投稿元:
レビューを見る
「外国人住民が容易に公的支援からこぼれ落ちる構造問題はもはや日本社会の欠陥だと言わざるを得ない」
この本を読むと支援の受け方を知らないだけで簡単に生活が破綻する事例があることがわかります。
僕自身やっぱりこういう現実から目を背けないように仕事にもボランティアにも向かわないといけないと改めて思います。
投稿元:
レビューを見る
大阪に生まれ大阪に住む私にとって、次の一文を読んだとき、こっぱずかしいとも思ったが、やっぱり素直にうれしかった。
-『子どもたちに大阪の暮らしはどうかと聞いたら、「とても温かい。ここに帰って来られて本当によかった。」と答えた。』
これを言ったのは、フィリピンにルーツを持つ高1の姉と中学生の妹。
でも実は大阪でこの一言を言うまでには、母と子とが大阪→北関東のある町→フィリピン→北関東と巡るものの、いよいよ生活費も底をつきかけて追い込まれ、最後の一手として大阪で知り合っていた著者にSOSをスマホで送り…という前段がある。
でも私は思う-大阪の街って、本当に温かいの?-ある面ではウソだと思っている。
私の妻が臨月で地下鉄に乗って病院に通うのに私がついて行ったとき、優先座席に先に座っていた人達は妻の姿が見えないふりをして、決して席を譲ろうとはしなかった。それも世間では「大阪のおばちゃん」と言われるような、出産を経験したと思われるような女性が、である。
大阪の街って、現実は東京や他の都市と差がなく、やっぱり他人から一線を引き、自分のみが満足すればいいという今風の街としか日常では実感できなくなっている。
と思っていたところに、この本と出会った。
著者の金光敏さんの名前は知っていた。毎日新聞朝刊の大阪地域面でコラム「共に生きる・トブロサルダ 大阪コリアンの目」が連載され、外国人コミュニティーやマイノリティーなどに関して、当事者の立場に自分をどっぷり浸からせたうえで生じる自分なりの思いを発信していたから。
それにしても金さんは相変わらず不器用だ。
不器用というのは言葉どおりの意味ではない。つまり、別にたいしてお金になるのでないし、日本政府から何とか褒章をもらえるのでもないのに、外国ルーツの子どもやその家族から“大阪ニモドッテ仕事シタイ”とか“タスケテ”とか言われればバァーと走るかのように行動し、いろいろ大変な思いをしても、その子どもから「やっぱり大阪は温かい」なんて言われたら、もうしんどかったことなんか吹っ飛んだかのように大喜びしているという意味。
私はこう思う。大阪の街をいい感じにしてきたのは、金さんのような、自分がお金や名誉を得ることよりも、子どもの笑顔を大切にしてきたような不器用な人が他の都市よりも多くいたためだ。
だから万博か何か知らないけど、他都市と似たようなイベントを打って、プランナーや映画監督にプロデュースさせるようなやり方って、大阪の良さを最大限に引き出すのには力不足だと思う。へたすりゃ前述の地下鉄車内のような自己満足のみの価値観の支配がもっと進んでしまう。
本当に大阪にいろんなところから人を呼びたいのであれば、金さんみたいな人や活動を大阪いっぱいに広げる方が面白い結果になるはずだ。
投稿元:
レビューを見る
外国籍の母親,多くは母子家庭の子供たちの実情を知ると何か手助けをという気持ちになるのも分かる.夜間教室を開いたり子ども食堂を運営したり,素晴らしい活動だ.最後に日本の外国人の子供への教育の公的な制度にも言及してあり,かなり不利な状況であることも知った.
投稿元:
レビューを見る
私が育ったミナミの「いま・ここ」ルポ。子どもの困難は親の困難でもあり、親の困難は社会の課題につながっているということがわかります。著者の最近の口癖である「ケースワークとフレームワークの両輪をつくる」の意味も広く伝わってほしいです。
投稿元:
レビューを見る
これまでに触れた数々のドキュメンタリーや各種媒体の記事から、大阪は様々なケースでの子どもの受け皿が厚く多岐にわたっているイメージがあったものの、その取り組みをじっくり知る機会がなかなかありませんでした。
Minamiこども教室という一拠点をベースに、外国ルーツの子ども(親子)とどのように関わりフォローしているのか、学校や周囲とどういった方法で連携しているのか、これまでよりは一段深く知ることができました。