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岸本さんのエッセイはずっと読んできたが、だんだん「小説」になってきているように感じる。というか、もう小説なんじゃないか。以前の「あるある」「笑える」から(そういう部分も残っているけれど)、カフカや内田百閒の短編みたいな「連れていかれる」感じが強くする。「おばあさんのパン」「落ち葉掃き」「河童」「花火大会」「フィナーレ」と巻末に近づくにつれ、ほとんど「小説」になっている。
本文に何度も出てくるが、たぶん本当に岸本さんは外出の頻度が低い。普通エッセイって自分が行ったり見たりしたことや、出会った人のことをきっかけに感じることを書くのだけど、外出せず人にも会わないと、過去の記憶や想像したものが頭の中でミックスされ、ここに特異な才能が加わると小説になってしまうのではないか。たいていの人は「特異な才能」はないので、出かけたり人に会ったりしてネタを探すが、岸本さんは脳内が小宇宙なのでその必要はないわけ。
すごいな。
岸本さんが翻訳する小説もかなり風変わりな作品が多いけど、岸本さんにもそんな小説が書けるのではないかと思う。
ぜひ読んでみたい。
今回の名言
「ダークマター。
いったいどんなものなのだろう。何か、羊羹みたいなものが星と星とのあいだをみっしりと埋め尽くしているようなイメージだ。
夜の一人歩きは危険だ。ダークマター、と思ってしまった瞬間、私と肌を接している宇宙空間が真っ黒な羊羹に変わり、口から鼻から目から私の中になだれこんでくる。」(p52)
確かに「ダークマター」って「真っ黒な羊羹」という感じがする。しかも美味しくない。
「いつか『グズな人には理由がある、ただしグズは魂と直結しているのでグズを矯正すれば魂も死ぬ」というタイトルの本を書くのが夢だ。」(p88)
「何時間かの座談会の中でその者が唯一まともにしゃべったのは「いかに嫌いな人間をひとまとめにして頭の中で巨大な臼に放り込み、杵で何度も何度もついて真っ赤な血の餅に変えるか」についてだ。」(p121)
「そもそも聖人と凡人の境目はどこにあるのだろう。なんで聖人はえらくて凡人はだめなのか。聖人には聖人の受難や奇跡があるように、凡人にだって受難や奇跡がある。終電に乗り遅れるとか、ハイヒールが歩道の穴にはまるとか、コンビニのおつりがちょうど七七七円だったとか、結婚相手と誕生日が同じだったとか。そういう凡人たちをみんな列聖ではなく列凡して、凡人カレンダーに名前を載せるのじゃなぜいけないんだろうか。そしてもちろんみんな何らかの守護凡人になる。私は、そう、「たまに混じってるうんと辛いシシトウに当たらないようにする凡人」あたりを希望。」(p126)
「たまに混じってるうんと辛いシシトウに当たらない」凡人という発想が凡人じゃないな。
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『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』に続き、3冊目のエッセイ。連載は18年目に入ったとのこと。4冊目も楽しみです。
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新聞の書評で見かけたので、読んでみた本。
妄想の世界に、引き摺り込んでくれる著者の感性は独特だけど、思い当たる点もいくつもあった。
とにかく、文章のリズム感も良くて、思わず吹き出してしまわずにいられない。
ものに気持ちがあると妄想したら、何気ないありきたりの毎日も飽きないだろうなと思う。
早速、「ねにもつタイプ」も読もうと借りて来た。
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この人のエッセイは面白いに決まっている。「シュレディンガーのポスト」「ぬの力」など好きなのが何本もある。特に嫌いなのはない。
以前はついオチの面白さを求めて読んでいた気がするけれど、意外やオチがあまりない話も面白いと思った。そのぬるぬる感みたいなのが。
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読んでいて、思わず思いっきり吹き出したり、爆発的に笑わされたりして、そのたびに、電車やその他の公の場所でなくてよかったと安堵した。
岸本佐知子さん独特の「ワールド」を天性のものとして持ってます。読み終えてすぐ、僕は岸本さんの別の本を予約。本の案内にある言葉、「頭くらくら、胸どきどき、腰がくがく、おどる言葉、はしる妄想、ゆがみだす世界は、なんだか愉快」、まさしくそんな世界で、思いっきり笑って見たい方は、特にどうぞ!
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「ちくま」での連載が18年も続くエッセイ.
毎回単行本にして3ページ.その中からのセレクションなので前著から7年.うーむ長い.
自虐的というか,自分で自分の思考の渦に溺れてる感じがおもしろい.妄想も爆発.なかなか生きるのが大変そうだ.私はそれを読んで笑ってるだけだけど.
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この人の日記を毎日読みたいわ!
ぬの力、が好き。鵺。
エッセイだけど、時々、小説ぽさが入って、うまいなぁ〜と思わせる。
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【本】ひみつのしつもん/岸本佐知子 ★★★★★
エッセイ界ではワタシのベスト。いつもの妄想エッセイが楽しい。
『たとえば空から落ちてくる雨粒の一つに住んでみたい。三百六十度透明なドームの中に浮かんで、歪みながらつぎつぎと変わっていく外の景気をのんびり眺めて暮らす。何千メートルの距離を地面まで落ちるあいだに、雨粒の中では百年が経っている。文字にもそそるのがある。「鼎」とか「凹」なんかはいかにも魅力的な間取りだし、「畳」や「臨」の部屋数の多さにも心ひかれる。「凡」のすっきり物のない暮らしにも憧れるし、「Q」や「乙」の曲線に寄りかかって、ゆったり足を伸ばしてみたい。』
『私が心の底からやりたいことは、たとえば、「つるっつるすること」だ。完全に滑らかな、摩擦ゼロの平面を、どこまでもどこまでもつるっつると滑っていきたい。その究極のつるっつる感だけを味わいたい。あるいは私かやりたいのは「ふわっふわすること」だ。何かよくわからない、とにかくふわっふわのものに、全身くまなく包まれて、ただひたすらふわっふわしたい。』
なんて誰が考えるでしょう。
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めでたくも18年間も続いているという、ありがたいお話。
読むのは7年ぶりくらいだろうか、私にはこのくらいの距離感でよい。
だって、夜の道を歩いていていきなり、ここは宇宙の中なんだ、ダークマダーだ、羊羹だ、などと思い出してしまったら、大好きな夜と羊羹が台無しだ。
明日、お尻のあたりにカチンと音がしたらどうしよう、と怯えるのも嫌だ。
ネジに至っては、もうホラーの短編としか(私には)感じられない。私のネジはぽいと捨ててしまったが、後から体調不良に陥った時に後悔するかもしれない。恐ろしい。
だから、本を閉じたらすぐにふわふわした本を読んで気持ちを紛らわせる。そしてまた、怖いもの見たさで読み始めるのだが。この永遠のループは終わることがない。
役に立つこともある。わからないことがあったら、すぐにネット検索などしないほうがいいそうだ。自力で思い出すことで、消滅しかけていた脳のニューロン通路が復活するという。岸本さんは3日かけて思い出した。
でもエッセイのテーマはそこじゃなくて、やむなく検索した時、履歴に残った自分の検索ワードに、驚愕するという話。
クラフト・エヴイング商會の挿し絵がまた、絶妙であることも申し上げておきたい。
翻訳家の、翻訳以外の文章は、私の脳内をざわつかせてくれる。この本を読めば、脳内の何かを復活させてくれているかもしれない。一つの考えに凝り固まってしまった人、想像力が欠如している人に勧めたいが、そういう人には、たぶん受け入れてもらえないだろうな。
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岸本佐知子のエッセイは間違いない!
今回も”それなっ”を連発しながら読了。
中でも、地球の裏側でバッチリ運動した人の運動量が、日本にいてぐうたらしている自分にこっそり転送されたらいいのにって笑った。
こんな発想はなかったわ。
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『だが自分に嘘をつくことはできない。私は旅行が嫌いだ。そもそも移動や変化に関係すること全般が苦手だ。家から出るのにもけっこうな決断と勇気を要する。家から歩いて一分のところにあるクリーニング店に行くのに三ヶ月かかったりする』―『アレキサンドリア』
岸本佐知子の翻訳したものを読書の手がかりとするようになってしばらく経つ。リディア・デイヴィスも、ジュディ・バドニッツも、ミランダ・ジュライも、この翻訳家の名前を頼りに読んでいる作家だ。もちろん「気になる部分」以降のエッセイも必ず読んで、その翻訳作品の選択眼が如何に際立ってユニークであるかを再確認している。
「ねにもつタイプ」から続く「ちくま」の連載も三冊目。その間、少しのブレもない妄想ぶりが心地よい。ここに書かれていることが、そのまま著者の日常であるとは思わないけれど、ちょっとした出来事に独自の視点を持ち込み、そこから妄想を膨らませるという創造はありそうであまり見かけない。多くの人々は、極端にナイーヴになるか、極端に斜に構えるかして自分の身(それは秘された内面、弱さ、プライド、というようなもの)を守ろうとする。そういった見栄や虚栄心のようなものを岸本佐知子の文章からは感じない。潔ぎよい。
例えばそれは、川上弘美の「東京日記」のような諧謔的、自虐的、文章と気脈を通じるところがあるように思う。こちらも「東京人」の連載から始まって長く続いている。そういえば、「Monkey」連載の「あかずの日記」は単行本になる気配がないけれど、まだ一冊になるには分量不足なのかしら。
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予約状況からして8月以降になりそうとの目論見だったが、だれかがキャンセルしたのか、皆さんサッサと読んでしまうのか、予定よりも1カ月近く早く順番が回ってきてしまった。
最近の東京は感染者拡張キャンペーン推進中につき、再度コロナ自粛で図書館閉鎖になったら困ると思い、他に6冊も借りているので想定外だ。
つい最近「なんらかの事情」を楽しんだばかりなので、少し時間を空けたかったのが本音だがこうなったら読むしかない。
岸本佐知子さんは、ふと頭に浮かぶことが面白い。今回のヒットはこれだ。
『つるっ禿げの人の頭頂部に生ハムをひろげて載せてみたい。そして「これこれやめなさい」とたしなめられたい。』
あと面白いのは、チョット気になった事柄へのこだわりだ。例えば、
語の先頭に来る「ぬ」の音にはすごい破壊力が備わっている。
ヌテラ、ヌスラ戦線、鵺(ぬえ)、ぬばたま、ヌクレオチド、、、
ただならぬ妖気が漂っている。だいいち「ぬ」という形が怪しい。
といった具合だ。
こんな内容だから、読み始めると面白くて自分もサッサと読み終わってしまった。
何かが学べるわけでもなく、ただただ時間を無駄に使いお気楽に過ごすための本で、何の役に立っているのかわからない。
でも、こんな本をへらへらとにやけながら読むだけの余裕があることを確認することができた。(次に待っている人に早く回そう)
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精神の自由!
生きてりゃ なんとかなるさ
岸本佐知子さんの「綴り方」に
接する度に
まぁ どないかなりますわ
ほんまに ぼちぼちで ええですよ
と 心の底から思わされます
気持ちの「凝り」がほどよく
ほぐされていきます
そこが なんとも 気持ちいい
そうそう
クラフト・エヴィング商會さんの
イラストがまた秀逸過ぎて素晴らしい
ドンピシャとはこの時の言葉ですね
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面白い。面白くて声に出して笑った。手に取ったきっかけは、穂村弘さんのエッセイで触れられていたから。そして、読んでいる途中で、岸本さんの訳した小説を読んでいたことを思い出した。確か不思議な感覚の幻想小説で、でもどこかシリアスになりきれないような小説だった。そうか、この方が訳しているのか、と妙に納得した。
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「掃除婦のための手引書」の翻訳者である岸本佐知子さんが雑誌「ちくま」に18年に亘り連載している「ネにもつタイプ」をまとめたエッセイ集の第3弾。
ニヤリとクスリとププッが交互に訪れるゆる~くて独特な岸本ワールド。下の話もあるけれど、下品になりすぎないのがいい。
それにしても、想像と妄想が激しくて、時々、ネタじゃないの~と思うこともあるものの、「あるある!」な部分もあって、そういう日常のもろもろをおかしみある文章で表現できるのが物書きなんだろうな~。
個人的にツボだったのは、スリ師のニックネームが並ぶ「正月連想」と悪魔の食べ物”ヌテラ”から妄想が始まる「ぬの力」、誰かが「それはそうと」と言うたびに小声で「クレオソート」とつぶやく小人が頭の中に住むという「私は覚えていない」の3つ。
装丁も、それぞれのエッセイに添えられたクラフト・エヴィング商會の味のあるイラストもとても素敵でした。