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論語
四十にして惑わず
孔子の時代に「惑」はなかった。孔子の時代の字で解釈すると全く逆の意味になる。
四十になったら固まらずにいろいろやれ。
そして七十で天命を知る。
奥の細道
俳諧の格を上げるべく鎮魂の旅、能レベルへの引き上げを図った。
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能楽師の著者が古事記、論語、おくのほそ道、中庸を読み解くもので、なるほど、確かに、「そうは読んでなかった」経験ができました。古典を「遅読する」こと、私もそれなりに実践してるつもりでしたが、まだまだでした。
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高校のとき、古文が本当に嫌いだったんだけど、この本を読んだら古典ってすごい!って素直に感じた。
数千年前の人が、人間が普遍的に大事にしたら生きることが豊かになる知恵をもっていて、それをこんなふうに残してくれてたんだなあ。
学びのきほんシリーズ2冊目なんだけど、このシリーズめちゃくちゃいい、おすすめです◎◎
2冊読んだところ、やっぱり思うのは、【否定せず違いを認め合うこと】。
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面白い。母語である日本語で伝わらない、誤って伝わってしまうのは何故か、を非常に短く例を挙げてくれている。
本書で最も感銘を受けたのは正しい日本語がないというのを専門家から聞けた事だった。的を得た、的を射たや了解は失礼なのか、などネットミームでは様々な話が挙がっているが筆者の見解としてはどちらでも良いし、好きな方を使えば良い。言葉というのは日々変化しており、誤読されたものが広まったりする事も言葉の揺らぎとしてあるものだという認識だ。
しかし、読書好きとしてはやはり好きな言葉遣いがあり、それこそ正しいとして広まってほしいものだが、、、。
筆者は前作は難しいために売り上げが芳しくなかった事から本書ではかなり簡潔に分かりやすく書いたようだが、もう少し細かく知りたいと思った。
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古典って難しくて苦手だと思っていたけど、ゆっくり読めばおもしろいのかも?と思えた。
昔の人が考えていたことを知ることは、今にも通じるところがあって、じっくり読むことで本当の意味が理解できる。
とっつきにくい古典へのプロローグには良いのかも。
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なるほどと思う部分と、ちょっとご自分に引きつけて解釈していないかな…と思う部分とが混在。
でもこの本のおかげで、この本で紹介された古典について、学生時代に教わった以降の新しい解釈を、自分でも勉強してみたいという気持ちは高まりました。
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古事記や奥の細道など有名な作品を独自の解釈で読み解いていた。古典や自己啓発本を読むことは、自分が没頭できる趣味や仕事を探すための有効な方法なので、ジャンルに限らず読書をすると良い。
目的を明確にせずこの本を読み始めたため、得られるものは少なかった。
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漢字の由来から本来の意味を解きほぐす。
今まで中国由来としか思っていなかった漢字も、例えば"四十にして惑わず"も文字通りに捉えるのでは無く当時"惑"が無く、部首を除いた"或"による自分の範囲を決めない、区切らないという意味であると知り目から鱗であった。
ざっと読んでしまったがとても為になる。
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古事記、論語、奥の細道、中庸
4つの古典のメッセージをわかりやすくまとめている
古事記
描かれる死生観がとても興味深い。昔は因果の関係が世になく、死は魂が一時的に離れたものと捉えていたため、死に対する恐怖がなかったそう。
因果や時間については、映画『メッセージ』をみてから関心を持っているのでもっと深掘りしたい。
論語
齋藤孝さんの『声に出して読みたい論語』に載っていたものも紹介されていたが、解釈の違いがおもしろかった。こっちの解釈の方が腑に落ちたので安田さんの『論語』を読んでみようと思う。
奥の細道
芭蕉は『俳諧的生活』を重んじたそう。俳諧=和気あいあいとする笑いであり、俳諧的生活=和とユーモアある生き方。笑いにはきっと奥深さがあるのだろうなあと、その後『落語は心の処方箋』を読むきっかけになった。
中庸
全ての人には自分の成す『性』というものがある。その周りには『過剰』という誇りが積もっているので本来の自分の性をみつける必要がある。そうして、自力(その時々でぴったりな選択ができる、それを感じる力)と誠(成るべきものを成るべきように成せる力)によって道(性に従うこと)を実践したい。
やはり、古典は人生で大事なことを簡潔に伝えてくれる。ここで紹介されている本はじっくり時間をかけて何度も読みたい。
古典は色眼鏡。古典を知ると世界の見方が変わる
たしかに、その通りだ。古典に限らず本というのはそういうものである。
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大変やさしい語り口。
そして、現代の新自由主義とは違う、優しい古典の本来の解釈。
内容も手軽く優しいために、自分でもう一歩踏み出して調べたくなる一冊。
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新しい形の古典入門。特に日本人は死を迎えたからと言って、おわりではなく、死者と共に生活する文化があるのに気づいた。色々と古典を読んでみたい!
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中高で古典を勉強していたときは習いたての文法を使いながら問題の正答を出すことに必死だったし、生き方についてそんなに悩んだりしてなかったから物語の主題について深く考えることが出来なかったけど、
今になってライトな入門書的な本書を読むと趣味の読書として、古典を読みたくなった。
人生に大切なことがたくさん書いてあるんだろうなぁ 大学受験時でさえ正確に文を読めた試しはあまりないので原文ままをいきなりは難しいので最初は現代語訳かな、、
・切磋琢磨についてp43
『切磋琢磨とは、あるものに手を加えて付加価値をつくることなのです。しかし、たとえばダイヤモンドを磨く研磨機で真珠を磨いたら、真珠は台無しになってしまいます。それぞれの原石には、それぞれを磨くためのツールがあるのです。つまり、切磋琢磨とは「その人のあり方に合ったやりかたで自分を磨く」ということです。』
・「時中」という言葉についてp.90
『すべきとき、言うべきとき、そしてそうでないとき、それを感じる力が「時中」の力です。』
・「中庸」という言葉についてp.98
『努力してほんとうの善を選び出し、そのうえでそれをしっかりと守る…具体的なやり方として、「博学」(知の空白を一つひとつ埋めていく)、「審問」(詳細な問いを立てる)、「慎思」(じっくり思考する)、「明弁」(答えを分けていく)、「篤行」(病を得た馬を動かすように丁寧に行う)。この五つをしっかりとやっていくことによって、人は誠に到達できる。』
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古典はちょっと…というスタンスに変わりはない。でも少しでも近づきたく、本書のようなものは、あれば手に取ってしまう訳で。
まず、”日本語を漢字で書くパラダイムシフト”。すなわち漢文の思考回路から日本的な思考へ、という発想の転換がそこでなされた訳やね。そして論語では、”時間と心”の概念が誕生する。これもパラダイムシフト。その内容として気になったのは、”友は過剰に気付き、その指摘は本体を打たず蛇(外側)を打つ。本当のことを言うのが本当の友、ではない”のくだり。これはちょっと意外に思えた内容だけど、言われてみればその通り。気持ちが楽になります。
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『古事記』『論語』『おくのほそ道』『中庸』──代表的4古典に書かれている「本当のこと」とは? 私たちは何を知っていて何を知らないのか。古典の「要点」さえ理解できれば自分だけの生きる「道」が見えてくる。自分なりの価値観を見出していくために。古今東西の名著に精通する能楽師による、常識をくつがえす古典講義!
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古事記、論語、奥の細道などの背景や、独自の読み解きで、自分の人生に活かせるよう古典の世界を紹介している。
ページ数もコンパクトに収められており、古典入門に、ちょうど良い。
古典の漢字を紐解き、当時使われていなかった漢字から、本来の意味を探求しているのが興味深かった。
古事記を書き起こす際に、太安万侶が意図的に間違えたであろう漢字を使ったのは、国を治めるために海外(中国)の価値観を取り入れたという。古事記は遠いファンタジーのように考えていたが、政治的意図だと考えると、少し身近なものに感じるようになった。
印象に残ったのは以下の部分。
松尾芭蕉 風雅の誠→対象と自分が一体化すること。
死という概念がそもそも日本になかった。
一時的に魂が離れた萎びた状態をいい、永続的ではなく一時的な死を意味していた。盆の概念でもそれが垣間見られる。
論語の四十にして迷わずではなく、区切らず(自分を限定するな)の意味ではないか。