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脳の物理的側面と感覚的な側面。なんとなく、脳というものは限界がなくてがんばれば改善できるような気もしてしまうが、薬などできちんと介入しないと改善できない、それどころかそう考えていると(薬が必要な状況なのにそれなしになんとかしようとしていると)危険なケースもあるということ。。
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発達性協調運動障害であった精神科医の著者。
発達性協調運動障害とは、例えば、、、
・逆上がりが出来ない。
・とび箱が飛べない。
・球技が苦手。
・紐が結べない。
など。
実は、僕も全く同じで、
特に野球やバスケットボールなど、分担・役割が決まっているものは大の苦手でした。今なら僕も発達性協調運動障害と診断されるかもしれませんね。
僕は、それが影響してか、ずっと自信のない子ども時代でしたし、特に男性としては全く自信が無かったので、一生独身なんだろうと子どもながらに思い込んでいました(笑)。
まあ、こんな僕でも惚れてくれる女性が現れて、3人の子の親となれたのは、子どもの時の僕からすれば、夢物語に思えるでしょうね。
本書では発達障害のたとえとして、スポーツカーと普通車と耕運機が、高速道路と田んぼを走る場合について書かれています。
高速道路で耕運機を走らしたり、田んぼでスポーツカーを走らすと、それぞれの特性は障害となります。
動物は精子と卵子が受精する時に、必ずどちらの親とも異なる遺伝子の変化を起こし、種の多様性を作り出します。
この多様性が様々な環境変化の中でも、生き残る生物があり、進化をもたらします。
ヒトの能力には必ず凸凹がある。それは、その子が劣っているのではなく、多様性の一つなのだと理解し受容する豊かな人間社会が、いつかやってくることを望みます。
あと、本書のテーマは、発達障害や心の病気に対して、「診断すること」「了解すること」の是非についても書かれています。
心理やキャリアのカウンセラーの養成スクール等で、精神科領域での様々な病名について教えていますが、この診断と了解について教えていないのはとても危険な事だと考えています。
そもそも診断とは何か?
異常と正常の線引きとは何か?
診断(線引き)はどんな時に必要で、患者(クライエント)にとって利益となり不利益となるのか?
そして、患者(クライエント)が了解する事にどんな意味があるのか?
これを考えずに、人の心の専門家となるのは、時に自分が言葉というナイフを振り回している事に気づいて欲しいと思います。
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理屈っぽく読みにくい。著者は精神科でありながら自身も発達障害の特性で苦しめられてきた。
発達障害者に共感している箇所もあるが文章が哲学っぽく読みにくいので途中で読むのをやめた。