0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ハム - この投稿者のレビュー一覧を見る
ちょっとした、サボりたい気持ちからの、冒険心みたいなものから始まるストーリーで、昔ながらですが好きでした。
投稿元:
レビューを見る
『そのぬくもりは消えない』
『マルの背中』
どちらも大好きだったけど、
これはまたすごく面白い!!
ちょっと不思議な女の子、不思議な物語なら、
駒子さんの繊細な表紙がすーっとそこに連れていってくれるんですよねぇ。
お兄ちゃんの中学進学に合わせて、市の東側のちいさなマンションから、西側の中古住宅に引っ越してきた朋の家族。ママは新しい家、新しい職場、一人暮らしのおじいちゃんのお世話にとにかく忙しい。
朋はママの勧めで英会話スクールに通うことになる。
いつものように土曜日の午後、英会話スクールに行ってみると、その日は塾はお休みだった。
なあんだ。と、家に帰る前に寄り道をしてみる。
英会話スクールと郵便局とのあいだにある道の先、
その曲がり角を曲がると…
喫茶ダンサーと、庭先で朗読をしてくれるオワリさん。
その不思議な魅力と、英会話スクールでの違和感に、
また次の週も英会話をサボって曲がり角を曲がってしまう…。
ふしぎな曲がり角で出会う、もう1人の少女みっちゃん。
同じ英会話スクールに通う同級生の麦野さん。
朋も、どうやらお兄ちゃんも、学校には馴染めていないよう。
お兄ちゃんは、野球部を、朋は英会話をやめたいという気持ちをそれぞれの方法でママにぶつけていく。
朋はママを傷つけたくないけど、お兄ちゃんはすっかり反抗期。大人になってしまった。
パパとママの夫婦喧嘩も、この家に引っ越してから増えてしまった。
子どもたちの声に耳を貸そうとするけれど、空回りするママの姿にはイライラさせられる。
パパの家庭での在り方もとてもリアルだ。
そのリアルさと、少女の心の味方である曲がり角の世界と、岩瀬成子さんのお好きな、タイムファンタジーの世界になんともうまく誘われてしまうのです。
そしてあっという間に読み終えて、ビックリしてしまう。。
投稿元:
レビューを見る
英語教室になんとなく行きたくない朋は、近くの路地に入ってみた。細い路地を進むと、不思議なお話を朗読しているおばあさんに出会い、庭に招き入れられる。次の週、同じ道に入ったはずなのに、道の様子が違い、少し昔風の服を着た女の子と出会う。
現在と過去を行き来しながら、「したいこと、したくないこと」を考えるようになる朋。すぐ隣にある不思議と子どもの成長を自然に描き出す秀作です。
投稿元:
レビューを見る
岩瀬成子さん、好きなのだけど、子どもの心情を描くのが上手すぎて、辛くなってしまうことも度々ある。
これは『マルの背中』や『ぼくが弟にしたこと』みたいに、明らかに問題のある家庭の話ではないのだが、どこにでもある普通の家庭の息苦しさが伝わってくる。
第1子が中学生になる時期に、賃貸マンションから一戸建て(中古をリフォーム)に引っ越した家族。父は通勤時間が長くなり、母はパート、家事育児、近くに住む老父の世話と、ゆとりのない生活。中古ではあるが新居の手入れもある。中学生の息子と、小五の娘は思春期となり、親の言うことを聞かなくなる。こういう家庭は日本中どこにでもあり、戦争中の外国の家庭や貧困、DVに悩む家庭に比べれば、幸せと言えるくらいだが、じゃあそこにある問題はとるに足りないどうでも良いことかといったら、そんなことはない。本人達にとっては重大で、時には生命の危機にもつながりかねない危険を孕んでいる。
語り手は小五の女の子なので、彼女が感じ取れる範囲で描かれているので、表現はソフトだが、リアルだった。まざまざと思い出すなあ。全く同じシチュエーションじゃなくても。
特に、通勤仕事で疲弊している父親が、パート勤めの妻に子どもに関することを丸投げ。妻は子どものためにと家計の負担となっても塾に通わせたり、部活の道具を揃えてやったりしているのに、二人ともやめたいと言い出す。つい口うるさくなる。父親はたまにしか子どもと会わないから、子どもの味方をする。私が悪いの?という母親の怒りとイライラが分かりすぎる。
でも、岩瀬さんは子どもの心を描くのも上手いので、そんな時子どもはどういう気持ちでいるのかもちゃんと描かれている。
「学校ってね、そういうところなんだと思うよ。おれ、そういうことがわかったの。生徒は競争させられてんだなって。番号をつけられるの。テストの点数で、あなたは何番目の人だよっていわれるの。それは点数のことなのに、人間の番号みたいな感じがするよ。くやしかったら負けるな、勝て、勝ちつづけろっていわれてる、みたいな」(P79)
「そんな理由でやめるってお母さんにいったら、『だめ』って、きっと反対されると思うの。(中略)『そんなことだと将来困る』って、お母さんにまたしかられると思う。お母さんは、わたしが将来ちゃんと生きていけるようにって心配してるんだと、それはわかってる。ても、わたし、自分がしたいかどうかわからないことをがまんしてつづけたくないの。」(P180)
「こうしたほうが」というときのママは、心のなかでは「こうするべきだ」と、ほんとうはすっかり考えを固めているということが、小学生のお兄ちゃんにはわかっていたんだと思う。「うーん」とか、「そうだなあ」と、お兄ちゃんはぼんやりした返事をして、それから最後にはたいてい「わかったよ」と、ママの考えを受け入れていた。(P197)
「なんでも簡単にあきらめてほしくはないの。朋だけじゃないよ、晴太にしても」とママはいった。
「簡単じゃないあきらめ方って、どういうの?いまがそのときって、どうやったらわかるの?」(P200-201)
たいていのおとなは、子どもはいっしょうけんめい��強するのが一番だと考えている。いっしょうけんめいしたくない、ってことを上手く説明することなんてできるだろうか。(P249)
よその子が同じようなことを苦もなく続けて結果を出していると、比べないでいるのは難しい。親は子どもの将来が少しでも良くなってほしいと思っているだけなのに、その気持ちは伝わらない。
私はつい母親の立場で読んでしまったが、子どもの心を考えたら、子ども達の選択は正しかったと思う。
自分は、子どもの、その時その時の真剣な気持ちにどれだけ向き合っていただろうか。
子どもだけでなく子育て中の親にも読んでほしい。父親にもね。
投稿元:
レビューを見る
この人の他の作品に手を出すことは二度とないだろうなー。ちょっと世界観が独特すぎて、言い回しも頭に入って来にくいし、完全に「整理的に合わない」部類の本だった。ただ、嫌いなことを自分を無理矢理納得させて、仕方なく取り組むっていう子供の心理状態にフォーカスした点はすごく面白かったし、ただ残念なことにそれがテーマなのかどうなのかは読み取れなかったなあ。そこまでちゃんと読んでなかったからだなあ、きっと。パパとママの喧嘩の行く末だけがただただ気になって最後まで読んだけど、まあ読まなくてもよかったな。
投稿元:
レビューを見る
小学校5年生のわたし。転校して慣れない学校と英会話の塾。そんな毎日にある日道を違えて知った少し異なった世界。子供の自我の目覚めと友情の始まりの予感を丁寧に描いている。表紙の酒井駒子さんの絵がまた素敵でした。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりに日本人が共感できるような、子供心にモヤモヤした感覚を思い出す、児童書を読んだ。
親の、子供の将来を自分のことのように心配する気持ちと、子供自身の気持ちを信じたいことを両天秤にかけての葛藤は辛いことだと思うが、子供自身も辛いことを我が身のように感じられることができない理由は、何なのだろうか?
子供のいない私には分からないが、おそらく下記の台詞で、ハッとさせられるものはあるのではないかと思う。
「しなくちゃいけないと言われたから、しなくちゃいけないと思うのは、それは考えてないってことじゃないのかな」
悩み苦しむ彼女の背中をそっと押してくれた人は、かつて彼女と同じ思いを抱いていたが、それでも今現在、同じ思いを継承した生き方をすることができていることに、彼女自身は何か心動かされるものがあったのだろう。
ただ、正直なところ、家庭環境によるところも大きいので(特に保守的側面の残る日本の場合)、読んで却って辛く思ってしまうかもしれないのが、悩ましいところ。
ファンタジックな子供心の温かい交流もひとつの読み所としてあるにはあるが、あくまで主題は上記の
重いものであり、これを反抗期の一言で片付けるのは、ちょっと違うと思う。
投稿元:
レビューを見る
「小学五年のわたしと中一の兄は二ヶ月前、母の理想の新しい家、市の西側から東側へ引っ越してきた。この町で通い出した英会話スクールが休講だったので、わたしはふと通ったことのない道へ行ってみたくなる。道のずっと先には道路にまで木の枝が伸びている家があり、白い花がちらほらと咲いて・・・・・・。」