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企画はよいと思いますし、説明も丁寧ですが、「事典」を書名に入れている割には、「事典」としては中途半端な印象を受けました。
完成形に至るまでには、もう2、3回、改訂が必要な印象です。
が、そこまではやらないですよね、きっと。
ただ、著者の、「哲学をより多くの人にわかりやすく伝えたい」という思いは伝わってきました。
というわけで、同じ著者の他の本も読んでみようと思います。
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おもしろい発想から知識とか実体とかとかカテゴリーとかを解説しようっていうわけなんだけど、これは一回そういう言葉に悩んでからじゃないとわからんだろうね。ていうか、「実体」とかを巡る哲学者の考えたことっていうのはほんとうに混乱しているように思う。
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「『個物と普遍の関係』、『心(知性)と物の関係』といった哲学的な課題が、どういう世界観にもとづいて問われたのか」(p.265)、「哲学用語の意味や語源に焦点を当てて説明」(p.273)することで、現代世界の基本的な枠組みを作った西洋文明の枠組みを理解するための西洋哲学の全体像を把握するための本。個々の哲学者の議論が何を目指して、どういう背景のもとで行われているのかを把握することで、その後の哲学の勉強をわかりやすくしようというもの。「基本的に、大学1年生向けの授業で教科書として使おうと思って書いた本だが、英語に関心があり、西洋文明における根本的な世界観について知りたいと思う意識の高い高校生なら、興味深く読むことができると思う。哲学に関心のある大学生や社会人ならきっと楽しく読んでいただけるだろうし、これまで哲学書にチャレンジして挫折した人であれば、『ああ、そういうことだったのか』と目からウロコを落としてもらえるのではないかと期待している。」(p.274)という本。
高校の倫理だと、個々の思想家の名前とキーワードを覚えるのが中心(少なくともセンター対策としては…)だった気がするけど、それがどういう流れで出てきたのかということと、そのキーワードの英語、元になるギリシア語、ラテン語をひもとくことで、日本語の定訳よりももっと分かりやすく捉えて理解しよう、という趣旨の本。冒頭でカントの「理性」はreason、「悟性」はunderstandingだから、要するに「カントによれば、人は物事を理解するときに、感覚器官に与えられた情報をあるがままに受け取るのではなく、人間の側の理解枠組みに当てはめてしまう」(p.3)ということで、「カントが言っていることは、いわば現代の認知心理学が研究しているような話」(同)だ、というのがとても分かりやすく、つかみとしても完璧だったと思う。
ただそのあと、存在論、神学、認識論と続くのだけど、それがやっぱり難しい。サーっと読んでしまったせいなのだけど(でも一応マーカーを引きながら読んだけど)、個々の議論についてはなんとなーく分かったような、分かってないような、という感じで終わってしまった。けどおそらくこれより分かりやすい説明というのはないように思えるくらい親切に書いてくれているし、わざわざ章の最後に「まとめ」としてポイントを書いてくれているくらいだから、読者がもっと頑張って読む本なのだと思う。最も印象的なのは、やっぱり西洋の学問がいかにアリストテレスが基盤となっているか、という話だった。「プラトンがさまざまな言葉を重ねて示したかったものを、『イデア』という用語で固定したのも、アリストテレスである。(略)さまざまな学術用語を考案し、それを定義し、先行の文献を引用して、傍証や反証を積み重ねていくアリストテレスの議論は緻密だが、ときにアリストテレス自身の試行錯誤や迷いがそのまま残されていて、難解である。(略)ヨーロッパ中世において『哲学者』といえばアリストテレスのことであり、『哲学研究』とはアリストテレスへの注釈や解釈であった。(略)現在の諸科学は、ほとんどすべてが哲学から派生したものだから、科学に頼って生活しているわれわれはみな、知らずしらずのうちにアリストテレスの言葉に��られているともいえる。」(pp.26-7)の部分には驚いた。そこまで言えるのか、という感じ。(とは言え、紀元前後にキリスト教神学を理論化するまでの段階でアリストテレスのことが忘れられていた時代というのもあるらしいけど(p.55))「『正しい知識』とは普遍的で、かつ現象の原因を明らかにするような知識」(p.89)観というのは、「現代の自然科学に受け継がれている」(同)とか。ということで、「正しい知識」とは何かというところから、まずアリストテレスの存在論(何がどこにあるとするのか)について考えることになるが、これがまた難しかった。次に「神を先に立てるプラトン的立場と、経験と論理によって髪を理解しようとするアリストテレス的立場の二つがせめぎあいを演じる」(p.133)という神学の話で、キリスト教とアリストテレス哲学を融合させる、という話が出てくる。面白いのは「物理学をモデルとして、近代の自然諸科学が成立した。自然科学は、プラトンとキリスト教との間にできた子どもなのである」(p.147)が、それと対立するアリストテレスは「『世界が神によって創造された』という説を明確に否定している。というか、むしろバカにしているのだ。」(p.156)ということで、「何度か『異端』のかどでアリストテレス研究を禁止するが、何度禁止しても、結局のところ学者たちは研究をやめなかった。事実と論理から導き出される真理の魅力は強力で、一度その魅力を知ってしまうと、それを見なかったことにすることはできなかった」(p.159)ので、「中世の哲学においては、キリスト教の教義とアリストテレス哲学が示す真理とが矛盾しないことを論証すること(信仰と理性の調和)が、大きなテーマとなった。」(p.160)が、デカルト以降、「人間はどのようにすれば正しい知識を得ることができるのか、そもそも正しい知識を得ることが可能なのか」(p.224)という認識論に移っていった。そして最後の章で、いかにわれわれが西洋哲学的な世界観を前提として物事を考えているか、哲学を勉強するとは何をすることなのか、といった話があった。
と、全体の項目をつなげるだけでもこれだけの話になったので、その中身となると難しい。けどattributeとpropertyとか、どこかで出てきたデカルトの「延長」って何だろう、とかそういう言葉がきちんと分かる言葉で簡潔に説明されているのが良かった。それに余談というものがちょこちょこ入っているのも楽しかった。「どういうわけか京都の洋菓子店の名前になっているニコラ・マルブランシュ」(p.48)、「マルブランシュに対抗して、というわけではまったくないが、こちらはどういうわけかドイツのビスケットの名前になっている」(p.49)というライプニッツ、ということらしい。京都に行ったらこの洋菓子店行かなきゃ。あとは正しいことを求めて処刑されたソクラテスと似た人は、「日本でも、戦争中に政府の方針を批判したために獄死した三木清」(p.75)。確かに。あとは「デモクリトスは『原子説』を唱えたとして高校の『倫理』の教科書でも紹介されるが、なぜそんな説を唱えたかというと、パルメニデスの論理と現実を何とか整合させるためであった。彼は、『存在は一』というパルメニデスの結論を何とか否定するために、『何もない空間がある』のだと教鞭した。そして、『存在は不変だが複数ある』と考えることで、この世界の��成変化を不変の原子の組み合わせによって説明しようとした」(p.95)という、そういう背景があったというのは知らなかった。あとはトマス・アクィナスという『神学大全』という本は、日本語訳で全45巻、そこに含まれる問が512あって、その中に小問が十数個あり、全部で2669問(p.160)あるらしい。「『問い→異論→反論→解答』というパターンが、延々、延々と、2669回も繰り返されるのである。体系的で強靭な精神を感じさせる、すごい本である。これを全文日本語に訳した人たちや、きっと売れないだろう出版した出版社もすごい。そう言う人たちのお陰で、われわれは日本語で哲学ができる。」(p.160)というのは納得。まさしく「成せば為る」的な話だなあと思った。
ということで、語源の話も良かったが、西洋哲学の流れというものが、何とか掴めそうな本、という点が何よりもこの本の良い点だと思う。(21/08/31)
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哲学史を勉強したいなら、早い段階で読むべき1冊。日本語で西洋哲学を勉強しようとすると、本来のニュアンスが欠落してしまい、より難解なものとなってしまう。そういった課題を克服しようとするのがこの本である。
単に語源の話だけでなく、哲学史の中で特に重要となっている論点のみに焦点を当てることで、哲学史の大枠や全体像、主軸が見えてくる。この枠や軸が、これから哲学史を勉強しようとする時に大きな助けになると思う。