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イノベーションの歴史=イノベーターの歴史、ということで本邦における「イノベーション・スーパースター列伝」。江戸時代の鴻池善右衛門、三井高利みたいな伝説のスーパースターは、レスラーで言えばフランク・ゴッチみたいな存在か?中井源右衛門のような本書で初めて知る人物も。維新を超えての三井財閥の中上川彦次郎も知りませんでした。岩崎弥太郎、岩崎弥之助、安田善次郎、浅野総一郎、そして来年の大河ドラマの主人公、渋沢栄一も登場します。ここに来て経営者も中川上彦次郎に代表される専門経営者(salaried managers)、岩崎弥太郎に代表される資本家(オーナー)経営者(owner managers)、渋沢栄一に代表される出資経営者(investor managers)が出そろいます。プロレスでいうと専門経営者はNWAをサーキットするルー・テーズ、オーナー経営者は自分のマットを持っているバーン・ガニアか…でも、出資レスラーは思いつかず。第一次世界大戦を経て「都市化のリーダー」小林一三、「電力の鬼」松永安右エ門、「味の素」二代鈴木三郎助、「自動車王」豊田喜一郎、「新興コンツェルン」野口遵、鮎川義介、「海賊と呼ばれた男」出光佐三、「鉄鋼業の歴史を変えた男」西山弥太郎、「経営の神様」松下幸之助、「BI砲かファンクスか」井深大&盛田昭夫、本田宗一郎&藤沢武夫、「ミスター行革」土光敏夫、「アメーバ経営」稲森和夫、「小売の神様」鈴木敏文、「リスクテイカー」柳井正、孫正義。イノベーション・スーパースターがキラ星のごとく登場します。ブレイクスルーイノベーションとインクリメンタルイノベーションという考え方で過去を分析をしつつ、未来への示唆をシンプルに提示しています。それは「新型日本的経営」の構築と「投資抑制メカニズム」からの脱却です。それは人口減少社会においても「成長」という言葉を信じる死に物狂いのオプティミズムかも。
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橘川武郎氏の論説にはいつも注目しているが、経営史に関する著作は初めて読んだ。
特に印象的だったのは、小林一三から芦原義重、太田垣士郎への革新的DNAの継承、と、失われた(失った)10年における日本企業の投資抑制メカニズムの深刻な作用、である。
ここから何を学び、そして行動するかが、自分に問われている。
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はじめに イノベーションとは何か──シュンペーターとカーズナーとクリステンセン
第1部 ブレークスルー・イノベーションの時代
概観1:江戸時代
ケース1:鴻池善右衛門/ケース2:三井高利/ケース3:中井源左衛門
論点1:アーリーモダンかプリモダンか
概観2:幕末開港から日露戦後まで
ケース4:中上川彦次郎/ケース5:岩崎弥太郎・岩崎弥之助/ケース6:安田善次郎・浅野総一郎/ケース7:渋沢栄一
論点2:なぜ早期に離陸できたか──「最初の後発国工業化」の要件
第2部 インクリメンタル・イノベーションの時代
概観3:第一次世界大戦から1980年代まで
ケース8:小林一三/ケース9:松永安左エ門/ケース10:二代鈴木三郎助/ケース11:豊田喜一郎/ケース12:野口遵・鮎川義介/ケース13:出光佐三/ケース14:西山弥太郎/ケース15:松下幸之助/ケース16:井深大・盛田昭夫・本田宗一郎・藤沢武夫/ケース17:土光敏夫
論点3:なぜ長期にわたり成長できたか──キャッチアップと内需主導
第3部 二つのイノベーションに挟撃された時代
概観4:1990年代以降
ケース18:稲盛和夫/ケース19:鈴木敏文/ケース20:柳井正・孫正義
論点4:なぜ失速したか──ICT革命と「破壊的イノベーション」
おわりに イノベーションの再生──「2正面作戦」のための条件
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経営学の専門家による、日本のイノベーションの歴史について、起業家に焦点を当ててまとめたもの。日本の江戸時代から現代に至るまで20のケースに分け、鴻池善右衛門、三井高利から始まり柳井正、孫正義まで、研究・分析している。結論には納得できるが、1つ1つの分量が少なく、やや物足りない。明治から現代までの著名な企業家の概要は知ることができ、かつ現在の日本の問題点をよく理解できた。
「戦国期から17世紀は日本史上空前の大開墾期であり、推計耕地面積は1600年頃の207万町歩から1720年頃には293万町歩へ増加した。二毛作の導入や、肥料の多投、備中鍬に代表されるような農具の革新もあった。さらに、従来複合家族経営下で隷属的地位に置かれていた農民達が新しい耕地に移って、自律性を高め、それによって生産増進へのインセンティブが増した」p7
「鴻池家は、世界初の複式簿記を生み出した」p14
「1877年(明治10年)第10代鴻池善右衛門幸富は、第十三国立銀行を設立、1919年(大正8年)株式会社鴻池銀行となり、さらに1933年(昭和10年)、三十四銀行、山口銀行と合併して三和銀行となった」p14
「同じ共同企業方式をとりながら、それが「身代の分散」につながった中井家と、「資産の分散防止」に寄与した鴻池家・三井家とでは、対照的な帰結が生じたのである」p27
「日本のような後発国の産業革命においては、一面で、すでに先発国で開発された新鋭技術を利用できる代わりに、他面で、先発国からの輸入圧力のもとで工業化を達成しなければならない。後発国では労働コストが低いから労働集約的な軽工業ではそれほどでもないが、資本集約的な重工業においては、先発国からの輸入圧力は、相当に厳しいものとなる」p32
「後発国の産業革命が完了するためには、①繊維工業などの軽工業で機械制工場生産が確立するだけでなく、②軽工業が輸出産業化して重工業製品の安定的な輸入を保証するようになるか、③重工業自体の国産化に見通しが立つか、のどちらかが実現する必要がある」p32
「日本の場合、①は、大阪紡績が、1883年に1万500錘規模の大阪工場の操業を開始したことが、一つの画期となった。②は、1897年に綿糸の輸入量が輸出量を凌駕し、1900~05年の時期に生糸輸出が急増したことが、重要であった。③に関しても、1904年に官営八幡製鉄所の高炉が本格的に操業することとなり、1900年代後半には造船業や兵器製造の自給体制が確立するなどの事態がみられた」p32
「第二次大戦以前の日本では、財閥系企業の方が、非財閥系企業に比べて、資本家経営者でない専門経営者の進出が著しかった」p34
「(財閥の成功の要因)①近代的な経営体へ脱皮する改革を経て、日本の財閥が形成されたことである。時の権力者と密着して特権的に収益をあげる政商にとどまっている限り、三井や三菱も、長期にわたって成長し続けることは不可能であった」p35
「②日本の財閥が、「強烈な工業化志向」を示し「綿紡績業や電力業、およびそれらの関連産業などの少数事例を除けば、多くの産業において、リーダー(=リスク・テイカー)としての役割を果たした」ことである」p35
「③財閥系企業の方が、非財閥系企業に比べて、資本家経���者でない専門経営者の進出が著しかったことである」p36
「共倒れを懸念した日本政府は、郵便汽船三菱会社(岩崎弥太郎設立)と共同運輸会社(渋沢栄一設立)とを合併させて新会社(日本郵船株式会社)を設立させた」p45
「「味の素」は、特許法制定(1899年)以来出現した「日本人の三大発明」の一つとされている(他の二つは、御木本幸吉の真珠養殖と、豊田佐吉の自動織機)」p101
「花王株式会社の前身は長瀬富郎が1887年に開業した長瀬商店」p105
「(味の素創業者の鈴木三郎助)日本の有望な事業は、すべて三井・三菱のような財閥に独占される傾向があるから、自分は他人の真似のできない事業を起して、自力で成功したいと考えたのだ」と繰り返し発言したという」p107
「朝鮮特需により経営危機を脱却した企業は、トヨタ自工だけではなかった。さまざまな産業の多くの企業が、同じ経験をした。日本経済の「奇跡の復興」のかげには朝鮮特需のあったことを、我々は忘れてはならない」p117
「日本経済の長期にわたる相対的高成長を可能にした必要条件は、継続的に国内市場が拡大したことであった。第一次世界大戦を契機に始まった大衆消費社会化は、第二次世界大戦時において一時的に停滞したものの、戦後になると、さらに急速に進行した。欧米においても大衆消費社会化は進行したが、日本の場合には、国民の可処分所得の拡大だけでなく、生活の洋風化も同時に進行したから、消費革命は、より大きくより深い形で進展した。さらに、1930年代および戦後の高度成長期には、民間設備投資の活発化が内需の拡大を加速させた。この民間設備投資の増大こそ、日本の経済成長率を欧米先進諸国のそれよりも一段高いものにした、最大の要因だとも言える。こうして、日本経済は、1910年代から1980年代にかけて、東アジアの他の諸国・諸地域の場合とは異なり、内需主導型の相対的高成長をとげたのである」p198
「柳井正が「失敗に強い」ことは、別言すれば「撤退がうまい」ことを意味する」p230
「孫正義の起業家としての行動で最も印象的なのは、意思決定のスピードの速さと財界の大物との類まれな強い交渉力である。それは特に1994年度以降の相次ぐ大型M&Aにおいて遺憾なく発揮された」p235
「「破壊的イノベーション」とは、既存製品の持続的改善に努めるインクリメンタル・イノベーションに対して、既存製品の価値を破壊して全く新しい価値を生み出すイノベーションのことである。インクリメンタル・イノベーションによって持続的な品質改善が進む既存製品の市場において、低価格な新商品が登場することが間間ある。それらの新製品は低価格ではあるが、あまりにも低品質であるため、当初は当該市場で見向きもされない。しかし、まれにそのような新商品の品質改善が進み、市場のボリューム・ゾーンの最低限のニーズにまで合致するようになると、価格競争力が威力を発揮して、新製品が急速に大きな市場シェアを獲得する。一方、既存製品は、逆に壊滅的な打撃を受ける。これが、クリステンセンの言う「破壊的イノベーション」のメカニズムである。「付加価値製品の急速なコモディティー化(価格破壊)」、「日本製品のガラパゴス化」などの最近よく耳にする現象は、この「破壊的イノベーション」と深く関わり合っている」p239
「ブレークスルー・イノベーションによる「先発優位」の発生源の多くは、シリコンバレーを含むアメリカ西海岸に位置する。一方、「破壊的イノベーション」の担い手は、韓国・台湾・中国等の企業であることが、しばしばである。日本企業は、先発国発のブレークスルー・イノベーションと後発国発の「破壊的イノベーション」との挟撃にあって苦戦を強いられているというのが、2019年時点での実相なのである」p239
「稲盛和夫、鈴木敏文、柳井正、孫正義の4人は、1990年代以降の時期にも例外的に「投資抑制メカニズム」に陥らず、的確な成長戦略をとり続けた革新的企業家だった。しかし、全体的に見れば、彼らはあくまで「例外的」存在にすぎなかったのである」p241
「日本的経営の機能不全をもたらした「投資抑制メカニズム」を克服することが、喫緊の課題になる。日本企業が活気を取り戻し、国内でも次々と「破壊的イノベーション」が生じるような状況を再現するためには、そしてさらには、「先発優位」を獲得できるようなブレークスルー・イノベーションをも実現するためには、「新型日本的経営」の構築と「投資抑制メカニズム」の克服が何よりも必要なのである」p246