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狼の巣に迷い込み、ヒトラーと目が合った、という現地の老人の話が印象に残った。ロートや、オーウェルも併せて読み返したくなった。
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歴史を学び直して再読を要す。
読後、真先に頭に浮かんだのは上の文言だった。
正直に言って、本書に対して評価も感想もできるほどの見聞が自分にはまだない。
だが、何故かものすごく惹かれる。
ダンツィヒ、メーメル、カント、グラス、、、
聞き齧りの心許ない知識とアンバランスなほどに惹かれている。
まずは、ブリキの太鼓を読んでみよう。
そして、蟹の横歩きを読んでみよう。
そのあと、カントを読み直してから、再び本書を読んでみたい。
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第二次大戦が終了するまでは存在していた、かなり「変」な国、東プロシアをめぐる紀行文。カントやホフマンの故郷で、ヒトラーの「狼の巣」もここにあったという。
滑稽なエピソードも多いのだけれど、なくなってしまったものをめぐる紀行文は、やはり物悲しい。
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本書は著者の池内紀氏がギュンター・グラスの小説『蟹の横歩き』を訳出する際に、小説の舞台となった港町や他のバルト海沿岸の都市を旅した紀行文である。その小説は第二次大戦末期に、当時存在した東プロシアからドイツ本国に避難する9千人あまりのドイツ人が乗船していた豪華客船ヴィルヘルム・グストロフ号がソ連潜水艦に撃沈されたことを採り上げたものだった。池内氏はその港町(現在はポーランド領で、グダニスクに近いグディニア)を訪れたり、バルト海沿いに存在した旧東プロシアの諸都市を旅し、そこから消えた国や追われた人々のことを追憶するのである。
今はロシア領のカリーニングラードは戦前は東プロシアの首都でケーニヒスブルクと呼ばれ、リヒャルト・シュトラウスや哲学者カントなどを輩出した文化都市であった。しかし、ケーニヒスブルクやグディニアを含む東プロシアという国は第二次大戦によりポーランドとリトアニアに分割されてしまった。13世紀にドイツ騎士団が北の十字軍運動で創り出した東プロシアという国は第二次大戦とともに消滅してしまったのである。その消えた国に存在した諸都市を巡り、歴史を知る旅を池内氏が語ると、消えた国の人々の生活がよみがえってくるのである。
日本は2千年を超える歴史のなかで国境がほとんど動かなかったが、欧州では度重なる戦争で国境は100年たたずに変更されることが多かった。またそれに応じていろいろな民族の人々が移動し、苦難の道を歩んできた。日本人が日頃感じない、国境の変化、多民族国家の共生などについて教えてくれる好著である。
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2002年ギュンター・グラスの新作「蟹の横歩き」の翻訳に際して、グラスの生地を訪ねた「すばる」連載記事をまとめたもの。「蟹」は史上最大の海難事故グストロフ号を題材にした小説だが、事故の現場でありグラスの生地ダンツィヒを訪問し終えてから、気づくとバルト海まで足を伸ばしている。旅行は08年まで3度にわたり、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、ロシアをまたいだ亡国東プロシアの取材記録になった。
飛び地カリーニングラードくらいはしっていても、他の地域は名前もあやふや。ひとつには新しい国の言葉で都市の名前が変わってしまったせいでもある。
たとえばこんなかんじ。
ダンツィヒ→グダニスク(ポーランド)
ケーニヒスベルク→カリーニングラード(ロシア)
メーメル→クライペダ(リトアニア)
ティルジット→ソヴィエツク(ロシア)
敗戦でドイツは大量の領土を失うことになるが、それにともなって大量のドイツ人が移住を余儀なくされた。
シレジアから320万人、ズデーデンから290万、北西ポーランドから300万、東プロシアから200万。その他とあわせて約1200万人と推定される。土地、建物、財産すべてを残してでていった。P31
取材の目玉ダンツィヒは640年の歴史を持つ。
WW1後それまでの「西プロシア」がポーランド領、ダンツィヒは「自由都市」、東プロシアは旧来のまま、とされた。「黄金の門」と題した章で戦間期の混乱を伝えているので引用しておく。
■P257
一九二〇年、なんともへんてこな国境ができた。海沿いを西から東へ順にいくと、ドイツ・ポーランド・自由都市・ポーランド・ドイツ・リトアニア。しかも住人の賛否を問うことなく、一方的に新しい国境が引かれた。「自由都市」は日本語では聞きなれないが、ヨーロッパには古くからあった。都市自体が一つの国同様に自治権、行政権、裁判権をもち、市民代表による評議会が国会の役目を果たす。ダンツィヒ自体、近世のひところ「自由都市」を標榜していた。だが、このたびは「国際連盟の管理による」の一語がついており、九割以上がドイツ人であるダンツィヒ市民の自決による「自由」都市ではなかった。あきらかに苦肉の策だった。ダンツィヒをドイツから切り離してポーランド領に含めると、当時三十万を数えたドイツ人の行き場がない。やむなく歴史的な「自由都市」を強引に模様替えして、ドイツでもポーランドでもない飛び地のような地域を残した。ポーランド政府は「国際連盟の管理」を信用していなかったのだろう。ダンツィヒ港を見はらす市外の高台ヴェスタープラッテに軍事基地を設け、弾薬庫要員の名のもとに分隊を駐留させた。「自由都市」の見張り役兼威嚇をかねてのことだった。政治的妥協がつねにそうであるように、苦肉の策はどこも満足させなかった。ドイツは東の領土だけでなく重要な軍港を取り上げられた。ポーランドにとっては自国内にあるのに大切な港湾が使えない。ダンツィヒ市民には国際連盟の規制にかかるのが不満だった。ナチス・ドイツが政権を取り、ヒトラー独裁のもとに強権が発動されるとき、つねにダンツィヒが問題になった。人々はそれとなく感じていたのではあるまいか。いまひとた���の大戦を予感させる重苦しい空気のなかで、いずれダンツィヒが発火点になる。二十世紀に甦った「自由都市」が世界を戦火に押しやるだろうー。
■
9月1日未明、ダンツィヒ湾上のドイツ戦艦の二重砲塔からヴェスタープラッテのポーランド軍基地にむけて砲弾が発射された。ナチのポーランド侵攻のはじまり。
本書はこうした歴史的な経緯を紹介するのだが、なかなか頭に入ってこない。見知らぬ土地、複雑な帰属問題、それに加えて「蟹」のようにあっちの地域こっちの地域を行ったり来たりするもんだから、平易な文章だからと一気に読むと各都市の違いがわからなくなりそう。
記憶に残るのは後半ばかり。39年8月31日の少女の日に焼けた肌といちごアイスクリーム(「黄金の門」)、コルベルクの「因幡の白うさぎ」とチチコフ氏(「死せる魂」)。
ほかに「グストロフ号出向す」「狼の巣」「ヒトラー暗殺未遂事件」「水陸船第一号」「風のホテル」「死せる魂」などもよかった。
最終章「死せる魂」ではかつて出ていかざるを得なかったドイツ人たちの逆流入を紹介しながら、ゆるやかなまとめにもなっている。
かつての領土あるいは故郷を訪れる旅行者たちむけのツアーが用意されている。こういった旅行はいつから催されてきたのだろう。かつての「侵略者」が「強制移住」「被害」を語るのは、満州のそれとは比較にならない数百年の歴史とスケールが要求される。
1970年の西ドイツ首相がワルシャワのゲットーで跪いて謝罪し、歴史教科書の基準共有、若者の交流プログラムなど、地道な方法で「過去の克服」を行ってきた。02年ドイツの代表的な週刊誌「シュピーゲル」が特別号でドイツ人「難民」をテーマにして総括している。
グラスが06年の自伝で武装親衛隊に所属していたことを明かしたあとの、マスコミからのバッシングから一転国内世論の大方が彼を支持したのもこうした下地があればこそ。
土地の数百年の歴史、そして戦後の混乱と過去精算を紹介しながら、冷戦後の新秩序のなかでドイツが存在感を増していいけば、かつての「故郷」も無縁ではないという。
ベルリンの東駅付近に店を構える「ドクター・マイヤーの東プロシア旅行社」が隠し持つ過去の権利書が役に立つ日が来るのかもしれない。
しかし「失地回復同盟」のような20世紀的ノスタルジックな動きが紹介されていたが、こうした過去との連続性をもった動きは大きな潮流にはならないように思える。あるとするならEU帝国、GAFAの巨大資本によるグローバルな再編だろうか
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旅の過程が丁寧に描かれたかと思えば、著者の興味に沿ってあちこちの時代、歴史に脱線してから、もう違う土地に立っている。東欧の歴史素人のため、ほとんどの史実に色々なため息をこぼしながら追っていく。
ひらがな多めの文体が軽やかな感じを醸しているのか、なんだか読み心地がよかった。