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パリ政治学院教授。ラテンアメリカ・カリブ海地域政策観測機構会長のオリヴィエ・タヴェーヌの著。ブリュッセル自由大学教授フレデリック・ルオーとの共著。
1500年以前の記述が無いのは分からないから? 現勢を説くこの本の趣旨ではないから? ブラジルの歴史、今まで考えたことが無かったが今回少し触れることができた。
1500到達→商業地、入植→1822ポルトガル皇太子による帝政→1889軍事政権による旧共和制→軍事政権による自らへのクーデター→1930ヴァルガス大統領による新共和制
・植民地支配(1500-1822)
インドを目指していたポルトガル船がブラジルに到着。先住民と契約を作成し現地語を習うようにと船員二人を残したが、彼らはごろつきで、最初のポルトガル人入植者となった。ポルトガルは入植より商業地としての植民地経営をした。木材の集中的伐採サイクル(1500-1570)が始まる。が、1570には砂糖産業に抜かれる。17世紀末には輝石鉱が発見される。
※木材、砂糖、鉱業の3つの経済サイクルは人でが入り、ポルトガル人入植者は奴隷制度を導入した。1500-1530年代は現地人のトゥビ族が木材伐採をしたが、彼らは奴隷というより協力関係だった。1515以降の砂糖キビ栽培が奴隷制の到来。現地人は抵抗し、アフリカ奴隷を輸入する。1550-1850の間に来たアフリカ人奴隷は400万人にのぼる。ブラジルは南北アメリカで奴隷制度を導入した最初の国となった。
1763先住民の奴隷制度は廃止されたが、黒人奴隷は1888まで続いた。
・反乱と革命(1500-1930)
1763首都をリオデジャネイロに移転。
1822年ペドロ1世がブラジルの独立を宣言。
・帝政下のブラジル(1822-1889)
1808年にナポレオン軍の攻勢をのがれポルトガル王室はブラジルに逃れる。が1821年本国に戻る。ジョアン6世の息子のペドロ王太子は帰国命令に従わず残り、1822ブラジルの独立を宣言する。
・旧共和制(1889-1930)
1888年、皇帝が海外訪問中に摂政を務めた皇女イザベルは奴隷法を廃止する。「奴隷制の廃止は帝室に警鐘を鳴らす」との皇女の言どおり、1889年11月15日、帝国は崩壊した。
1889年11月15日、軍はブラジル合衆共和国を宣言。ブラジルは産業化、都市化、新たな移民労働力による反映という急激な変化を経験する。
・1930-1964
1929年の世界恐慌が旧共和制の命運を絶つ。
1930年10月24日、選挙で選ばれた大統領ジューリョ・プレテスは軍人が率いる集団(調停者運動)により=1930年革命と呼ばれるクーデターにより葬りさられ、~軍は自ら実現した体制を葬り、リオグランデ・ド・スル州知事のジェトゥリオ・ヴァルガスが臨時政府のトップになる。・・ヴァルガスは国を近代化へと導いた。
・軍人のブラジル(1964-1985)
・民主主義の根付き(1985-2015)
・政治の分極化と不安定化(2015-2018)
○サンバ、カーニバル、カポエイラはブラジルの混血の力強い表現とみなされる。ルーツは植民地時代。
・カポエイラ~戦闘のダンス。16世紀にアフリカから来た奴隷の間で穂呂まった。奴隷主に対する抵抗と戦いの手段
・サンバ~ぷらんてーしょんで生まれる
・カーニバル~17世紀にヨーロッパからやってきたエントルードの祭りから発展。
・貿易相手国
2009年まではアメリカが1位。それ以後は中国が1位。2016時点では中国、アメリカ、アルゼンチン、ドイツ、チリの順。
・中国向け輸出品目 2017
大豆48%、鉱石19.8%、石油15.7%
・中国よりの輸入品 2017
その他、電気製品33%、機械装置15.1%
・ファベーラ
リオデジャネイロのスラム街。1897年に北東部との戦争~カヌードス戦争の帰還兵2万人以上が住みついたのが始まり。きわめて強靭な植物の名に由来する。
2019.12.3第1刷 図書館