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著者はもともとICU高校社会科の教員だった。それが、海外で教育を受けてきた帰国生(帰国子女とは言わない)から海外での授業体験を聴く中で、授業実践の研究に向かうことになる。私は、ずいぶん前に同じ著者の別の本を読んでいる。私自身も、同志社国際高校の一期生・一般生として、帰国生の話をいろいろ聴き、自分自身もアメリカフロリダ州の公立高校への1年間の留学を経験するという中で、著者の本に興味を覚えた。40年前のアメリカで、アクティブ・ラーニングの授業を受けたおぼえはないのだけれど。さて、今回最も興味を持ったのは、なりきりプレゼンテーションだろう。ダンゴムシとワラジムシとか相当印象深いはずだ。それはしっかり記憶に刻まれることだろう。先生たちのドラマ技法の体験も興味深い。写真の表情がとても良い。芝居とかも好きだし、私もやってみたいけれど、塾ではなあ。まあ、やっていると言えばやっている。先生の側だけだけれど。「なりきり水分子」とか、なりきり「月の公転・自転」とか。それは、ちょっと違うかな。そう言えば、もう20年ほど前だと思うけど、竹内敏晴さんの「からだ」と「ことば」のレッスンに参加したこともあった。これはもう、はずかしがってなんかいられない。吹っ切らないとだめだったなあ。そして、吹っ切ってやったのでした。塾の生徒のお母さんとも一緒に。
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<目次>
はじめに 学び方改革に向けて
第1章 授業改革からアクティブ・ラーニングへ
第2章 アクティブ・ラーニングへの移行
第3章 学びを全身化、共同化するアクティブ・ラーニングの実践
第4章 共有財産としての参加型アクティブ・ラーニング
第5章 アクティブ・ラーニングが定着する条件
<内容>
日大教授で、ICU高校でずっとアクティブ・ラーニングを研究していた著者の本。実践例を含めて、アクティブ・ラーニングを分かりやすくまとめている。実践例をまとめた第3章、アクティブ・ラーニングを全体的にまとめた第4章が特によかった。
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アクティブ・ラーニングで育った世代と、そうでない世代は、何が違うのか。または、何が足りていないのか?
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本書籍発行前日に亡くなった渡部氏がアクティブ・ラーニングを定着させることについて述べている。まずは、ロールプレイやプレゼンテーションなど学習技法を経験させる。そのためには、教員が、研修し指導法を身につける。授業だけではなく、学校の自治活動にも取り入れ、批判的思考力を持った市民を育成するという大きな社会課題として認識することが大事だと述べている。
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主体性を持って勉強させるには参加型のプレゼンしかない。医学生(修練医)にどのように応用しょうか? 自分がプレゼンして見本を見せ(ティーチャー イン ロール)、学生になりきりプレゼンをさせホットシーティングさせるのが良いか。
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教育はあたかもまるで演劇のように。一貫して語られている動的な学びの中に、良識ある思考する個人を育まんとする理想に満ちた一冊である。
学生社会と実勢社会との間に依然として存在するGAPをうめる問いかけは、こうした行きつ戻りつの取り組みを通して成し遂げられるものだろう。まったく納得感を得て読み通すことができた。
ただ一点、日本が過去から力を注いできた知識注入型教育について、本書ではこれも一貫して否定的な立場で語られているわけだが、豊富な知識が豊かな思考のベースになることは肯定されるべきである。考えるための土台はいつの時代にあっても邪魔になるものではない。
著者は2020年1月20日に逝去された。ご冥福をお祈りします。
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2020.04.06 アクティブラーニングの大切さがよくわかった。ドラマワークの面白さがとてもよく伝わってきた。やってみたいと思った。
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著者の渡部氏はこの本が発行されるちょうど前日に逝去されました。
印象に残った点を2つ。
①ドラマ技法をはじめとしたさまざまなアクティビティの習得の必要性とその困難さ
②アクティブ・ラーニングは学校だけでなく、社会全体で進めていかなければならないということ
生徒目線で、何を“どのように”学ぶか、ということをより意識して今後の授業を考えていきたいと思います。
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アクティブラーニングラーニングとは何かという答えなのかどうか。今までの授業実践のかなり多くがアクティブラーニングだったということか。うーん。
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アクティブ・ラーニングの事例紹介がたくさんあり、「チョーク&トーク」の対岸にある学びの様子がだいぶイメージできました。その効果は、一生徒が、同時に家族、住民、地球市民の構成員であることの自覚につながる、壮大なものでした。ドラマワーク、ニュースショー、プレゼンテーションなど、観客が眼前にいないので緊張しないという理由で、コロナ禍のオンラインに向いている表現方法も中にはあるような気がしました。
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身体的技法としてのアクティブ・ラーニングについて書かれている。新学習指導要領の「アクティブ・ラーニングの視点」の話とは少しズレるので注意。
対話的な学びの例として、参考にするくらいなら良いのでは。
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それぞれの時代の主要な授業スタイルが、その時代を生きる教師や子どもたちだけでなく、社会のあり方にまで影響を及ぼす。
アクティブラーニングの定着は、学習技法の定着とセット。
生徒が心に残るのは、「大変だったけど面白かった」授業。
総合的な学習の時間…アクティブ・ラーニングの前身。学習者自身が課題を設定し、リサーチワークを行い、その成果を報告書や作品にまとめ上げる学習法
アクティブ・ラーニング…何を学ぶかではなく、どのように学ぶかを重視した学習。これからの時代に求められる資質・能力を身に着け、生涯にわたって能動的に学び続けられる学習。
「これからの時代に求められる資質・能力」は?
→生きて働く「知識・技能」
未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力」
学びを人生や社会に活かそうとする「学びに向かう力、人間性」
アクティブ・ラーニングが成立するためには、一人ひとりの生徒が個別にその意義を理解しているだけでなく、教室の中に発表・表現することを励ますような雰囲気が醸成されていく必要がある。
一方、教師としては、特定の技法の活用にとどまらず、いろいろな種類のアクティビティを使いこなすことが期待されるようになる。
教育は「目標―内容―方法―評価」が一体となっており、アクティブ・ラーニングによって方法が変われば、必然的に他の要素の改革にもつながっていく。しかし、たった一つの学習技法であっても、定着までにいくつもの条件をクリアする必要がある。
ディベートは、ディベートした「答え」を重視していのではなく、そこに至るリサーチ、効果的なスピーチの仕方、自分で意見を考える自発性といった「物事を相対化する」過程を重視している。
そのため、究極的には、アクティブ・ラーニングの形式をディベートやプレゼンテーションといった型にとらわれる必要はない。大切なのは、劇、ニュースショーといったように、生徒が意欲的に学べる環境と、教師が生徒とともにワクワクできる環境の創出である。
アクティビティの主要なカテゴリ
リサーチワーク(すべての根幹)
プレゼンテーション、ディスカッション、ディベート、ドラマワーク
ポイントは、これらのそれぞれが独立しているわけではなく、相互に絡み合っていることだ。
これに対する教師の立場としては、「演出家」のようなものである。
学びあう場、探求する場を整えたり、生徒に学ぶものとしての自信、誇り、達成感を獲得してもらうことを目的とする。
まずは通常授業に5〜10分のアクティビティを組み合わせたり、一時間のワークショップ型授業をデザインしたりと、軽いとこから始め、リサーチワーク→発表→報告書作りといったプロジェクト型学習に挑戦することも可能だ。
【アクティブ・ラーニング定着への制度づくり】
慢性的な人手不足、教師の自主性や当事者性を最大限に活かす体制づくりが必要だ。
教師が自主性を持てば、学校自体を「学びの専門家集団」としてのコミュニティとして活用することができる。
教師同士の談話のコミュニティから発展し、実践研究のコミュニティにまで昇華できる可能性が生まれる。
【われわれ市民も自立的学習者になるために】
プロジェクトの運用に参画する経験
→マネジメントの知
チームの活動に何らかの貢献をする経験
→自分の出したアイデアが取り入れられる
自分の視野が広がる経験
→探求がもたらす発見
コミュニケーションの大切さに気づく経験
→自分が分かることとそれが人に伝わることのギャップを認識し、表現方法を工夫すること
自己の特性に気づく経験
→自分の現状を自覚するとともに、他者の価値観を認めること
また、行政側としては、「生徒が参加や意見表明の機会を忌憚無く持てる学校文化」を育むことが大切。
情報化社会の拡大によって、学校で教えられる知識の陳腐化は、今後ますます早いスピードで進んでいくことになる。だとすれば、学びの場としての学校の機能は、人と人とが行う直接的コミュニケーションであり、「自立的学習者=自立的市民」の育成である。
アクティブ・ラーニングとは何か を読んで
①教室の中に発表・表現することを励ますような雰囲気が醸成されていく必要がある
アクティブラーニングとは、何を学ぶかではなく「どのように学ぶか」を重視する学問である。
そのためには、生徒に手法や意義を理解してもらうだけではなく、教室を「自分の意見を言える」環境にする必要がある。
「失敗してもいい」「表現しても笑われない」という雰囲気のもと、生徒が前のめりに授業を行える体制づくりがキモになる。
②特定の形式にとらわれずに、いろいろな種類のアクティビティを使いこなす必要がある
アクティブラーニングの根幹には「リサーチワーク」がある。これは主張の裏付けとなるデータを調べ、それをまとめる作業であり、
あらゆる主体型学習の根底を成すものだ。
そうした主体型学習は、大きく分けて4つの形式がある。ディベート、プレゼンテーション、劇、ディスカッションだ。
ただし、究極的には一つの型にとらわれる必要はない。
なぜならば、アクティブ・ラーニングの目的は、生徒が意欲的に学べる環境と、教師が生徒とともにワクワクできる環境の創出だからだ。
ディベートやプレゼンという「表現方法」を身に着けることを主目的とせず、リサーチ、効果的なスピーチの仕方、自分で意見を考える自発性といった、「物事を相対化する」過程を重視する。
そうした過程の中で、目標―内容―方法―評価のサイクルによる継続的な学習を行うことが、アクティブラーニングの目的地である。
③教師や市民が、自主性や当事者性を最大限に活かす体制づくりを心掛ける
アクティブラーニングを普及させるためには、教師の自主性や当事者性を最大限に活かす体制づくりが必要になる。
教師が自主性を持てば、学校自体を「学びの専門家集団」としてのコミュニティとして活用することができるからだ。
しかし、教師が己の意志だけでやりたい授業を行うことは難しい。学習指導要領、時間割、保護者対応、成績付けといった
様々な業務の中で、創意工夫を���む授業研究の時間を確保することは限られるからだ。
その手助けを、行政が担う。アクティブ・ラーニングの手法の開発と同様に、それが授業に取り入れられる仕組みづくりを進める。
具体的には、生徒が参加や意見表明の機会を忌憚無く持てる学校文化を醸成していくことである。
また、そうした学校の意識の改革のためには、我々市民も役割を担わなければならない。
仕事やプライベートを通じて積極的な学びをし、「自立的学習者」になる必要があるのだ。
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文科省がどれだけ本気になってアクティブラーニングに取り組もうとしているのか、さらには教員がどれだけ腹を据えて取り組もうとするのか…。
その大切さや面白さは十二分に伝わってきた。
ただやはり、最終的な大学入試制度自体が大きく変わらなければ、結局、従来の知識注入中心の形に戻ってしまうのではないかと懸念してしまう…。
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教育分野の者ではないが、アクティブラーニングの背景を知りたくて読んでみた。目的の日本の教育の歴史がわかった。ディベートが教育現場で流行っていたことは知らなかった。
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大人の学びについて関心を持って自分で実践しながら思考しているうちに、子供たちの現在の学びの様子にも興味を持ち出して読んでみた1冊。
2022年から高校社会科の教科が大きく変わって、横断的に見る目を養っていくような方向に舵をきられたことや、アクティブラーニングのいろんな手法を組み合わせて使いながら、学習の定着と実践的なスキルを身につける方向性はとても良いと思った!一方で、日本の国家予算の中で教育に占める割合が先進国でも最下位位レベルであることや、現場の花教員が本来の教えるという仕事以外に割かれる時間が膨大であることなど、課題もたくさん。
ビジネスサイド(民間)から何か支援できることを模索したいと感じた。