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棒高跳びをしている2人の佐藤りんたろうとエリナの物語を7年の時を交互に描く。帯の感動で涙が...というのはちょっと無い、かな(笑) 違う意味で空を掴めた、のかもしれない。
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自分が空を飛べないと気づいたのはいつだったか。自分の背中に羽がないことを知ったのはいくつのときだったか。
それでもいつかきっと、と自分の可能性を信じて空を見上げて飛ぼうとしていた。でも、飛べなかった…
どんなジャンルであっても、そこに自分の可能性を信じて必死に努力し続けた日々がある人は、そしてそれがかなわない現実に叩きのめされたことのある人は、きっとこの小説に心を動かされるだろう。そこに自分もいたんだ、と。
青春小説が大好きで、特にマイナースポーツ小説に目がない私にとって、この『空は逃げない』は正真正銘ど真ん中の大好物である。たまらん。棒高跳び、なんと地味な競技だ。いや、種目自体は派手だ、なんつったってめちゃくちゃ長い棒をもってすんごい高さを飛ぶんだから。でも、実際に見ることは少ないし、テレビでもあまり目に留まらない。そんなマイナー競技(失礼だな)に青春をかけた二人のリンタロウと、その二人を追う絵怜奈の三人それぞれの8年間。いくつかのすれ違いと勘違いが新しい人生へとつながりそしてまた重なる、魔法の棒のもたらしたかもしれない奇跡を素直に信じたい。
かつて空を飛ぼうとしていた大人たちへ、そして今、まさに飛ぼうとしている若者へ、贈りたい。空は逃げないぞ、安心しろ。
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棒高跳びを通して知り合った。二人の佐藤。A太郎とB太郎。そして、絵怜奈。彼らは、どうして棒高跳びに憧れたのか?。それは空を掴みたかったからなのだろうか?。それは自由を象徴する比喩なのか。B太郎の師匠の陶芸家からもらった竹の棒が運命を変える。弱点克服を考えたA太郎は大けが。B太郎は限界を自覚。絵怜奈は中南米へと留学。それぞれの空を求めて7年後に再会という青春ラブストーリーなのだが、棒高跳びのシーンや前半の面白さが後半になると、シーンの重複や文章の粗さでストーリーがぼやけてしまい。,尻すぼみ状態のまま着地。何かもったいない。
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大学の陸上部に所属し棒高跳びをしている同姓同名の男子2人と、その2人のスケッチをしている女子が主人公。同姓同名の2人は、区別するためA太郎、B太郎と呼ばれている。この呼び名と、ころころ替わる目線、時代。「またミスリードかな?」と思いながら読むと、やはりそうだった。読者を欺くのが狙いではなさそうだし、クライマックスのために必要な構成だったから許容するが、なんかしっくりこない。「運命が決まっていてもいなくても、人は努力でそれをつかみ取るしかない。精一杯の努力をしてやっとたどり着くのが天分だ。」という文章が響いた。
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ミステリーでもないのに、騙された。
でも大事なのはそこではなく、この本の帯の言葉。紀伊国屋書店梅田本店の百々典孝さん、書評の文章センスありすぎ。
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初めて読む作家さんです。さわやかなんだろうなと思ったらさわやかでした。でもそのさわやかさの中には苦さも大分量含まれています。
同姓同名の棒高跳びの選手、林太郎と倫太郎。7年後に車椅子のカメラマンになっているのはどちらなのか?指導者になっているのはどちらなのか?分からない状態で進んでいくのでミステリー要素も有ります。さらりさらりと読めますが、軽い訳ではありません。
表紙に内容との関連性が全くないのが気になる所です。もうちょっと内容に即した装丁の方がいいのになと残念に感じます。
次回作も読もうと思います。
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運命は遺伝子レベルで決められたものなのか、後天的な努力で変えていけるのか、偶然の出会いで想像だにしていなかった方向に飛び出していくのか。三人の主人公はそれぞれの経験を通じて、それまでは見えなかった景色を見つけ出していく。
ちゃんと読み進めないと話の筋が分からないようになっているという心地よいもどかしさや、若い身体が瑞々しく活動する数々の描写、沼田さんをはじめとする魅力的なキャラクターに支えられた、とても気持ちいい作品だった。
一つ分からなかったのが、山谷くんが絵怜奈を突き放し、最後には居なくなってしまった理由。絵怜奈自身わからないままトラウマになってしまっているが、これはこれで良かったのだろうか。あえてこの立ち位置にした意味が分かる人がいれば教えてほしい…
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じんわり良かったです。いろいろな運命のターニングポイントがあるんだけど、物語の都合ではなく、本当に生きている感じがして、だからこその先が見えない謎があるようで。
一方で、イカロスの墜落やバベルの塔の神罰のように、真実をつかもうとしたら、神に突き落とされるという神話のようで、運命に抗う人々の強さと、それを突き抜けた先に見えるものの妖しい魔力のようなものを感じました。ただそれでも地に足がついている感じが現代風?
小説としては、短い断片が、時系列をばらばらにして並べられていて、読む側のテンポとしては、良くいうと軽やか、悪く言うと、その世界に引きずり込まれて沈殿していくような凝集感に欠けるように感じられました。
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A太郎B太郎と言う2人の大学生男子が、走高跳で切磋琢磨し、そこにちょっと不思議系女子大生も走高跳をやる!と言って始まる話。
初っ端からどっちかが怪我をして下半身不随になるのが分かっていて、それがどっちなのかがヤキモキさせられる。
ただ、出てきたちょっと不思議系女子の存在が物語を疾走させている感があった。
途中からなんとなく怪我したのはあっちなんだろなぁ…
的な展開が読めてしまって特にこれと言った感想がない。
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これは正に活字ならではのトリック。
「どっちも半身不随になりませんように」
あり得ないと思いながらも祈ってしまう。
筆者の活字に対する信頼と思いの詰まったコメントも好き。
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ふたりの佐藤リンタロウ、A太郎とB太郎。そして絵怜奈の三人の青春と言ってしまえばそれまでだけれど、さわやかなのにそこに内包するたくさんの苦しさが重い。
棒高跳びについて深く考えたことがないけれど、競技には別の世界につながるような一瞬があるのね。
取りあえず、ハッピーエンドでよかったよかった。
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読後の清涼感がある。
挫折したとき、限界を知ってしまったとき、どうやってそこから方向転換していけるのか…
すごい葛藤に苦しむけど、できればスマートに乗り越えたい、外面的だけでも
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読書備忘録562号。
★★★。
帯には、感動!涙が止まらん!とか書かれていましたが、どこに感動するのか全く分かりませんでした。
ただ、読むのやめよう、とは思わなかったので★3つ。いわゆる、ふつ~。
2011年。大学で競技で走り高跳びをやっている2人の佐藤。A太郎とB太郎。名前も倫太郎と林太郎で音が一緒だから付けられた綽名。そこに走り幅跳びをやりたくて仕方がない芸術学部の石井絵怜奈が加わった3人。
そして2019年。リンタロウと思わせぶりな表現で、車いすのカメラマンが登場する。
どうやらどちらかの佐藤が競技で事故にあったようだ。
絵怜奈はメキシコにいた。もうひとりの佐藤は大学に残って陸上部のコーチを務めている。
2011年と2019年のミッシングリンクを文字で紡いでいくのだが、何の感動もない。容易に想像出来てしまい、リンタロウがどっちかということも早々に分かる。
この小説のポイントは8年間のバラバラだった3人がそれぞれ苦難を乗り越え再会するというものだと想像するが軽すぎる。ラノベにもならない。
いじょう!
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・最後までどっちが怪我をしたのかわからなくて、読んでいてハラハラした。(A太郎とB太郎)
・スポーツならではの躍動感や言葉では言い表せない表現が巧みに表現されていた。
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うまーく誘導されました。
全てが明らかになった時にびっくり。
本当に何も気づかなかった。
やられた!