紙の本
近現代史からの論評
2019/12/10 22:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コンドル街道 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ジャレドダイアモンド博士の著作としては異色の近現代史からの論評。
一番古い事例が幕末から明治の事例で、後は20世紀、それもフィンランドの事例を除いて全て第二次世界大戦以降の事例である。
本書で取り上げられた事例はどれも興味深いが、本書のテーマを十分に論じるには不足だ。それこそプロローグにあるようにあくまできっかけ、この本を入り口に数多の研究、検証が為されることが筆者の願いなのだ。
投稿元:
レビューを見る
ベストセラー「銃・病原菌・鉄」の作家として知られるジャレド・ダイアモンドが、「個人的危機」と「国家的危機」の共通点と相違点を示しながら、危機全般とその危機に対する対応策について考察を行っているのが本書。
本書の構成が、①個人的危機、②国家的危機、③世界全体の危機、というように徐々にスケールアップしつつ議論を展開してくれているので、自然と自分の視座を高くしていくことができ、大いに知的好奇心を刺激してくれる。
もちろん、他著書と同じくジャレド・ダイアモンド氏の圧倒的な教養・知識は満載だ。
様々な読み方ができる本書だが、私はまず自己啓発書として読んだ。
その場合、単純に自己だけに焦点を当てた啓発書に比べ、視点が広い。
投稿元:
レビューを見る
『銃・病原菌・鉄』や『文明崩壊』、『昨日までの世界』など、広範な知識を元に人類の歴史をグローバルな観点で分析をしてきたジャレド・ダイヤモンドの最新作は、近現代史における国家的危機を分析したものであった。
原題は、”UPHEAVAL: Turning Points for Nations in Chrisis”
UPHEAVALという耳慣れない単語は、激動・動乱といった訳語が当てられる。激動や動乱は、一般的には非常に個別の事象で、その場そのときに固有のものである。本書では、国家的危機の事例がいくつか並べられているが、そういった意味で「危機と人類」と大ぐくりにされるのはいかがなものか感がある。地政学的な違いや歴史の違いから危機に対しての行動や結果も違っていたというのがこの本の主旨であるので、どこか人類一般に適用されるような一般論を語っているわけではない。
本書で取り上げられるのは、まずはいくつかの過去の国家的危機 - 第二次世界大戦までのフィンランドの対ソ戦、日本のペリー来航から明治維新、1970年代から始まるチリの軍事独裁政権、1965年のインドネシアの軍事クーデーター、ドイツの第二次大戦後から東西統一に至る変遷、1972年のオーストラリアの白豪主義廃止を含む急激な変化、が取り上げられる。そして、現在すでに進みつつある将来の危機として、日本の女性の役割/少子化/人口減少/高齢化という社会的問題、アメリカの政治的妥協の衰退、気候問題などグローバルな危機、である。
著者も断っている通りなのだが、この本で個別に取り上げられた国のリストは、著者自身が何らかの関係があり、自身の経験としてもよくしており、友人知人の話も直接聞くことができるという理由で取り上げたものであり、決して網羅的なリストでもない。少し考えればわかる通り、優先的に取り上げられるべき上位の国ですらないかもしれない。
世界には興味深く取り上げられるべき「危機」と「変化」を経験した国には枚挙にいとまがない。
例えば、隣国の韓国が二十世紀に経験したこと、そして今も分断された国としてあることは、どの国にも負けず国家が向き合う危機として記録され、分析され、記憶されるべきものだろう。地政学的な要因をこれほど強く受けて翻弄された国もそう多くない。チリで取り上げられた独裁者による悲劇では、その悲惨と与えた影響を鑑みるとカンボジアを外すわけにはいかない。フィンランドと同じように大国に翻弄された国でそこからの復活した事例としてはベトナムが外れることはないだろう。悲惨な結果を招いた民族対立とそこからの復興についてルワンダを始め、アフリカ諸国にも無視すべきではない多くの事例が存在する。国家としてのアイデンティティの観点からも南アフリカは、オーストラリア以上に興味深い事例である。そして、もちろん、かつてソビエト連邦として知られたロシアの歴史と連邦としての崩壊についても分析すべき価値がある。
もちろん著者はこの本で取り上げた国が網羅的でないことは百も承知である。著者はこの研究をさらに進めて、現代的な計量的手法を取り入れたいと考えていたが、そこには至らず、「本書は、叙述的な探索的研究」であり、「本書がきっかけとなり、今後計量的な検証がおこなわれることを希望��る」としている。ここで取り上げた7つの国の事例だけでは、統計的に有意な結論を導き出すには少なすぎるのである。
一方、危機に際してどのように対処するのかを分析するための下地として、心理療法において使われる個人的危機の解決の帰結を左右する12の要因を国家的危機にも当てはめる。その12の要因とは、①自国が危機にあるという世論の合意、②行動を起こすことへの国家としての責任の受容、③囲いをつくり、解決が必要な国家的問題を明確にすること、④他の国々からの物質的支援と経済的支援、⑤他の国々を問題解決の手本にすること、⑥ナショナルアイデンティティ、⑦公正な自国評価、⑧国家的危機を経験した歴史、⑨国家的失敗への対処、⑩状況に応じた国としての柔軟性、⑪国家の基本的価値観、⑫地政学的制約がないこと、である。これらの要因によって国家が危機に対応する行動とその帰結を理解できるのではというのが、本書で取り組んでいることのひとつである。確かに個人と国家において共通するところもあるが、そこから新しい定性的な結論を導くには至っていないという印象だ。
なお興味深いのは、取り上げられた数少ないリストの中で日本に関するテーマが二度語られていることだ。一つ目は明治維新、そして二つ目は近年の少子高齢化社会の危機だ。著者の妻の親族に日本人と結婚した人がいるということもあって、日本に多くのページを割かれることになったのだが、それ以上に近現代史において日本という国が強く興味を惹く素材でもあるということだろう。日本と欧米社会の相違点として、著者は「日本人の親戚や学生、友人、同僚たりは口をそろえて」と言いながら次のように列挙する -「謝罪する(あるいはしない)こと、日本語の読み書きが難しいこと、黙って苦難を耐え忍ぶこと、得意先を丁重に接待すること、徹底した礼儀正しさ、外国人に対する感情、あからさまな女性蔑視的ふるまい、患者と医師のコミュニケーションのしかた、字の美しさが自慢になること、希薄な個人主義、義理の両親との関係、人と違うと周囲から浮いてしまうこと、女性の地位、感情について率直に話すこと、私心のなさ、異議の唱え方」。同意するところ、そうでないところはあるにせよ、著者のような知識人の間においても、日本人に対してこういった視点(ステレオタイプとも言えるかもしれない)がグローバルに共有されているということについては、日本人として十分に意識的である必要があるかもしれない。
巷間言われるように、明治維新については、隣国の中国がいいように列強に扱われているのと対比して、その指導者層の対応について著者も非常に高く評価している。その要因として、明治政府が海外派遣などを通して自国を公正に評価して、冷静に判断を行っていたことを挙げている。それに対して、第二次大戦前の指導部、特に陸軍における慎重で公正な評価に必要な知識と経験の欠如が、彼らをして誤った行動に駆り立てた原因だとしている。
また、明治国家の特徴として、国家神道という伝統に接ぎ木をしたような仕組みを浸透させることで強固なアイデンティティを形作っていたことを挙げている。それがどれほど強力であったかは、第二次大戦の降伏条件に国体の護持をあの時点でさえも必須の要件としたことや��「神風」や「回天」などの特攻兵器に多くの若い兵士が志願したことからもわかる。
チリやインドネシアの近現代史は、この本がなければもしかしたら一生触れることはなかったかもしれない。多数の島々からなるインドネシアがひとつの国としてアイデンティティを保っていることはよく考えると不思議なことかもしれないが、そのためには国語が大きな役割を果たしたということや、植民地からの独立やクーデーターなどについては知ることがあまりに少ない。
また、ドイツについては、冷戦終了後間もない1993年に個人旅行先でベルリンを訪れ、壁を挟んで東西の落差を見て、その後アウシュビッツ収容所後にも足を運んだが、そこに至る歴史を知っていたかと言われるとまったく心許ない。本書を読むと何よりもナチスとの向き合いが国家レベルとしても、とても重要であったことがわかる。著者はドイツと近隣諸国の関係と日本と中国・韓国との関係を何度か引き合いに出す。もちろん、ドイツの戦後のリーダーのふるまい含めて、ドイツが良い結果をもたらしている一方で日本はその事実に向き合うことに失敗しているという枠組みで語るのである。それに対して反対の意見を持っているわけではないが、軽々に語るべきことでもないようにも思う。ただし、ジャレド・ダイヤモンドのような人が冷静な観点でそのように語っていることに対しては謙虚に認識をするべきだと思われる。
そして、現代の日本社会の課題について滔々と語る第八章は、耳が痛いところが多いのだが、著者に言われなくてもという思いも強い。日本は外圧により動くことが多い(これもまた課題のひとつかもしれない)ので、こういうことを言ってもらった方がよい方向に動くのかもしれないとも思う。女性の役割、少子化、人口減少、高齢化の他にも国債発行残高や移民の少なさも問題として挙げられる。一方で、人口減少は必要となる資源が少なくなることを意味することから大いなる強みになると考えていると続く。本当か、と思うとその次に高齢化はもっと大きな問題と続くので、それはそうだ。女性の地位については、自分が生きている時代の中でもそれでも大きく変わったと思うのだが、まだまだ全く不足だと説く。さらには韓国や中国との間でいまだに第二次大戦のしこりが残っているのは結果として失政としか言いようがない。
著者は彼にとって身近なアメリカの格差問題、トランプの問題に触れ、さらに核問題、気候変動、資源問題、格差拡大、イスラム原理主義、などを挙げる。ちょっと風呂敷を広げすぎた感があり、結論が出ない問題をこねくっているような印象も受けた。
自らが住む日本のことにも数多く言及されていたこともあり、眼から鱗が落ちた、といった部分は少なかったが、なかなか楽しめた。著者は、ここで採用したような国家危機の分析を広くまた定量的にも行ってほしいと考えているとのこと。この内容であれば、誰かと共著で『危機と人類 II』というものが出せそうである。御年82歳、誰か後継となるものをそこで指名してもよいのではなかろうか。
投稿元:
レビューを見る
ソロー 承認欲求ではなく人生で本当に追求したいことを明確にすべき
・現代の危機(核兵器、気候変動、エネルギー源、格差)
・歴史から学ぶ
投稿元:
レビューを見る
心理療法の分野で個人が精神的危機を乗り越えるために有効とされる12の要因を、かつて国家的危機に瀕した国々の歴史に当てはめて分析し、そこから今日の世界的課題の解決に向けた示唆を得ようとする著者の研究をまとめた一冊。
著者はフィンランドやオーストラリア、日本など、自身との関わりが深い国々に関して得られた様々な知見をもとに、他国からの侵略や敗戦など、過去に国家的危機に直面した国々が復活した背景には、まず自国が危機にあることを認め、その克服に向けた責任を受容するとともに、自国の現状を公正に評価した上で、守るべきものと変えるべきものを明確にして対処する「選択的変化」という必要不可欠なプロセスがあり、さらには国としての柔軟性と忍耐、他国との関係性も重要になる場合があるという。
著者自らが認めているように、本書の分析対象は著者がよく知る国に限られ、叙述的(定性的)な分析が中心となっているため、科学的根拠を基にした史実としての正確性については批判する向きもあるだろう。特に日本の戦争責任に関する記述は賛否両論があるだろうし、それは他国の分析についても同様かもしれない。ただ歴史の解釈は常に動くものであり、本書の日本に対する見解も、海外ではこのように受け止められることもあるのだという事実を理解する必要がある。その上で、著者が提起する核の脅威や気候変動などの世界的危機に対しても「選択的変化」を実現できるのか、そのために日本ができることは何かを考えるきっかけにしたい。
投稿元:
レビューを見る
危機に対してどう対処したのか?を上巻では個人、国としてはフィンランド、日本、チリ、インドネシアを挙げて物語としている。
気になったのは、やはり「日本」で、鎖国からペリー来航による危機に当時の日本人たちがどう対処したのか。そして、そこから領土拡大に向けてとった舵取り…
脅威に対して、各国に優秀な人材を送り込まれて学んだリーダーたちだったか、そう言う経験をしなかったリーダーたちだったか。
「公正な自国評価を行うための知識や能力に違い」とな。
外圧に対しての対処は良かったが、たかだか20年くらいで領土拡大の流れになって、第二次世界大戦の敗戦まで…
歴史物は、書いた人の主観が強く出るから読後感は色々有りそうだけど、近代日本史に興味がなかった自分としてはなかなか面白く読めた。
投稿元:
レビューを見る
相変わらずこの人の知識の幅は何というか超人的。今回は
上巻はフィンランド、日本(幕末~明治維新)、チリ、インドネシアの歴史上の危機をとりあげ、それにどう対応してきたかを個人に生じる危機の対応(12の要因で説明される)の場合と対比する形で論じている。それにしても、日本の幕末~明治維新っていうのはやっぱり世界史的にも特異な例で、危機に極めて上手く対応できた例なんだなと改めて感動したりもした。 引用すると「明治日本は、選択的変化において重要だと私が考える要件をいくつも満たしている。危機の存在を認め、危機を解決する責任を負い、他国や他の人たちを改善の手本として使い、公正な自国評価を下し、強みを保持し、辛抱強く対処し、強いナショナル・アイデンティティを持ち、基本的価値観については譲らない、といった点である。」このほか、
・明治政府の指導者がめざしていたのは、断じて日本の「西洋化」ではなかったし、日本をヨーロッパから遠く離れた場所にあるヨーロッパ的社会にすることではなかった。
・明治政府の目標は、多くの西洋的要素を採り入れつつ、日本の状況に合うように調整し、日本の伝統的要素を多く残すことだった。
・明治の指導者たちは、自分たちが調整を加えつつ採り入れた西洋式の軍隊や教育などの諸制度が生まれた西洋社会について、驚くほど明確かつ包括的に理解したうえで、西洋化を進めていた。
とにかく、危機対応のキーワードは「選択的」ということらしい。つまり「個人も国家も、かつてのアイデンティティを完全に捨て去り、まったく違うものへ変化するのは不可能であり、望ましいわけでもない。危機に直面した個人と国家にとって難しいのは、機能良好で変えなくてよい部分と、機能不全で変えなければならない部分との分別だ。そのためには、自身の能力と価値観を公正に評価する必要がある。」ということ。きわめて説得的であり、やはり個人にも通じるものがあるような気がする。
投稿元:
レビューを見る
ダイアモンド博士の危機をどう切り抜けていったか国家の事例を基にわかりやすく解説していく書であった。チリ、インドネシアは軍事的に国が危機的状況であったが指導者のおかげで立ち直った。個人的危機に対しても公正な自己評価と柔軟性でもって対応する必要性が分かった。過去の理解、自分に何ができて何が出来ないのかを公正に自己評価する、工業化がフィンランドの経済成長等 身の処し方をよく教えられたと思う。
投稿元:
レビューを見る
危機に瀕した国家の採った行動の数々。特にフィンランドについてよく知らなかったので、非常に参考になった。
投稿元:
レビューを見る
地理学者であり、進化生物学者のダイアモンド氏が近代史に焦点を当て、近未来の人類への示唆を汲み取ろうとした著作。上巻は紹介する7つの国家のうち、フィンランド 、日本、チリ、インドネシアを紹介。
投稿元:
レビューを見る
フィンランドやチリ、インドネシアの多くの国民の血が流され、現在の国の姿になっていることをはじめて認識できた。日本の明治維新についても大変わかりやすく記述されている。
自分の覚書として「帰結を左右する要因」を記載させていただく。
個人的危機の帰結にかかわる要因
1 危機に陥っていると認めること
2 行動を起こすのは自分であるとい責任の受容
3 囲いをつくり、解決が必要な個人的問題を明確にすること
4 他の人やグループからの、物心両面での支援
5 他の人々を問題解決の手本にすること
6 自我の強さ
7 公正な自己評価
8 過去の危機体験
9 忍耐力
10 性格の柔軟性
11 個人の基本的価値観
12 個人的な制約がないこと
国家的危機の帰結にかかわる要因
1 自国が危機あるという世論の合意
2 行動を起こすことへの国家としての責任の受容
3 囲いをつくり、解決が必要な国家的問題を明確にすること
4 他の国々からの物質的支援と経済的支援
5 他の国々を問題解決の手本とすること
6 ナショナル・アイデンティティ
7 公正は自国評価
8 国家的危機を経験した歴史
9 国家的失敗への対処
10 状況に応じた国としての柔軟性
11 国家の基本的価値観
12 地政学的制約がないこと
投稿元:
レビューを見る
国家的危機を史料研究ではなく、著者本人の個人的危機を理解の手助けとして…って(汗)「個人的に良く知っている国」が7つもある人なんて、そもそもかなり少数派ですから(当然、対象となる時代は著者の生きてる現代のみ)。
また、計量的手法を用いるのに7つの事例は少な過ぎるとの判断により、叙述的記述で頑張っている。にしても、危機の帰結に影響する要因が12個とは多すぎ。
第2章、フィンランド。
サンクトペテルブルク~ヘルシンキの距離が近いのにびっくり!388.5 km。東京~神戸くらい?地政学的にとても厳しい…。
第3章、日本。
明治維新が1868年で、日清戦争が1894年。開国から四半世紀で侵略戦争って、どんだけ無謀…。
第4章、チリ。
第5章、インドネシア。
投稿元:
レビューを見る
「フィンランド外交に託された第一の課題は、わが国の存立と、わが国の地政学的環境を支配する利害関係との折り合いをうまくつけることである……(フィンランドの対外政策は)予防外交だ。予防外交でやるべきことは、危険が間近にくる前に察知し、危険を回避する対策を講じることである……望ましいのは、対策が講じられたこと自体が察知されない方法だ……とくに、自国の姿勢が趨勢を変えられるなどという幻想を抱いていない小国にとっては、軍事分野や政治分野での事態の展開を左右する要素を、早めに正確に把握することが非常に重要だ……国家は他国をあてにしてはいけない。戦争という高い代償を払って、フィンランドはそれを学んだ」(pp.114-115)
フィンランド人は人生の不確実性を知っている。そのため、今でも男性には兵役義務があり、女性は志願者が兵役に就ける。兵役に就くと、最長で一年間の厳しい軍事訓練がつづく。実戦で使える兵士が求められているからだ。(p.123)
時間稼ぎが、1845年以降の江戸幕府の基本戦略だった。これは、西洋列強を(できるだけ少ない譲歩で)満足させつつ、西洋の知識、設備、技術を手に入れ、軍事力と軍事力以外の国力を増強し、できるだけ早い時期に西洋列強に抵抗できる能力を身に着けるためだ。(p.145)
明治日本の指導者と、1930年代、40年代の日本の指導者では、公正な自国評価をおこなうための知識や能力に違いがあったのである。明治時代には、軍幹部を含む多くの日本の指導者が海外に派遣された経験があった。そうして中国やアメリカ、ドイツ、ロシアの現状や陸海軍の実力を詳細に直接知ることができ、日本と各国の国力差を公正に評価できた。彼らは成功を確信した場合にだけ、攻撃をしかけた。対照的だったのは1930年代に中国大陸に展開していた日本陸軍だ。大陸の将校たちは若く急進的だったし、海外経験もなかった(ナチスドイツを除いて)。そして、東京の大本営にいた経験ある指導者層の命令を聞き入れなかった。若き急進派将校たちは、アメリカの工業力や軍事力を直接見聞きしたことがなかったし、日本の潜在的敵国についても無知だった。アメリカ人の国民心理も理解できず、アメリカというのは厭戦思想の蔓延する商人の国だと考えていた。(p.168)
投稿元:
レビューを見る
2020年13冊目
登場する国がどのようにして危機に陥り、そこから、どのようにして再生を果たしたか。
上巻では、フィンランド、日本、チリ、インドネシアを取り上げる。
フィンランドは福祉国家で国民の教育レベルも高く、平和な印象があるイメージでしたが、地政学的にソ連と国境を挟むため、その存在を強く意識しないといけなかったと言うのは、はじめて知りました。
インドネシアは東ティモールの独立など、血なまぐさい印象を持っていたけど、オランダによる植民地支配の時代や、日本の一時的な統治の時代など、そのような状況に陥る歴史を見て、戦争の無益さを考えてしまいました。
投稿元:
レビューを見る
ジャレド・ダイアモンドといえば20代のころ、読んだ「銃・病原菌・鉄」は衝撃だった(20年前!)いまだったら「サピエンス全史」に相当する歴史本。各地の歴史を地政学から読み解くことで説明したことが斬新だった。本書は日米独豪、フィンランド、チリ、インドネシアの6カ国について、独自の視点で危機対応を解説しているが、やはり地政学はポイント。アメリカはなぜ大国でいられるのか。ドイツはなぜ2回の対戦を引き起こしたのか。陸地で国境を接する国の数が大きい。この6カ国の選抜は作者の個人的な知識と経験が豊富である点から選ばれていて、比較としては不十分なことを最後に述べているが、特色が十分にでる選抜だったと感じられる。フィンランドの冬戦争と対ソ連政策は小国にとっては特に学ぶべきことが多い。
上巻P167で太平洋戦争末期に「米英艦隊が日本の本土沿岸部に艦砲射撃を浴びせていた。」とあり違和感を感じた。「本土決戦」という言葉から、私の認識では沖縄は本土から除外していた。しかし本土という言葉は明確な基準がなく、北海道、沖縄も含める場合もあることを知った。学び反省することは未だに多々ある。