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中高生向けに書かれたものなのでとてもわかりやすい。
多くの人が社会運動を忌避してしまうのは何故かがわかる。
みんな多様化し個人化してそれぞれ違っている。「ふつう」なんてないのに「ふつう幻想」を持ち続けている。
若い人に読んでほしいな。
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読みやすく、とっつきやすい。
でも、しっかり考えさせられます。
この先の時代を生きていくために、自分の意見をどう主張し、周りを巻き込んでいくのか。
みんなが我慢するのでなく、みんなでより良い未来を作っていけるようになったらいいな。
デモへの「怖そう」「怪しそう」という偏見も、少しあらたまりました。
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「デモ」や「署名活動」、社会問題に関する「学習会」や「シンポジウム」
これらの社会活動に参加することに対して、「なんとなく、嫌」と感じてしまうことがある。
「なんとなく、嫌」と感じている人の中には、社会活動に対して「怖い」「自己満足」「クレーマーじゃないか」などとネガティブな言葉を口にする人もいる。
社会運動をしていると、他人から「みんな我慢しているのに」「お門違いじゃないか」・・・「あなたの、わがままだ」と言われてしまうことがある。直接、言われなくても、そういう空気を読み取ってしまうことがある。
それは、一体、なぜ?なのか。
本書は、「社会に対して自分の意見を発すること(社会運動)」=「わがまま」と位置づけ、なぜ、この「わがまま」は、なぜ、ネガティブに捉えられるのか?
理由を解きほぐして説明しています。
不安を感じて、言いたいことを言うのを辞めてしまったり
言いたいのに言えない自分に苦しむことを解消するための手がかりを与えてくれます。
本書での「わがまま」は、あらゆる場面で、自分の好き勝手にふるまる広義のわがままとは異なります。
タイトルだけで判断して購入してしまうと、私の思っていた「わがまま」とは違う!と違和感を感じてしまうかもしれませんが、政治や社会問題について自分の意見を発したことがない人こそ、じっくりと読んでみてほしい。
噛みしめながら読み進め、途中で提案されている思考のエクササイズに挑戦してみると、
自分がどのようなことにとらわれているのか。
考えることになります。
本当に言いたかったことを言わずにいることを良しとするように、
いつのまにか枷をはめられていたのかもしれない。
そんな気づきもある一冊だと思います。
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素人の乱と同じく、日本人は大人しすぎる。もっとわがままという政治的要求をしてみようよ。見かけは同じでも、いろいろな事情を抱えてるのが現代人。普通はさー、は通じない。変わらないから無駄、という人はハードル上げすぎ。制度は変わらなくても、少しはマシなアイデアが出てくるかもしれない。今は当たり前でも昔はわがままと断罪されていたことはたくさんある。異なる人がたくさん集まるイベントは大事。デモが迷惑なら、YOSAKOIはなんでオッケー?
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タイトルにある「わがまま」は社会運動における主張のことですが、社会運動といっても(著者の主張に反するかもしれませんが)やっぱり非常に縁遠いものですので、自分としては日常における自らの意思表明をいかにおこなうか、という点に引き付けて読みました。言わなきゃ始まらない、まずは意思表明してみるってことに尽きるかな、というのが読了後の感想です。著者も書かれていましたが、とくに日本人こういった自らの意思表明に及び腰な部分がありますし、いい意味で「察する」文化がありそれはそれで有効なシーンも多々あるのですが、必要以上に相手を忖度しすぎてしまう結果にもつながっているように思います。意思表明する側、それを受け止める側、どちらもアサーティブな態度でいることが肝要であると改めて感じました。
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社会運動を「わがまま」という観点から広く捉え直して、敷居の高さや間口の狭さを緩和する試みは読んてて目から鱗が落ちる所が多かった。ワークショップや具体例も面白そうだと思った。しかし尚意識高い感じがしたのは何だろうか…俺の感性の問題か…。でも総じて面白かった。
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現代日本社会では公への不満申し立て(社会運動)が「わがまま」とか「自分勝手」とのレッテルを貼られがち。どうしてそうなのか、じゃあどうやって伝えようかということを高校での授業の一環として高校生と一緒に考えたのが本書ですが、当事者でない人も含め様々な人が様々な形で声を上げることの大切さが説かれています。
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多様化しておりわがままの共有が難しい
でもわがままの背後にはそれなりに理由がある
などなるほどと思える
一貫して社会運動あるいはその手前について中学生ぐらいにもわかるよう書かれており新たな世界観を見せてもらえた
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「わがまま」という言葉を使って、社会運動に対する拒否感がどこからくるのか、「わがまま」の意義や言いやすくなる心構え、およびその方法を述べてます。
社会運動を研究するという著者が学生向けに講義する形式で、もやもや感やイライラ感を感じたら声を上げてみようよと語りかけ、さらに、それが続かなくてもいいし、結果的に改善されなくてもいいとも。社会運動を身近にしたい、という想いの本です。
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自分の権利や不満を主張すると「わがまま」と思われる。そういう「わがまま」をいいやすくするにための本。「わがまま」や「おっせっかい」が、人の権利を認め、ゆくゆくは社会を変えることにつながる。
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"社会運動に参加することで、それまで自分がセクハラを受けているのは個人的な問題だ、お給料が低いのは自分の努力不足だ、と考えていたことが、じつは女性が共通に抱えている悩みやつらさなんだとわかる。さらに、そうしたつらさをつくり出す構造が社会にある、と知ることによって、新しいものの見方を獲得できる。それ自体が社会運動の成果なんだ、とこの理論では解釈します。"(p.97)
"なんで政治家との交渉とか選挙での投票じゃなくてデモをやっているのかというと、それまで冷静に話しても聞いてもらえなかったからですよね。聞いてもらえないから激しい表現になる。"
"あえて強い批判の言葉を使わざるをえない場面、あるいは、使わざるをえない人々のことを知っておくと、「相手が何を言っているのかさっぱりわからない」と感じたときに、視点を変えてその背後にある構造的な問題を考えることができます。"(p.133)
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高校生〜大学生くらい向け?でとても読みやすく、社会運動へのハードルがぐっと低まった。
デモとかやってどんな意味があるの?って思っていたんだけど、意味なんてそれぞれが見出せればそれが大きな収穫、未来への一歩になるんだよなあと納得できた。なにごとも一朝一夕で変わるわけないって知っているのに、社会運動に関してはなぜか、何か劇的に変えるためにやってるんでしょうと期待しすぎていた。自分なりの社会への関わり方を考えていたところで、とてもよい気づきが得られた。
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主に中高生向けの社会運動に対する考え方を分かりやすく身近なものとして感じさせてくれる良書。
大人でも読み応えがあり勉強になった。
高度経済成長期は、ある程度悩みや問題点がコミュニティで共通していたが、現代は生活様式が多様化、個別化された為に悩みも十人十色である。
みんなが我慢しているから自分も我慢するという構図が現代では通用しない為自分の意見を出していく事はわがままではない。もっと意見を言い出せる世の中になっていけば良いと思った。
社会問題を取り上げて抗議運動をする事は一般的にはハードルが高いと感じるが身近な問題を周囲の人と共有して議論してある程度数が集まったら会社、学校などに意見しても問題ないしその行動によって環境の改善に繋がる可能性は充分にある事が理解出来た。
身近な問題や疑問を深掘りして考える習慣を身につけていきたいと感じた。
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若い人向けに書くことが外に向けて説明することになっているという入れ子構造が楽しい。
わがままを直接言わない、自分のことじゃないから参加するもあり、ちょっとやって辞めていい、すごく納得感がある。というか、私の実感に近い。
ときどき、もどってこよう。
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【社会運動?なんか怖〜い──いえ,そんなことありません】
社会運動につきまとう否定的なイメージを1つずつ解きほぐし,
社会運動への忌避感を少しでも小さくしようとしている。
それは運動にはつながらないかもしれないけど,
運動をする土台をつくる大事な作業であると思う。
1人1人ができることを。
先に紹介した『政治活動入門』と合わせて読むと,
違いなどを考えながら,また違った視点から読めると思う。