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ペリー来航は、その1年前にオランダからの「風説書」によって、老中・阿部正弘には知らされたとあります。また、来航後には、米国大統領選挙があるため、結論を早急に出さないようにとの助言までも風説書に書かれていたそうです(米国では大統領が変わるとペリー提督の上の海軍大臣も変わる可能性ありと。事実、そうなった)。当時、オランダから世界情勢は詳らかに日本に入っており、幕府側もよく分析し、外交交渉も(この本を読む限り)なかなかのものと思いました。
世界に後れをとってはならず、また、度重なる飢饉に対しても、海外との交易によって食料を保持しようと、阿部正弘はペリー来航を「開国の好機」とみて、次々と他国とも和親条約を締結。対策には「万機公論に決すべし」と、庶民からも意見を募り、民主的な対応も図ったとあります。
その後のロシア・プチャーチン提督来航では、船が時化で沈没。戸田村の村民らの懸命な救助で、阿部正弘の課題であったロシアとの国境も択捉島・国後島と(当時)設定。
世界の一流国となるためには「挙国一致」の「統一国家」でなくてはならず、徳川家独占は段階的に排除しつつ、「世界貿易をもって富国強兵」と、陸海軍の創設、日本国旗の制定など、明治の礎をつくった感があります。
攘夷を説く徳川斉昭との壮絶な確執もあってか、享年39歳で死去。かつて教科書で習った江戸のイメージが覆される一冊です。