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ノンフィクション作家である高野さんと、歴史学者である清水さんとの対談本。
冒頭からお二人のグルーブ感が半端なく、話が転がるように進んでいくのがとにかく心地良いです。お二人とも知識量が半端ないので飽きがこないですね。
本の内容としては、現代のソマリランドと、室町時代の共通性から、様々な歴史的な考察が積み重ねられていき、どの考察も知的好奇心を十二分に満たしてくれ、非常に面白いです。
対談本であるので非常の読みやすい事に加え、お二人とも「面白い文章じゃなければ、内容は伝わらない」という主義の方なので、とにかく文章が底抜けに面白いんですよね。
可能なら、この本を読む前に室町時代や応仁の乱の背景や、高野さんの著書である「謎の独立国家ソマリランド」を読んでいると更に面白さは増すと思います。
ただ、この本、とにかく脚注が豊富なので、専門用語が分からないということは無いかと思いますし、この本を読んでから、ソマリランドの本を読んでも十分に面白いと思います。
ちなみに、分かる人には直ぐに分かりますが、この本のタイトルは村上春樹の長編小説である「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」と、同じく村上春樹の旅行記である「辺境・近境」からのオマージュだと思います。
出版社の方がタイトルをつけたようですが、村上春樹信者ですよね、きっと(笑)
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<目次>
はじめに
第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会
第2章 未来に向かってバックせよ!
第3章 伊達政宗のイタい恋
第4章 独裁者は平和がお好き
第5章 異端の二人にできること
第6章 むしろ特殊な現代日本
おわりに
文庫化記念対談
<内容>
2015年刊行された単行本に、文庫化記念の対談を付加。ある編集者のツイッターの一言から。室町時代とアフリカソマリアの社会が似ていると。対談を読んでいると、確かにそうだ。自分は歴史系なので、室町時代の混沌はよくわからないでいたが、清水さんの話やそれを引き出す高野さんの知識、そしてその丁丁発止が面白かった。エキサイティングな1冊でした。
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情報量が多すぎて……笑
・後先・未来、お国の使われ方の話
・戦士の去勢=サラリーマン
・フランスのコース料理の起源はロシア
・暖かくて甘くて軟らかくなったは保温の効かないものに保存用に塩分多め?
・寿司は酢して発行して酸っぱくなったもの→酢を使うのは発酵させずに酸っぱくするため
・江戸は文書社会、識字率の高さ→緻密な政策の成功
・日本の物の怪は本来は造形されておらず、見えないもの、気配→絵姿を書く=合理的な精神によるステップ。それにより恐怖心の薄れ→信じない
この辺り特に興味深かったです❣
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ひじょうにおもしろく読んでいる『図書館の日本史』が参考文献にひいていて、もともと興味があった本だったので、とりいそぎ入手した。現代アフリカのソマリ人と室町期の日本人がなぜだかにている、とノンフィクション作家と歴史家が意気投合してぞんぶんに語り合う。
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学校の歴史では為政者や著名人ばかりスポットが当てられていて名もない庶民がどのような暮らしをしていたのか常に疑問だった。当時の日本の人々が現代アフリカに近いものであるという指摘は荒唐無稽なようですごく的を得ているらしく、それらが対談形式でテンポよく語られていくのでどんどん夢中になって読んでしまった。つい話題が逸れがちであるのも心地よく、最終章辺りで現代日本の若者についての考察があるのだが、まるで自分を見透かされているようだった。
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これがまさしく異文化交流。
アフリカはソマリランドなど世界の知られていない地域の経験を書くノンフィクション作家と、室町時代の日本を専門とする歴史家の対談。あちらこちらに飛ぶ話題は時にスリリングで、現代日本への提言や警鐘ともなる。
堅苦しい思いはせず、二人の楽しそうな語りを読むことが気持ちいい。きっといつまでもどこまでも話し続けていけるのだろう。2人の共通点は、解説でも触れられているが、未知の社会の探求であり、異世界を見る力だ。それはつまり、自分が今所属する「ここ」と、ここではないどこかを相対的に見られる力である。ここにいることを無条件に肯定する、この時代に生まれてよかったという感想に、危機感を覚えるというコメントがあったが、自分の文化、自分の社会、自分の価値観が最高だ、最高ではなくてもここが一番だ、という気持ちは、危ないものだという意識を忘れないでいたい。自分のいる場所が好きなのは結構、しかし、「ここ」だけが正解ではないし、「ここ」が永遠に変わらない保証はないのだ。
対談の中で、色々な本に言及される。そのどれもを読みたくなってくる。そういう意味でも知的好奇心を存分に刺激された。
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室町時代と途上国社会との共通点という発想は面白い。国家の統制がない社会の自力主義から来ているのか。
近代欧米社会や江戸時代以降の日本が異端と考えるべきか。
一つ間違えると、昔の欧米を最高位とする発展段階の考えになるが、むしろ技術の発展や人権主義がすすめばこうなっていくのか?
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清水先生の本で新米より古米の方が(水分量含有の関係で)
高く取引される、酒造りは米の何割かしか使用しないので
飢饉など米不足の時には禁酒令がでると教わった
今回は、江戸時代にも諸国で禁酒令が出ているとしった
ちなみに庶民が米を主食にするのは(江戸を除く)大正時
代(100年前)であり、大日本帝国時代の植民地からの輸
入を加えて自給が達成し、米が学校給食に一般的になった
1976年以降、年間一人当たり120キロもの米を食べる様になったのだが、食生活が豊かになった令和の時代
一人当たり50キロ程度に落ち込んでいて・・・元には
もどらんでしょうね(本書と関係の無い話でした)
自尊心の強すぎる中世人・・・嫌いじゃない(´・ω・`)
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辺境冒険家の高野秀行がある日気がつく。
ソマリランドのような数多くの武装勢力が群雄割拠する危険地帯について、胸筋を開いて話し合える相手はまずいない。でも、日本中世史研究者の清水克行がいるのではないか?
というわけで、一冊まるまる2人の対談本である。
辺境の人類学と民衆歴史学のコラボ。実は私の関心ベクトルと大きくは重なる。数多くの参考になる所があった。一部を紹介。
◯「被りすぎている室町社会とソマリ社会」
⚫︎中世にも、幕府法とは別に村落や地域社会や職人集団の法慣習があった。西洋的近代的法律土着的な法や掟が共存しているソマリランドとにている。
⚫︎盗みの現行犯は殺しても良いというルールがある。それは損得の問題ではなくて、共同体の秩序の問題だから。だから田舎の方が安全。都会は隣の人間がわからなくなるからかえって危険。
⚫︎室町時代は確かに殺伐としていたけど、肩が触れ合ったぐらいで相手を威嚇する東京の電車の方が危険だと思う。手を出すのは最後の手段で、手を出したら殺し合いになるかもしれないとわかっているから。中世は「なぜ人を殺してはいけないのか」という疑問は愚問。「人を殺したら、自分や家族も同じ目にあうから」その問いそのものが出てこない。
⚫︎ソマリの氏族による庇護と報復のシステムは「喧嘩両成敗の誕生」で描かれている室町時代の日本とまったく同じ。ただし、賠償金は発生しなかった。これは日本独特。一般的には、自力救済→公に復讐→復讐が制御(賠償金発想が生まれる)→復讐が禁止。日本には「人の命は金に換えられない」という強固な意識がある。
(←血は血で贖われなければならないという気持ちが強い←死刑制度が無くならないのは、そのせいか)
⚫︎綱吉の生類憐れみの令は、「戦国時代は百年も前に終わったのに、犬鍋をしたりかぶいたりして、何やってんだ」というメッセージ。富士山噴火とか地震とかあって、治安維持をする必要があった。
◯「未来に向かってバックせよ」
⚫︎経験や技術でカバーできるとわかってしまった人間は、もう神の方には逆戻りしないのか。(略)でもまた新たな神が出てくる。それが硬直すると、また別の神が出てくる。
⚫︎中世は古代社会の枠組みが一回吹っ飛んで一から秩序を組み立てた。一種の実験場。それが、アジア・アフリカの辺境と似てくる。
⚫︎ローマ帝国が終わり、辺境にあたる西ヨーロッパから封建制が始まった。中華帝国から少し離れて日本に封建制が始まる。
⚫︎戦国時代は未来は後ろにあった。「あとあと」にあり、「さき=前」の過去は見ることができる。「あと=後ろ」の未来は予測できない。所が、16世紀になると、その言葉がごっちゃになる。人々が未来は制御可能なものだと認識し始める。ソマリも言葉はごっちゃ。
◯伊達政宗のイタい恋
⚫︎中世から近世にかけて古米の方が高かった。何故ならば、炊くと増えるから。→タイ・ミャンマー・インドは今でも古米の方が高い。ミャンマーではもう一つの理由は美味しいから。
⚫︎江戸時代は飢饉の時でも、商人は米を酒に変えて都市部に流通さ��た。
⚫︎経済が石高制にシフトしたのは信長の頃。中国銭が入ってこなくなって(中国の銀経済シフト)、輸入銭は不安定なのでコメ経済に切り替わる。
⚫︎江戸時代は石高制が基本でその他、三貨制(金・銀・銭)になる。
⚫︎ソマリア・シリングは20年間、国家がないのにちゃんと流通していた。高額なものはドルで買って、日用品はソマリアシリングで買う。市場ではドルを出すと煙たがれる。これは日本中世でも同じ。
⚫︎ブータン東部ではお茶のように酒が出る。フランスでもお茶のようにワインが出る。
⚫︎麻を作っていたのに意外にも大麻を「吸う」という発想は日本に起きなかった。起きていたら、歴史が変わっていたかも。梅毒は戦国時代に日本に入り、「月海録」1512に最初の記述、山梨の「勝山記」1513に行っている。流行のスピードが速い。コロンブスがヨーロッパに持ち帰ったのが1493年、それから20年で山梨に到達した。
⚫︎野良猫がいないインドやアジア諸国は、野良犬が多くいるから。イスラムでは、犬は汚れた動物なので野良猫がいる。現代日本も野良犬がいないので、野良猫がいる。中世では野良犬が絵巻によく描かれるが、野良猫はいない。
⚫︎足利義持、秀吉は中国皇帝に憧れて髭を生やした。江戸時代になると、傾奇者みたいなチンピラが生やすとなり、髭を伸ばさなくなった。イスラムでは男の象徴として、特に顎ひげが伸ばされる。口髭は男らしさで、顎ひげは宗教性。
⚫︎元禄期に同性愛が廃れる。同性愛も髭と同じく男らしさの表れだった。戦国時代「女となんかとつるんでいられるか!」
◯独裁者は平和がお好き
⚫︎中世の史料は既に活字化されている。江戸時代は膨大な量があるので、くずし字が読めないと研究はできないが、中世ならばできる。
⚫︎中世ではハンセン病者は基本的に白い覆面をして柿色の帷子(かたびら)を着る(「もののけ姫」)。
⚫︎ソマリアでは定住民ではない皮職人、鍛冶屋、鋳掛、刃物研ぎ、芸能、ロマ(ジプシー)など被差別民。日本中世は鍛冶屋などは違う。
⚫︎タイでは、農民は流動的。先祖崇拝は輪廻するから墓は作らない。墓を作るのは儒教の祖霊崇拝の思想で、中国・朝鮮・日本。大乗仏教のブータンでも作らない。先祖代々の墓が生まれたのは江戸時代。地域では両墓制(埋め墓と参り墓)だった。
⚫︎味噌自体は奈良時代からあったが、庶民レベルに一般化するのは室町。九州の冷汁みたいな「味噌水」という食べ物が出てくる。料理を温めるのは結構大変。大阪自由軒のカレーが混ぜカレーになったのは、冷や飯にルーを混ぜてあたたかくしたかったから。温かいご飯が普通に食べれる様になったのは、電気炊飯器の登場から。
⚫︎学生に言っている「皆さんも若いうちに発展途上国に行った方がいいですよ。ああいう所に行って古文書を読み直すと、今まで見えなかったものが見える」もはや日本の農村では前近代は体感出来ない。歴史を考える時に辺境が役立つ。反対も真なり。
⚫︎支配する側にとって、みんなが幸せにのほほんと暮らしている状態がいい。
⚫︎ブータンの雪男も本当に信じていたら語りたがらない。未確認動物は、本当に信じている人たちに近づけば近づくほど形が曖昧になり、ぼん��りとした気配とか精霊とか、名前すらもなくなる。←弥生時代の神に姿がないのはそういうわけか!!
⚫︎妖怪を作ったのは水木しげるさんだという説もある(笑)。怖いものほど、可愛く描く。だから、ブータンの雪男には滑稽譚も多い。それは本当に怖い話をするのはヤバいと人々が思っているからではないか?
◯異端のふたりにできること
⚫︎「地図のない場所で眠りたい」(講談社)に、高野さんの取材ノウハウがある。コレが清水克行が大学授業で伝授されたノウハウと同じ。
⚫︎最初に親しげに近寄ってくる人の話は信用できない。
⚫︎民俗学調査の授業のテキストが本多勝一「事実とは何か」だった。
⚫︎演繹的になる文章はネタが弱い時。帰納的な時はネタだけでストレートに結論に行ける。
◯むしろ特殊な現代日本
⚫︎日本の自殺の多さは異常。中世でも江戸時代でも抗議の自殺があった。ソマリアではない。欧米でも自殺は「負けを認めたことと同じ」。
⚫︎タイは年間一万人。自殺すると借金棒引き制度があり、多い。
⚫︎日本は鎖国があったからアジアアフリカみたいな近世にならなかった。その代わり、外交は下手になった。空気を読むばかりで自分の思うところを言わないのは、異民族に支配されたことがないからでは。
⚫︎今の若い人は「好きなことをやりなさい」「個性的でありなさい」とり言われて凄く苦しんでいる。独自の個性を作るのは大変だから、沢山の中から自分に合ったキャラを一つ演じている。
⚫︎中古車で品質が落ちていないのに根が下がるのは日本だけ。これはケガレ意識が関係している。
◯清水克行「あとがき」
⚫︎立派な超時空比較文明論になった。
◯表紙
⚫︎よく見て欲しい。馬に見立てたバイク乗りの中世アウトローが槍を持って走っている。装画は山口晃作「奨堕不楽園」(部分)。この対談のためにわざわざ描いたかの様な見事な画。
高野秀行13冊目。
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題名に引かれて手に取ってみたところ、おもしろかった。
辺境を渡り歩く高野さんと、日本中世史専門家の清水さんとの対談形式のお話。
話の内容も軽くて読みやすい!
最初のはじめにの箇所で、高野さんの熱い気持ちが書かれていて、高まる気持ちの中、本編をすぐ読み始める。
室町時代とソマリ社会のどこが似てるんだろうか?と思いながら読み進めていく。
対談形式だからなのか、実際話をしているところに自分がいて、話を聞いているかのような感覚になった。
自分の知らないことがたくさんあって、歴史への興味もさらに沸いてしまった。
他の作品もぜひ読んでみたい。
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日本の室町時代とソマリランドが似ている、ということから始まった対談だが、それだけに留まらず、広く日本の歴史や海外の民俗について興味深い話題が続出する。意気投合したお二人の会話はテンポもよく、読んでいる方も引き込まれる。
登場する用語はもちろん、研究者や文献についても脚注で説明されているので、読者が興味をもった事柄を踏み込んで調べるのに役に立つだろう。
文庫版では単行本にはない新たな対談も追加されていてお得。
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ソマリランドや東南アジア、世界の辺境と類似しているのは日本の室町時代かもしれないという話を中心に、多種多様なテーマを比較し語り合う本。現代日本とは異なる世界が広がってとてもおもしろく、知識欲が満たされた!
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『みなさんも、若いうちに発展途上国に行った方がいいですよ。ああいう国に行ってから古文書を読み直すと、今まで見えなかったものが見える。』と歴史学のせんせのお言葉。
室町時代をアフリカのソマリランドに行けば味わえるというこの面白さ。(行きたくないです)
辺境作家と中世史専門の歴史家の対談ですが、いちいち面白い。高尚な話から下の話まで、飲み会のネタに使えそうな物ばかりで、ありがとうございます。
一つ一つ例を挙げてもキリが無いので、是非読んでいただき、中世と近世の違い(全く違う)を理解して歴史を楽しんでいただけたらと。
確かに源頼朝は礼儀作法が面倒臭い京都へは一回しか行かなかったのもこれで理解できました。
清水せんせの著書は『耳鼻削ぎの日本史』を読んで心奪われてからのこの作品で、高野せんせは『辺境メシ』を買っていながら読んでいないので、早速取り掛かります!
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日本の室町時代社会とソマリランドの社会が実は似ているということを多様な面から文化比較している一冊。旅行者と歴史学者の異色の対談は、あっちこっちに話のベクトルが飛んで「へぇ」と思うようなトピックの山を生んでいておもしろい。
この類似性を生んだ要因としては、以下があるのかなと思った。
・科学が宗教と同等の説得力を持ち得るかという点。アフリカでは未だに呪術が力を持っており、室町時代も同様だったのだろう。
・隣人の顔も分からない都市か縛りの強い農村の話かという点。ムラのルールが中央組織の法と同等以上の拘束力があるか。
・中央組織の力が強く及ぶかという点。ヒャッハーな社会では法の影響力は相対的に弱まる。
共著者である清水さんの「大飢饉、室町社会を襲う!」は読んでみたい。
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昨年『アヘン王国潜入記』を読了して以来すっかり高野秀行氏のファンとなり、折りをみて著作を買い求めている。
個人的に対談形式の本にはどうも読みづらさを感じることが多く、このタイトルの購入も後回しにしてしまっていたのだが、そんな苦手意識を払拭するほど魅力的な一冊だった。
・新米より古米の方が高価な国がある
・男子厨房に入らずの発祥はじつは近現代?
・男性作家が見る男色文化やブロマンス
・独裁者が平和を好む理由
・「犬飼うべからず」の中世日本と「猫を
放し飼いにすべし」の江戸初期
・ヒゲから見る豊臣秀吉と足利義持
などなど、頁をめくってもめくっても興味を惹かれる話題ばかりで嬉しい驚きがあった。
学生時代にこんな本と出会えていたら、もっと日本史と世界史の学習に熱心になれたかもなあ。
高野さんと清水さんの対談本・第二段『ハードボイルド読書合戦』も近日手に取りたい。