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定価1000円の本に、よくこれだけのネタを詰め込んだな…というのが、第一印象。
美術、映画、音楽(クラシックからジャズ、ロックまで)、宗教、ファッション等々。
19世紀音楽家のリストは、(ピアニストとして)聴衆の女性を失神させた、アイドルスターの走りだった…というのは、知らんかった。
他にも「へ~!」ネタ多数だが、と言って、他で使えるかというと、単に著者の趣味の世界であるものがほとんど。ぜひ、図書館で。
「#「カッコいい」とは何か」(講談社現代新書、平野啓一郎著)
Day90
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つまりその、ついていけなかったわけで。古代から現代までに通じるあれこれを平野さんの博識で語る。カッコいいのはシビれる感じなんだって。
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SNSでの時事コメントやメディア上での時評では(ろくな文化人の少ないこの世代では例外的に)至極真っ当な平野啓一郎だが、肝心の書くもの(小説・評論)が個人的にはつまらないことが多い。本書も西欧中心主義的な思想系譜認識や、生理的な「体感」を「カッコよさ」受容の本質とするアクロバットな力技に恣意性を感じるが、その博覧強記による「情報量」自体が勉強になるため、読んで面白いことは面白かった。生まれてこの方「カッコよさ」とは無縁で、「カッコいい」「カッコ悪い」という価値判断自体の暴力性に対し、幼児の頃から嫌悪感を持ち続けている者としては、どうあっても「カッコよさ」という概念は肯定できず、(一応言及はされているが)差別や暴力の観点から「強者のイデオロギー」としてより徹底した脱構築を望みたい(「カッコいい」女性が「名誉男性」化している問題など)。
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筆者は、「かっこいい」を「しびれるような生理的興奮をもたらし、強い所有願望、同化・模倣願望をかりたてるもの」と定義している。この本を読む数ヶ月前、あるロックバントの初ライヴに行って、まさに「しびれる」ような体験をしたばかりだったので、どんどん読み進めた。音楽、ファッション、文学、宗教、政治、経済など、いろいろな視点から分析している。章によっては、多少、文章が冗長に感じられるところもあったが、それ以上に、考えさせられることが多かった。かっこいいを考えることで、自分の生き方、美意識を問い直してみたい人におすすめです。
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「カッコいい」の定義付けを、世界的視野と歴史的視野に基づいて紐解く。
「カッコいい」が時代ごとにどう定義され、背景に何があり、その背景の変遷を受けどう変化してきたかという論の進展には迫力があったが、良くも悪しくも気圧される論であるが故に、今の私たちにとっての「カッコいい」に辿り着くまでにややくたびれてしまった感があった。
この文章において、平野氏が「あるまいか。」という結びを多用している印象があり、そのことも私にとってはくたびれてしまう原因となったのではあるまいか。
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題名に惹かれて手に取ったが、こんなにも「かっこいい」について詳細に、かつ学術的に述べられると、私のキャパシティーをオーバーしてしまい、読むのを断念。あぁ残念。
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家族が飛行機のデザインを見て「カッコ悪い」と言うのを聞いてちょっとびっくりした。どこに善し悪しがあるのかよくわからなかったからだ。
小さな男の子に「可愛い」と言うと、「カッコいいと言って!」と言われたことがある。
それぞれのツボが知りたくて読んでみた。
なかなか面白かった。
カッコいいはしびれるような感覚を伴うそうだけど、そこは今一つピンとこなかったかも。
自分でも考えてみた。
カッコいいは縦方向の美意識かな?
可愛いは横方向の共感、愛情かな?
「カッコいい」は外見の形的な事に言いがちだけど、最近はどちらかというと考え方や振る舞いに感じることが多くなった。
本当は「カッコいい」とか余り気にしてないのがカッコいいかも。
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「カッコいい」という現代的な美意識について、美学や社会学などの観点から考察をおこなうとともに、ジャズやロック、ファッション、文学についての著者自身の意見を交えながらの議論がなされています。
著者は、アメリカにおける「クール」の概念やヨーロッパにおける「ダンディ」の概念などをたどり、「カッコいい」という美意識にかんする概念史的な検討をおこない、さらに1960年代以降の日本で「カッコいい」ということばがどのように用いられてきたのかを明らかにしています。そのうえで著者は、「カッコいい」とは民主主義と資本主義のなかではぐくまれてきた美意識であるとしながらも、つねにあたらしい「カッコよさ」を提示することで駆動してきた消費社会のありかたそのものが「ダサい」ものになりつつあるのではないかという現代の問題を提示しています。
また著者は、「カッコいい」という美意識の核心に「戦慄」や「しびれる」といった生理的興奮があることに留意しつつも、そうした生理的な反応と倫理的価値観との接点に生じる問題を指摘しています。こうした著者の議論の方法は、「カッコいい」という美意識に内在的な立場からの分析であるというよりも、カルチュラル・スタディーズのような社会学的な考察に近いといえるように思います。小説家である著者には、そうした分析にページを割くよりも、著者自身の感性にもとづいた議論を手掛けてほしかったと、個人的には感じました。
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20210110
哲学的というか論文っぽいというか。
もしも、何もすることが無い膨大な時間が得られたら、再チャレンジするかな…
自分自身のカッコいいとは。
男として、大人として、親として、
カッコ悪い事をしない。言わない。って事。
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あまり馴染みのない分野なのでついていけないところもあったけど、カッコいいを軸に文化やファッションの歴史などに触れることができて良かった。
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「カッコいい」という感覚を言語化することの奥深さを知った。
感覚的なイケてる、ヤバい、スゴいといった言葉にも共通する「理屈抜きの形容詞」をどのように明らかにするかということは、自分の美学を確認することに違いない。
自分にとってのカッコいいとは何か、を突き詰めることは自分探しと言える。
単なるルッキズムと言い切れない。
カウンターカルチャーとしての反骨精神、感情をコントロールできる人、家族や身近な人をまもれる人、卓越した職人技を持っている人、、などなどもカッコいい。
かわいいは目下に使う。
カッコいいにはリスペクトを含む。
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自分には少し難しいと感じたものを読み返してみたら、案外スラスラ読めた。それに、それそれ!って思うことばかりが書かれていて、自分が感じていたことを言語化してくれている本だと思った。
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「カッコいい」というのは個人のパーソナリティに根差すから、「カッコいい」について考えることは、いかに生きるべきかを考えることだ。
自分がよくわかんなくなっていた時に読んだ本だった。いつから「カッコいい」について考えなくなったんだろう。
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「カッコいい」をその語源、語感、語用の変遷から、類語から掘り下げて考察。クール、男らしさ、ヒップ。しびれる感覚。ここまで、こだわって論が展開されると、どうも著者と対話したくなり、自らの思考がノイズとなる。これは私の悪い癖であるが…。
例えば、「カッコいい」とは、そのタイミングの価値観に基づく妄念。つまり思い込みであり、一年前のデザイナーシャツが時代遅れでカッコ悪くなる事もあり得る。更に、他者から承認を期待した相対的な物であり、絶対的価値観ではない。自覚する自己を引き上げ、投影する自己における理想の姿こそが、自らのカッコ良さであり、言い換えるなら、承認欲求の期待だ。自己がそれを成し得ない場合、他者に投影する理想と、他者の実際の一致を見て、カッコ良さを感じる。パンクスを馬鹿にする少年は、伝説のパンクロッカーを間近に見ても、しびれはしない。体感主義の根源には、必ず自己の価値観がある。
思春期の頃は、デザイナーファッションに憧れたが、今はブランド物でかためたオバさん、オジさんを田舎臭く見てしまうようになった。枯れた、という事ではなく、洗練、あるいは超越したのだと思いたい。
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カッコいいとは何か。歴史、世界的な視野、定義、表面的なことと実質的なこと、政治利用に至るまで幅広く網羅して漏れてるものが何もなさそう。
ぎっちり詰まって400ぺーじ強。なかなか濃かった。これで1000円ならすごく安く感じる。
同姓同名かと思ったらある男(小説)の作家さんか!!すごいな!!笑
知識量と分析能力と情報をまとめる力凄まじいな…