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「安楽死」にしても「尊厳死」にしても,言葉そのものに価値判断が含まれているという点は言われて気付きました。
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安楽死や尊厳死をめぐる議論はなぜ混乱するのか? 知っておくべき歴史や背景、言葉のからくりを指摘し、「死の自己決定権」「延命治療」といった言葉も吟味し直しながら、その議論が陥りやすい落とし穴を明らかにする。「よい死」を語る前に私たちが真に議論すべきことは何か。人間らしい尊厳ある生き方を求めて、医療文化、社会のあり方を問い直す。
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安楽死、尊厳死という言葉の意味は多義的で、①医師による積極的な安楽死、②自殺の幇助、③医療の手控え、中止がある。これが学べただけでも大きい。また、ただ生かされるされるだけの延命になるかどうかは、その治療を受けながら本人が主体的に生活できるかにかかっているので、医療の範囲を超えた情報が必要、というのが大きなポイント。
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安楽死を否定せずに、読んで欲しい。
2016年橋田壽賀子氏が、安楽死で死なせて欲しいという本を出した。
彼女の言い分と、不治の病で安楽死を希望する人と同列に考えるべきではない。
橋田氏の意見は、あくまで稚拙な彼女の意見で深い考えではない。
幇助自殺ではなく、殺人を希望しているからだ。
今、ヨーロッパで安楽死を認めている国は、ナチスが用いた安楽死、ラテン語のEuthanasiaではなく、Assisted sucideという用語を使う。
彼女の言い分は、ナチス優生学に通じる。
元から橋田氏が嫌いなのだが。
認知症になったら、老人だから、それが苦痛だ、
老人を否定する視点でしか考えられないのだが、加齢ってそんなに悪い事か?
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「安楽死」「尊厳死」の世界共通の定義や学問的に公認された定義はない。
この言葉の政治性に対し自覚的でありたいです。
p.42・・・「尊厳なき生」の代わりは「尊厳ある死」ではなく、「尊厳ある生」であるはずだ。
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安楽死、尊厳死の定義のあやふやさ
自覚なしに強制されているものを自己決定と呼んでよいのか
尊厳のある死とは?尊厳のない生を前提にして、尊厳のある死をもってくる用法に注意
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「安楽死や尊厳死に定義はない、人それぞれで違うように話している」という点について、何故そうならざるを得ないのか、そのうえでどう定義づけていくのが良いのか、を俯瞰的に説明している本。界隈の著名人の論理をインプットしていく前に、こういった全体感の話を入れておくと、フラットに考えられるので有益。
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以下3つが大分類。1と2は今の日本では犯罪になる。※どこからが1か2か3かは曖昧。
・医者が直接やる(積極的安楽死、と言われやすい
・本人が選び本人がやるもしくはできない場合に幇助する
・積極的な延命をしない(尊厳死、と言われやすい。訴えられない限りは犯罪にならない場合が多く実際はよく行われていると思われる)
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生きるに値しない、社会に貢献できない、耐え難い苦痛を感じる…私たちは時に「楽に死んでしまいたい」と思ってしまう事がある。また社会がそのような人を安楽死へ追いやってしまう、そんな不寛容さが時に主流となる。様々な論点を知るための書。