歩な��だろう。それらが今の時代にセカイ系を書くことの意味なのだと思う。
能動的に、主体性を持ってきみはその選択肢を選ぶことができるだろうか。そしてその選択で世界はいつだって変わる。この作品を通じて向けられた問いは普遍的でありながらも、迎合と諦観に苛まれた今の時代には痛烈に刺さるテーマだ。そして出てくる最後の言葉である「僕たちは、大丈夫だ」の答えは、往年の名作映画「卒業」に対するシンプルなアンサーでもあると思う。今の時代にロマンチックラブイデオロギーに殉じるならば、世界を犠牲にしないと釣り合いが取れない。
投稿元:
レビューを見る
題名が面白そうだったので本を買って読んだが、さほど面白みは感じられない。
映画も見てないし、君の名は。も見てないし、読んでないからだろうか?
印象に残った文章
青空よりも、俺は陽菜がいい!
投稿元:
レビューを見る
映画をみた。みてから読んだ。
映画をみた後ということもあり、映像を思い浮かべながら読めたのはよかったが、本としての新鮮さは薄れてしまう。
本と映画、どちらを先にするかは悩ましい所だ。
内容としては映画そのままであり、映画をみても分からなかったところを補完するというより確認するように読んだ。
須賀や夏美の視点からのシーンもあり、帆高以外の人の内面を垣間見れたのが良かった。
特に夏美の「ここまでだ!」というセリフ。
帆高には大人の綺麗なお姉さんに見えているが、彼女自身も自分の子供時代の終わらせ方を模索していた。
大人になるきっかけを探していた。それが清々しかった。
新海誠の物語にあるのはいつもボーイミーツガールであり、少年少女がこども時代を終わらせる。
それがセンチメンタルな気分にさせる要因なのでは、と思っている。
新海作品に出てくる主人公は素直そうに見えて偏屈で頑固で融通がきかない。
だがそれが純粋さに結びついており、目指す場所を見つけたらまっすぐに進む様が気持ちよい。
それは新海誠自身に通じるものがあるのだろうな、と後書きを読んで感じた。
本を読み終わったので、もう一度映画をみにいこうと思う。
見逃していた場面も分かったので、今度はじっくり隅々まで目を凝らしたい。
投稿元:
レビューを見る
世界はこうあるべきという考えは絶対的なものではなく、それぞれの人が自分なりの世界で生きている。
それでも大切な人のために人生を選択し愛に生きていることは、全ての人にとって変わらないのかもしれない。
新海さんと野田さんのお互いを信頼し合えてる関係性がとても素敵です。
投稿元:
レビューを見る
連れられて仕方なく観た。
小学生レベルの内容。
アニメのことはよくわからないけど、風景は本物の山のように、本物の建物のように、本物の空のように写実的に描かれているのに、どうして人間はマンガチックに描くのか不思議。
主人公の帆高(ほだか)の名前が、このところお騒がせの丸山穂高議員と同じでイメージ悪い。
投稿元:
レビューを見る
「君の名は。」に続き映画がヒットしているというので
興味深いので手に取ってみました。
今回も映画のノベライズ本のような小説でしたが、
前作よりも描写が細かく描かれていたかと思います。
主人公の帆高の離島から来た高校生らしい素朴な心理的描写、
思春期らしい大人に対する心情、憧れる女性に対する淡い恋心などと
大人になって忘れかけていたあの頃の思いが
よく描かれていると思いました。
そして気象状況も細かい描写で描かれていたので、
映画をまだ観ていない自身でも想像しやすく
そんな光景が綺麗だなとも思いました。
きっと映画を鑑賞された方だったらよく分かるかと思います。
天気の子ということだけあって
気象状況にまつわることが様々書かれていたのが印象的ですが、
その中でも
「空は海よりもずっと深い未知の世界だって。
人類が直接目にした部分なんてほんの一部で(中略)
空と生き物を切り離して考えることが不自然なんだって!」
という言葉が特に印象的です。
この作品を読んでから空を見上げると
より自然環境のことが気になったり、
長期間雨の日が続くとうっとおしい思いがしていましたが、
それも「もともと世界が狂っていたんだ」
と思うことによって少しは気分が変わる気がしました。
よく未来の気象状況などを見ると
温暖化現象から砂漠化になるかと予想されたりしますが、
この作品ではその反対に描かれていたので
それが少し意外性があって面白かったと思います。
とかく歳を重ねると主人公のようなまっすぐな気持ちで
何かに突き進んだり、壁にぶつかっていくことが
出来なくなってしまうので、
このような気持ちが大事だということを思い出すことが
出来たような気がします。
主人公を取り巻く登場人物のそれぞれの個性が
よく出ていて人間的に出来た人ばかりだったので、
あまり罪悪感の無いのも
読了後に爽快感があるのかもしれないと思いました。
小説よりもこの作品の場合はやはり映画の方が
絶対に良いと思うので、
映画を観る機会があったら観てみたいと思います。