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即効性のあるノウハウを求めている人には向きません。生産性や効率を目的にしている人にも向かない。そういう人は読まない方がいい。
でも、働くこと、生きること、そうしたことをじっくり考えたい人はぜひ手に取ってほしい。
僕自身、回り道をしてきた過去が、無駄ではない、意味のある道のりだったんだと強く思えるようになりました。
生産性や効率は手段であって目的ではない。では、その目的とはなにか。自分に取っての目的を問い直すきっかけを与えてくれる本です。
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2020年13冊目。
「書かなくたって、本にならなくたって、一人ひとりの生き様は全部、布張り箔押し函入りの美装が似合う物語だ」
この言葉が、著者であるセンジュ出版代表・吉満明子さんの根本にある想いを一番表している気がする。
この本は、起業の話であり、出版の話であり、編集の話であると同時に、一人ひとりの「自身の人生の肯定」の話なのではないかと思う。本や出版に携わる人以外にも、この本を手に取ってほしい人の顔が数多く浮かんだのには、そんな理由がある。
センジュ出版は、その名のもととなっている北千住にある、素敵なカフェ・イベントスペースが併設された「まちの小さな出版社」。かつて「毎朝5:00まで働く、非効率が嫌いなバリバリの野心家」だったという吉満さんが、子どもを身ごもり、見直された生活のなかで出会った北千住というまちの素晴らしさに気づいたことをきっかけに、一人で始められた。多種多様なプロジェクトを次々に起こし、本だけではなく「場」や「まち」まで編集される姿に、多くのメディアからも注目が集まっている。
合言葉は「しずけさとユーモアを」。このコロナ禍の混乱のなかで、とても沁みるメッセージだ。センジュ出版にお邪魔し、本に囲まれた静かな空間で吉満さんとお会いすると、本当に落ち着く。
そんな吉満さんが書き手と向き合う姿勢の根本には、いつも大きな愛があるのだと感じた。それは、「どんな書き手にも語るに値する物語がある」ということを信じ、その物語を浮かび上がらせる「本当の言葉」を紛れもなくその本人の力で紡ぎ出せるということを信じ、それが叶うことを心から願い、待つという愛。そして、そんな物語や言葉を通じて、書き手も読み手も、自身の人生を肯定できるようになってほしいと願う愛。
ミヒャエル・エンデが描く「モモ」のような存在になりたい。吉満さんはそう語っている。僕が思うモモは、単なる聞き上手ではない。作品を読むと、モモが特別な聞き方のテクニックを持っているわけではないことがわかる。人に安心して語らせ、語る本人のなかから光を溢れさせる......モモにそんなことができるのはなぜか。それは、「その瞬間、その相手のために、自身の存在の100%をもって時間を使い、共にいる」ことができるからなのだと思う。
ありがたいことにお付き合いがあり、先日「週刊センジュ出版」という番組で対談もさせていただいた身として、吉満さんがまさにそんな存在であることに疑いはない。対談の後に僕自身が得ていた感覚は、まるでモモに触れた登場人物たちのようだったから。そしてきっと、吉満さんとともに本づくりに取り組む著者の方たちも、同じなのではないかと想像した。
そうして一人ひとりと愛を持って大切に向き合い続けることは、楽しくもあるかもしれないが、並大抵のことではないと思う。この本のなかで、著者の苦悩に対してまず「大丈夫です」と声をかけ、後から必死で「大丈夫にしていく」シーンがある。著者と真っ向から向き合う編集者であり、スタッフさんたちに背中を見せ続ける経営者でもあり、センジュ出版とご縁を持つ一人ひとりに対しても真剣に向き合う吉満さんは、いったいどれだけの人にそうしてきたのだろう、その大変さはどれほどのものだったのだろう。そんなことを想像し、頭が上がらなくなった。
これから本格的に編集という仕事に臨んでいく身として、この本からは本当に多くのことを学んだ。
相手が持つ物語を信じ、「相手を肯定したい」という愛が根本になければ、どれだけ理屈や正論や技術を重ねてもダメだということ。
その愛があるがゆえに、嘘偽りのない正直なフィードバックも可能になり、心置きなく最高の本づくりに臨めるのだということ。
そして作品は、編集者が急いで他動詞で「仕上げる」ものではない。著者によって、著者と編集者をはじめとした多くの人たちの関係のなかに生まれる力によって、ゆっくりと自動詞で「仕上がる」ものだということ。
書き手を、人を、心から信じたい、そう自分を励ましてくれる本。同時に、著者が持つ素晴らしい物語や功績を編集者のあり方次第で貶めてしまうかもしれない、そう自分を戒めてくれる本でもある。エールと自戒を同時に与えてくれるこの本は、間違いなくいつまでも自分の手元に置いておきたい一冊。
本とは、著者の分身としての「小人(こびと)」なのかもしれない。『小人の靴屋』のように、著者本人のあずかり知らぬところで本は仕事をしている。著者が眠ってる間にも、読者はその本を通じて感動し、そっと本を閉じ、天井を見上げて深呼吸し、次に前を向いたときには心が澄んでいる。
決して大袈裟な話ではない。なぜならこれは、この本を読んだときの僕自身の姿に他ならないから。きっと吉満さんは、真夜中にそんなことが起きていたなんて知らなかっただろうけれど。
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静かに、でも根っこからあたたまる深く根を張ったような力強い一冊。
そして読めば読むほど本がよみたくなる。本を大切にするためには本を愛すること。
ご縁が無数に繋がってセンジュ出版があるように感じるが、みなさん吉満さんの大切にしていることに共感し守りたい、そして巻き込まれたいと自然に渦のように動いてるのではないかと感じる。
この人から本を書いてと言われたら最上の喜び、そんな生き方を目指していきたい。
女性として辿る道、仕事優先で家族をないがしろにし、でも大切なことは静かな暮らしの中に見つかった、今まさに経験中なのでとても共感する。そしてシンプルに生きた方が本当は好循環でまわる。
素敵な本と出会いました。
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著書の吉満さんにお会いしたのは一度だけ。しかし、今の時代はSNSなどを通じてお互いをより知ることが出来てしまう。
日々、何気なくだが吉満さんが投稿する文章を読んでいると彼女の「あり方」が伝わってくるものだ。
活字だけではあるが、その人が書く文章を何度となく読んでいると、その人の「あり方」が感じられるものだ。
そこには根拠はなく、感覚的なものでしかないが、頭で考えたことより合っていることが多い。
この本は、そんな吉満さんが初めて書き下ろした等身大の彼女、そして彼女が経営する「センジュ出版」の物語である。
若い頃は大きな出版者で家庭を省みず、バリバリ仕事をして、目標数値を達成して社内表彰されていたという吉満さん。
そんな彼女がガラッと生き方を変えたのだ。
それは何故、どんなふうに?
ここが人生の面白いところ。
神様って凄い!
吉満さんに限らないが、人は人生で様々な体験を重ねていくものだ。もちろん、嬉しいことや楽しいことだけではなく、辛いことや哀しいこともたくさんある。
人は生まれてくるにあたり、次の人生のシナリオを考え、そのシナリオを忘れて生まれてくるという話があるが、それにしては随分とドラマチックな人生という人もいる。
それってその人は天才的な脚本家か小説家ってことなのだろう。
吉満さんは、そんな物語をたくさん聴いてきたそうだ。
☆本文より
書かなくたって、本にならなくたって、一人ひとりの生き様は全部、布張り箔押し函入りの美装が似合う物語だ。編集者として、そしてあなたの友人として、そんな物語を生きてくれたあなたに、敬意を表して。
今日も生きてくれてありがとう。
☆
この短い一説の言葉に吉満さんの「あり方」
そして、「センジュ出版」という出版社の「あり方」に
大きな愛を感じて、思わずホロリときてしまった。
この本とあわせ、吉満さんのセンジュ出版から世に出された本も読んでみて下さい。
http://senju-pub.com/
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共感できるところは色々あったけれど、一番うんうんとなった箇所
「お金の使い道…同じように使うのなら未来のために。
お金を使うことは消費じゃない。未来への投票になった。」
まさにこの数年で実感している事
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「この時のわたしがいなければ、センジュ出版はなかった。」
吉満さんが過去のご自身に対して感謝しているように感じて、すごくいいなと思うと同時に、自分にも重なる部分があった。
12月5日、自由丁と2k540の企画で10年前の自分に手紙を書いたとき、本当によく頑張ったよなあ、生きてて偉いと思った。
そしてやはり自分に対してそう思えるようになったことが嬉しい。
紙の本で読んでいて実はまだ序盤。
吉満さんはオンラインの画面越しでも、まぶしいくらい素敵な人だと感じた。直接お会いできる日が楽しみ。予定はないけれど会える気がしてる方。→すぐ会えた。
この本自由丁に置きたいなあ。