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人ととのかかわり方についてやさしい文体でわかりやすく書かれている本です。最初は本屋さんで装丁に目を引かれ、ぱらぱらと立ち読みしました。これは立ち読みで終わらせるには本当にもったいない、そう思って、気づくとレジでお会計を済ませていました。家に帰ると読みたい熱が冷めて、積読になってしまう、というケースも多いですが、この本は帰宅後すぐにページをめくりたくなる、不思議な魅力があります。
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他者との関係性の中で生じる問題また違和感に対して、ナラティブ・アプローチで解決を試みる方法と効果について分かりやすく書かれた本。解決手順そのものよりも、課題を見つけるための前提のスタンスに関する内容が印象的だった。
考え方が平和的かつ合理的で個人的に気に入っているため、ナラティブ・アプローチの基となった社会構成主義をもう少し学びたいと思った。
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インターンが終わってすぐ、同僚とケンカした思い出と照らし合わせながらこの本を読んだ。
したがって本書は「何であのとき、同僚とわかりあえなかったのか」を内省するする手助けになった。
「相手と対話するために必要なことは、他人は自分とは違うナラティブ(物語)を持っていることに気づくこと。そして他人のナラティブに合わせて自分のアクションを変える…」
"わかりあえなさ"の溝に橋をかけるためのノウハウを学ぶことのできる、コミュニケーションから逃れることのできない私たちに実用的な本。
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一貫して対話の重要性を説いた本。
対話とは一言で言うと新しい関係性を構築することであり、
お互いにわかりあえていないことを認め知識の実践を行うことと定義されていた。
ナラティヴ・アプローチと表現していたが
要するに相手には環境や立場などによって理性が働くので
それを加味してコミュニケーションを取った方が良いと言っていると捉えた。
学び①
自分の理性に気づいて、相手の理性を理解した上で
対話をしていくことの重要性は理解していたが
今回の大きな学びは
対話をする前にやるべきこととして、相手の状況を事実としてちゃんと観察することが大事だと言うこと。
想像はするけど観察は軽視してたなと。
想像はつまり仮説でしかないのでその精度を高める意味で
冷静に観察するフローを導入するのは有効と感じたのでやろうと思った。
学び②
自分の理性が相手に押し付けになる可能性については
今は結構気をつけているつもりではあるが
今となってはある程度上の立場になってしまった自分にとっては
「後輩が意見を言いにくい」という後輩側に強く働く
理性がある分、
みんなよりもより気をつけないといけないのだなと再認識できた。
学び③
事例が色々書いてあったが、気をつけているつもりの自分でも
かなりのケースで思い当たる節があって反省した。
中でも例えば、新規事業(組織デザイン)について思ったのが
自部門の能力が落ちるゆえに、安易に人を放出できないと考えたことがあった事実。
これは自分が自部門のトップという意識から出てきている自分の都合が入っている。
「総論賛成、各論反対の状況」になりやすいと言っていたが
まさにその一例だということに気づけた。
解決策は妥協ではなく、双方の利を満たすことを
追求していきたいと思った。
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社会構成主義の考え方をビジネスに取り入れた本。内容自体に目新しさは無かったが、参考文献が明示されていたのでとても勉強になった。
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対話(ナラティブ・アプローチ)が組織形成に必要な理由がわかりやすく、書かれている。
「正しい説明という暴力」とか、
人を育てる=その人がその仕事において主人公になること
など良い意味でショックを受ける箇所が多数。
組織だけでなく対外的な仕事でのコミュニケーションにも通用する話で、うまくいった仕事や取り組みを思い出すと、こういうアプローチしていたかもと整理できた。
人は、これまでよしとされていたカリスマ性のあるリーダーシップや、旧態依然とした上下関係など、直接的に・間接的に経験してきたことの焼き直しをする傾向にある。一方で、徐々に生み出されつつある新しいうねりは、確実にこの世界を変え始めている。それはビジネスだけでなく、人と人との関係性においても同様。
泥臭く厳しい上下関係が想起されがちなスポーツ(例えばラグビー)ですら、新たな信頼関係、絆、「連帯」を築いた一例。
新しい関係性とは、「私とあなた」がベースであり、自分のナラティブの偏りを認めることで相手のナラティブにも理解を示し、
「そういう話なら、こういうことも考えられそうだよね」と双方の意見をマッシュアップして前に進むことを意味する。
人の人の関係性は、つくられるものではなく現在進行系でつくっていくもの。
これは仕事においても、社内コミュニケーションにおいても同様。
ナラティブを見ることは、よく言われる心理的安全性の在り処を探ることであり、
そのポイントが見つかれば対話が始まり、新たな何かを生み出していく拠点になる。
そうやって、お仕事もチームもつくっていけるといいなと思いました。
====以下、読了メモ=====
“新たなモノ・コトを生み出す組織に必要なのは「対話」である”
上記をベースに、
・そもそもなぜ「対話」が必要なのか
・そもそも「対話」とは何か
・どのように「対話」を実践できるのか
という観点で、「ナラティブ」という言葉を用いてこれからの組織論 コミュニケーション論を説いている。
ここでいうナラティブとは「解釈」や「思考の枠組み」を指す。
人は、「自分が正しいことをしている」というナラティブにとらわれがちで、
そうなると、相手に何か提案し、それが通らないと「何でわかってくれないんだ」という思考に陥りやすい。
ここで思い返すべきは、自分にナラティブがあるように、相手にもナラティブがあるということ。
筆者は、自分のナラティブと相手のナラティブに隔たりがあることを「溝」とよび、これが「対話」を妨げるとしている。
■対話とはなにか
そもそも対話とはなにか=「新しい関係性を構築すること」
ここにまず発見があった。
「相手がなぜわかってくれないのか」という思考のままで対話がなされないとき、
相手との関係性は「私とそれ」である。
人は無意識的に相手に対して立場や役割によって「道具」的に振る舞うことを要求する。効率的に社会活動がが回るため。
一方で、対話によって生み出��れる関係性は「私とあなた」
対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方にお互いを受け入れあっていくことを意味する。
仕事に置き換えて考えると、
上下の関係で、部下に「こうして」「ああして」「今までこうだったからこうする」と一方的に話しているうちは、「私とそれ」の関係性のまま。
意図を説明し、相手の考えを聞き、相手のことを知り「対話」をしていくことで、
「私とあなた」の関係にすることができる。
つまり、「相手のナラティブを知る」というところにこの関係性変化の重要点がある
というかたちで、
自分と相手双方にナラティブがあり、それを認識したうえで対話をしていく。
そのプロセスを踏まないと「自分は正しいことをしている/言っているのに」と相手の理解が及ばないことに腹を立てて状況が改善しない、提案画通らない。
一方で、相手には相手のナラティブがあるということを知ると
相手にとっても「意味のある」話や提案ができるので、結果として話が通じやすい。
相手のナラティブを知り、そのギャップを埋めていくプロセスは
準備→観察→解釈→介入の4つのステップ。
■対話の罠
①気付くと迎合になっている
②相手への押しつけになっている
③相手と馴れ合いになる
型」の適応課題が生じる
④他の集団から孤立する
⑤結果がでずに徒労感に支配される
■時代遅れのリーダーシップ 「正しい説明という暴力」
言ったことをなかなかやってくれない 伝わらないという話を上司と部下の関係で書くと
上司のナラティブ「これまでのやりかたはこれ」「普通こうやる」「◯◯という風に育ってほしい」
部下のナラティブに「本当に必要なの?」「こうしたらより良いのではないか?」「自分がなりたい像☓☓に必要な経験だろうか?」
このナラティブの溝に気付かずに、上司の側から見て「間違った理解をしている」「わからないからやってくれない」というのは
部下のナラティブを無意味なものだという前提で捉えているという暴力
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この本で出てくる「ナラティブ」がキーワードですね。ナラティブは簡単に言うと、ただ相手の立場にたって考えるだけではなく、もう少し突っ込んで「相手の立場にたってかつ、抱えてる責任やその責任につく物語」くらいのレベルまで落とし混むことで、このナラティブを相手との間にある溝を埋める為に観察、検証し、相手との橋を渡して分かりあう為の会話をする。その為にナラティブをする必要がある、という事なのではないでしょうか。このナラティブのスキルはメタ認知とも似ている気がします。
この本は人間関係に悩んでいる方なら全般に、後は、組織のリーダーにも読んで欲しい本です。
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対話をするということは、「私とそれ」の関係から「私とあなた」の関係へと、関係性を作りかえること。もし自分が相手の立場だったら、と考え、相手の中に自分を見出すことが、連帯する、つながるということ。
根底にある社会構成主義の考え方、その立場や状況によって人のあり方が決まる、というところが自分の大切にしたい考え方と共通していたので、考えていることがすっと言葉になって入ってきた。
ポイントは『自分のナラティヴを脇に置いて、相手の置かれている立場や状況、言動を観察すること』これに尽きるかと。私は『正しい説明という暴力』つまり正論を押し通そうとする癖があるので気をつけよう。
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相手の立場に立ってみよう。そう思うと相手に一理あると思うだろう。自分の弱さも相手の弱さも認めよう。べき論ではなく、こういうふうに私自身もしてしまったかもしれないとうところから、相手のナラティブを想像し、橋をかけてみよう。
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技術やノウハウでは解決できない適応課題を準備、観察、解釈、介入の4つのステップで解決していく。キーワードとなるのは「ナラティブ」である。ナラティブとは物語、その語りを生み出す「解釈の枠組み」であり各々が持っている。このナラティブが各々違うため、溝ができ適応課題が発生してしまう。具体的な解決ステップは以下の通り。
準備(溝に気づく):相手の価値観、相手のナラティブとの間に大きな溝があることにきづく
観察(溝の向こうを眺める):相手の「言動」「ナラティブ」を観察する
解釈(溝を渡り橋を設計する):相手のナラティブから自分を見てみて、どこにどんな橋をかけるか設計する。
介入(溝に橋をかける):橋を架けてみる。行動に起こしてみる。
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正しいことが、実践できることとは限らない。
それを埋めるのが対話。
技術的問題と適応課題。
相手のナラティブを観察して解釈し、
新しい関係性を気付くように技術的に介入する。
代りに、ではなく、加えて
と言えるかどうかだ。
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会社で起こるやっかいな問題は
人間関係に起因することが多いもの。
本日ご紹介する本は、
自分と他人の間の溝を埋める努力をすることで
やっかいな問題を少しでも減らしていく、
と言う考え方を紹介した1冊。
ポイントは
「わかりあう」
やっかいな問題は、「わかりあえなさ」から始まります。
納得ができない事があっても、
一旦、今の自分の解釈を保留してみる。
そして対話を通して、
相手の考えと自分の考えの間に橋をかけていくことをしないと
何も前に進みません。
「準備」
相手と自分の考えの間に溝がある
ということに気づくことが重要。
そして、どのような溝があるのか冷静に考えてみる。
「観察」
溝に気づいたら、溝の向こうを眺める。
相手の考え、意図していることを知ろうとすることが重要。
人が言うことには必ず意図があります。
「解釈」
溝を渡るための橋を設計する。
頭の中だけで考えず、一度書き出して、
客観的に眺めてみる。
問題や相手を見ている間は、
冷静に状況を把握できないもの。
感情的になってしまうと正しい判断ができません。
ぜひ、読んでみてください。
◆本から得た気づき◆
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組織の壁や政治、文化、習慣などの「都合の悪い問題」は一筋縄では解決できない
組織とは、私たちを動かしている「関係性」そのもの
なぜそういうことが起きているのかを観察することが有効
上司には判断できないだけの何かがあるはず
権力の作用を自覚しないとよい観察はできない
わかっていないことに目をむけること
未熟な後輩から対話を学ぶ姿勢
私たちは常に不完全な状態にあることを見続けなければならない
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◆目次◆
第1章 組織の厄介な問題は「合理的」に起きている
第2章 ナラティヴの溝を渡るための4つのプロセス
第3章 実践1.総論賛成・各論反対の溝に挑む
第4章 実践2.正論の届かない溝に挑む
第5章 実践3.権力が生み出す溝に挑む
第6章 対話を阻む5つの罠
第7章 ナラティヴの限界の先にあるもの
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他者とは語りを生み出す解釈の枠組みが違う。
そりゃそうだ、って思うことも日常では忘れがちです。
自分のナラティブを一度脇に置くということは、実際はけっこう難しく、ともすれば正義中毒に陥ってしまうことすらあると思います。
昔に観たナデシコの木星軍のストーリーを思い出しました。他人の視点に立って物事を考えるっていうことは、昔からいわれてるけど、案外出来ることではないですよね。今回、対話というもののイメージが具体化しました。今までは、溝は強引に埋めるか、その溝に近づかないかが多かったかもと自省しつつ、この本とともに、これからは対話が楽しみになってきそうです。橋をかければ向こう側にも渡れるんですもんね!
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人はそれぞれ異なるナラティブを持つ=「わかりあえなさ」があるという前提に立ち、共に働くためにはどうすればよいかを説いた本。ここでいうナラティブとは狭義の「語り」ではなく「解釈の枠組み」のことで、文脈と言い換えてもいいと思う。
最も印象に残ったのは、「自身のナラティブの偏りと向き合うこと」。中立な人間はこの世界には存在しない。自分の偏りを認めた上で対話を実践していくことは惨めに感じるかもしれないが、重要なことである。
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書いてあることは、正しいことだと思います。
基本といえば基本の内容です。
ただ、基本であるが故、見落としているというか
忘れていることもいろいろ教えてもらいました。