投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
2019年12月2日読了。
●1960年6月12日ウィーン北西のドナウ河畔の町
トゥルン生まれ。ハプスブルク帝国の末期。
●オーストリアは戦時中も画家を戦争の前線には
送らなかった。
●ウィーン美術アカデミー
1906年に最年少の16歳で入学。
●クリムトとの出会い
クリムト45歳、シーレ17歳
●「死せる母I」1910年
シーレ自身は生と死の循環の表現に成功したとこの絵を
最高傑作と考え、1912年春季ハーゲンブント展に出品。
●1912年22歳
ウィーン13区ヒーツィンガ大通り101番地にアトリエ
●「労働者新聞」の芸術担当記者アルトゥール・レスラー
→シーレを紹介、擁護、援助し、大事なパトロン。
→レスラー宛の手紙が多数残る。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「永遠の子ども」のタイトルや手紙は、
「読むんじゃなかった」「知りたくなかった」
という感想です。
単純に「絵がカッコイイ」と感じていたので。
でも背景を知ることを重要なんでしょうね。
私がまだそこに達していない、
という事だと思います。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
斜め読み。
やっぱりエゴン・シーレはようわかやん。
のだと納得。
でもエゴン・シーレもフェルメールほど寡作ではあれば話題にもならなかっただろう。
15ページの鉄道の絵は興味深い。