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<目次>
はじめに 新しい哲学が描き出す針が巻き戻る世界とは
第1章世界史の針が巻き戻るとき
第2章なぜ今、新い実在論なのか
第3章価値の危機
第4章民主主義の危機
第5章資本主義の危機
第6章テクノロジーの危機
第7章表象の危機
補講新しい実在論が我々にもたらすもの
P95仏教(禅宗)に代表される日本の価値観は、欲望を
極力切り捨て、大きな変化を求めるよりも。今目の前
にあるものを、大事にする思考だ。これは新しい
実在論の形である
P97デジタル時代への次なる貢献は、新しい思想の波
である
P98よりすぐれた思想、あまりか企業よりもすぐれた
哲学を持つ企業が必要
まあまあ。
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インタビュー文字起こしがベースで日本人読者向けという意識があるので読みやすいし、それほどのボリュームでもないのでこの時期にサクっと読んでしまうにはうってつけの教養本でした。
哲学界のロックスターと呼ばれるドイツの哲学者が「新しい実在論」を軸に世界の危機を読み解くという本。
彼が「表象の危機」と表現し米国、欧州、中国の振る舞いというのは「そういうフリ」でしかなくて、目に見えていることとは全く異なる衝突が起きているんだよ、という解説が私には1番スリリングな内容でした。
政治や地政学、デジタルに経済も網羅的に語ってくれるので、何やら複雑怪奇な現代というシステムを俯瞰するのに良い知恵を授けてくれると思います。
デジタルと地政学について落合陽一と似たような切り口で語りますが、デジタルに対する信頼度というか期待については真反対というのは興味深かったです。
マルクス・ガブリエルはインターネットは全く民主主義ではないし、シリコンバレーの文化・・・自然主義や統計主義と表現していますが、これについては真っ向から否定しています。
さらに日本のことを「優しい独裁国家」と遠回しに揶揄しながらも、住んでる我々が苦しむ「精神の可視化された社会」については期待の目を向けていました。
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・インターネットはすべてが反・社会主義的。民主主義の土台を揺るがしている。デジタル化によって、リアルとバーチャルの境目があやふやになった。
・新しい実在論における氏の主張は二つ。「すべてを包摂する現実は存在しない」、「現実はそのまま知ることができる」。現実は数多く存在する。「意味の場」は複数ある。
・「新しい実在論」はリアル(真実)とバーチャル(嘘)の境目を明確にするもの。真実に目を向けるための思考法。新しくグローバルに協力し合おうという提案。
・相手を悪だと思うことも、善だと思うことも、人から人間性を奪う。
・特定の偏見を克服するためには、「意味の場」を学ぶこと。「我々は何人たりとも排除してはならない」という主張は、誰かを排除している人たちを排除した、というパラドックスに陥る。
・倫理資本主義。経営に倫理学者が介在するような構造が必要。
・モラリティの資本主義。環境危機を解決する企業が二十二世紀の政治構造を決定する。
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「新しい実在論」についての解説書。正直に言うと内容についての理解度は4割もいっていない気がする。
世界は「価値の危機」「資本主義の危機」「民主主義の危機」「テクノロジーの危機」に直面しており、その4つは「表象の危機」に結びついている、というのが筆者の主張。薄い理解ではあるが、「現物」を手に取らずとも様々なものを見聞きしたり、実際に会わずともコミュニケーションが取れたりする現代において、人々は「幻想」を「現実」だと捉えてしまい、その裏側にある「真実」を見ることができていないということかと思う。
「テクノロジーの危機」の章では、「人工知能など存在しない」「AIは知能をモデル化したものである時点で、知能そのものにはなり得ない」という主張はなるほど納得がいくし、シンギュラリティ云々というのは起き得ないという思いは強まった。しかし同時に、AIによって人間の単純労働を代替することへの警鐘は、自分の会社で目指している方向性への真正面からの批判であり、且つ有効な反論も思い浮かばない。
結局、企業にしろ政府にしろ、倫理感を持たないものたちが勝ち続けている限り、世界は着実に破滅へと向かっていくのではなかろうか。
この辺りの考え方は『ファクトフルネス』とは真反対な気がしたので、もう一度読み直したくなった。
しかし、曲がりなりにも大学で「資本主義が〜」などと詭弁を振りかざしていた割に、そこで得た周辺知識との紐付けが全然できなかったのは悔しいし、己の無力さと無知さになんとも言えない惨めな気持ちになった。
一度学んだことを忘れない頭脳が欲しいなあ。
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とても良かった。特に、多くの人が民主主義を間違って理解している、言いたいことを言うのはフェイスブックであって民主主義ではない、とか。普遍的な道徳的価値観とか。
新しい実在論の最後のところ読んで驚いた。明白なことなのに論理立てられてないことを普通の手段で説明している。すごい。
社会を新しい視点で捉えられる。
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非常にエキサイティングな内容の一冊だった。しかし自分には難解なところも多々あり、すべてを理解できたわけではなかった。日本がテクノロジーに関するイデオロギーを生み出すのが抜群にうまいというのは国際社会で今後生き残っていくために重要な示唆のように思う。
優しい独裁国家とは言い得て妙だなと思った。特に海外の人から見たらおかしいなって思うようなことに暗黙の了解の上に服従しているように思う。
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わかりそうでわかっていなんだ、マルクス・ガブリエル。「なぜ世界は存在しないのか」では少しわかった気がしたが・・。またわからなくなっている。「新しい実在論」ってなんだ、そもそも古い実在論とはなんだ?カント的なものだと思ったがちがう?
https://book.asahi.com/jinbun/article/13368047
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インタビュー形式で読みやすく訳された文章なので、煩わしくなくマルクス・ガブリエルの言葉を咀嚼できる。私が見る現実、あなたが見る現実、見えない現実、その事実、仏教にも通じる観点が提唱される。見る角度を変えると見えなかったものが見えてくる、思い込みを捨てると違う景色へと変貌する。万華鏡のように世界は変わる。それでは世界は存在しないものなのか、そこに真実がある。数多の現実が交錯する中に潜んでいる。「新しい実在論」の第一歩として良書。
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世界は擬態化している。
目に見えるステークホルダーの裏で、各国が全く異なったゲームをしている。
【新しい実在論 とはなにか】
・あらゆる物事を包摂するような単一の現実は存在しない
・現実は一つではなく、数多く存在する
→複数の現実が還元されたたった一つの真実は存在しない
・私達は現実をそのまま知ることができる
新しい実在論は、デジタル化が進み、リアルとフェイクの境界線が曖昧になるこの世の中に、境界線を再度明確な形で引く。
「意味の場」→対象を測定するルール。特定の解釈をするとき、対象をいかなる側面や性質から観察するか?によって物の意味が変わってくる。
筋の通った論理的な問からは、明確な答えが一つだけ見つかるものの、複雑化した現実においては、コンセプトも対象も絶えず変化する。
人間は、何がフェイクで何が真実かを見極めるために対話を重ねるのではなく、何が真実かなんて重要ではないのだから、基本的に全てがフェイクと思え、という考えで話をしている。→しかし、明確な真実は必要。
自然主義(自然科学を経済学や技術生産へ応用すること、近代化)が人類の自滅を引き起こす。
ガブリエルの道徳的価値観→「我々には、普遍的な道徳的価値観があり、違う文化がそれを覆っているだけである。」
殺人は悪いこと、人助けは良いこと、のように、普遍的な価値観がある。道徳には、「善い」「悪い」「中立」のカテゴリがある。公共の場でのヒジャブ着用問題などは、本来であればいいとも悪いとも言えない中立なものであるが、あるグループが、特定のグループから人間性を奪い、そのグループを「悪い」ものとして非人間化する行為が多発している。
人から人間性を奪うには、2つの方法がある。一つは悪だと思い、もう一つは相手を善だと思う=盲目的に相手を善悪の二元論で判断してはいけない。
民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときに暴力沙汰が起きる確率を減らすこと。スローペースな話し合いにより合点に至ることで、利害関係者の衝突と争いを防ぐ役割がある。
一つのレイヤーしかない明白な事実も存在するし、我々はそれを見出し、それをコモンセンスとして共有する必要がある。
ヘイトスピーチ禁止法を反対する人にはどうするべき?
→ラッセルのパラドックスを適用。層を2階層に分ける。
①排除されそうな人(在日朝鮮人)
②排除されそうな人を排除する人(ヘイトスピーチ話者)
このうち、②の人々を抑圧してよし。
【資本主義の危機】
グローバル経済の危険性は、法律上の制限なく、いかなるグローバル国家の制約も受けていないこと。
資本主義は収奪であり悪だというが、それは企業の中に倫理学者を置き、倫理学からの生産性へのアプローチをして来なかったから。倫理と資本主義は共存しうる。逆にこれからは倫理を意識しなければ、人類の問題は解決できない。今後の社会を生き残る企業は、善行からお金儲けをする、「モラリティの資本主義���に他ならない。
すべての学問分野は、「人間、そして人間の幸福の条件を理解すること」を目標とし、経済システムも幸福を向上させることを目標とするべきだ。
【自然主義の脅威】
自然科学の対象にならないもの(社会、空想、想像上のもの)は、この世に存在しないとする自然主義は、「自然科学とテクノロジーの発展こそが全て」と考え、地球を破壊してきた。自然主義は倫理観や行動規範に関知しないからだ。
【テクノロジーの危機】
インターネットの本質は「月並み」。むしろ一般的で最大公約数でなければならない。
【表象の危機】
表象とは、正確か不正確かの属性を持つ現実のモデル、それが正確かどうかは事実によるべきであるが、現代社会では、そのイメージを見て「これは正確だ」と思ってしまう。現実を見ずにスクリーンだけ見ている。
思考は自分の思考それ自体を偽だと考えることはできない。「自分の思考は偽である」と思っていても、「偽であることを信じている」ことになるから。
そのため、自分の行う思考は、必ずそれ自体を真として考えるため、自分の間違いを正す唯一の方法は、自分とは別の視点を持つことである。
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●最近本屋でよく顔を見るこのひとの本、初めて読んだ。
難しいとこも多いけど面白かった。内田樹の本読んでる感覚に似てた。
第4章:民主主義
民主主義では何でも自由に言えると誤解されている。文化的多様性は事実で、minorityを排除しようとする人を民主主義は排除すべき。でも他人の尊厳を減らす人は自分自身の尊厳も減らしていると考えよ。つまり尊厳がゼロになれば人間でなくなるのだから死刑はダメ
第5章:資本主義
グローバル経済が、グローバル国民国家の存在なしで機能することはない。インターネット上の危機と似ている。法律上の制限がないグローバル経済は明らかに問題。ここにトランプは気づいた。世界国家のないグローバル経済に入れば世界の民主主義が崩壊すると知って、トランプは実はパラドックス的に世界の民主主義を守っている。
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注目の「Neo existentialism」またはNew Realism をひっさげる哲学者マルクス・ガブリエルとの独占インタビューを元に構成した一冊。インパクトが大きい一冊。
中身を咀嚼するために、ガブリエルの他の主要著作をみる必要があると思っているのですが、なかなか、進んでないです。
そういうことをしなくとも、この一冊をしっかり読むことが大切かもしれません。
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なかなか手ごわい。それに、いっぺんでどうにかする相手じゃなさそう。
意味を測定のルールとする、という定義。対話している相手を特定のアイデンティティの代表者としない。社会のゴールは、企業のルールも含めて人間性の向上とすべき。下層にいる人の数がこれほど多くなったことはかってなかった。平均的人生がどのようなものになるかが研究されて人生のどの移行期も利用することがエコにつながる贅沢な消費という満足を与える定期サービスのオファーを受ける。資本主義。環境問題への抜本的な解決になる>ほんとかな。自然科学は価値判断しない。ので原始的な宗教みたいに。労働を機会に任せて末人になる。情報検索をすることが検索とネット起業を太らせる。テクノロジーは壊滅のチカラ。政治はリアリティ、政党は実現不可能なものを約束するが。政治家は現実と向き合っていることに敬意を払うべきだ。人生を謳歌することではなく人生のイメージを謳歌するネット社会。複数の現実は偽にもなりうる。明白な事実の政治>それが成立する社会ってどんな社会だろう。
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新しい実在論という方法論でもって、現代社会を批判していく
新しい実在論が完全に理解できたわけではもちろんないが、普遍的な真実というのはないが、文脈依存的には真実が実在するということと勝手に理解した
インターネットなどは違う文脈のまま、互いの真実と思われるものを主張しあうために噛み合わない議論となって信じるか信じないかの二択を強いることとなる
そこから倫理の文脈において善悪の真実は存在するとなる
最終的に会社は倫理学者を雇えとか自然主義こそが現代に巣くう最悪の知の病である、GAFAにタダ働きをさせられている ということになる
ある意味最近のヨーロッパの動きの思想的な背景になっているのだろう
その行き着く先が、倫理的であることを強制される中世のような世界に思えてしまうのは僕の理解が足りないせいだからだろうか
資本主義の本質を自分のやっていることを他人は知らないことを利用して設けるシステムと解釈するのはなるほどと思った
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哲学者である著者が提唱する「新しい実在論」について、インタビューをもとに書き起こした本である。
本書では、「新しい実在論」を解説した後に、現代を5つの側面(価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、表象)からの危機を論じている。
内容的には新書であるため、どうしても表面的なものとなってしまい、著者の哲学自体を理解するには内容が乏しく(自分の理解力の問題か?)、本質をもっと理解するためには他の著書を読み込む必要があるが、内容としては興味深いものであった。
本書で著者が主張していることは、自分ももだ未消化で文章としてうまく表現できないのが残念であるが、確かに現在の様々な問題に対する新たなアプローチを示している。そのなかでも、倫理学の重要性を主張している点は興味深い。何が正しいのかは、各人が倫理学を学び、それに基づいて判断すべきであり、他者に依存してはいけないのである。
そのためには、差別をなくすためには倫理学を学科として扱い、小学生から教える必要性を訴えています。
同様に会社にも倫理委員会を設ける必要性もあります。
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・普遍的な倫理観には、生粒学的な基礎があります。我々はもともと皆同じ種だからです(これは、人類という種であり、民族などによる異なるものではないということ)。
・言語と文化は同一のハードウェア(人類)上のソフトウェアのようなものである。
・現代社会では、ほとんどの人が文化相対主義を信じています。人間は使うソフトウェアによってきっぱり分かれているという思想です。つまり、ムスリム(イスラム教徒)は二十一世紀のマンガ狂やロシアの売春婦とは全く異なった価値体系を持っていることになるのですが、実際そんなことはありません。
・任芸性というのは極めて普遍的なものですが、我々はそれを無視しています。というのも、現在地球規模でサイバー戦争が起きているからです。今この時代に蔓延している文化相対主義の機能は、非民主的なインターネットを正当化するためのものだと私は思います。
・道徳には三つのカテゴリーがあります。程度の差はありますが、基本的に「善い(Good)」「中立(Neutral)」「悪い(Bad)」の三つに分けられます。「善い」にはマザーテレサは全ての人を救うというようなこと、「悪い」にはヒトラーが全ての人を殺害するというようなことが当てはまります。「中立」には、今日は半そでのシャツを着ようか、長そでのシャツを着ようかということが当てはまります。例えば現代ヨーロッパでいえば、ヒジャブ(イスラム教徒の女性が着用する頭を覆う布)を学校で着用していいのかどうか、といった問題もあるでしょう。個人的な見解を述べると、「神がヒジャブを着用することを望んでいる」と信じている人は、道徳の面で間違いを犯していると思っています。でも、だからといって、その女性がヒジャブを着用すべきではないという意味ではありません。彼女は間違いを犯していますが、人が時に間違いを犯すことは道徳的には許容されます。彼女の新年は間違っているけど、それは私の問���ではなく、彼女の問題です。
・しかしこれが耳目を集める問題になるのは、人々がムスリムから人間性を奪って殺めたいと思っているからに他なりません。ヒジャブを使うことでムスリムを非人間化できるからです。
・現実には、特定のグループの人たちから人間性を奪う可能性についてばかり取り沙汰されています。
・道徳観を教える倫理学は、数学と同じように一つの学科です。子供に教えていないから、学科ではないと考えてしまうのです。ドイツでは倫理学の代わりに宗教を小学校から教えています。これを宗教ではなく、倫理学に変えなければいけません。
・現在、人々は「民主主義は、自分が信じているものを何でも自由に言える権利」と思っています。民主主義を特定の表現の自由と混同しています。
・民主主義とは、民主的な制度の機能は、意見の相違に直面したときに暴力沙汰が起きる確率を減らすことです。二人の当事者が異なる意見を持っているとき、民主的な機関の機能は双方の利益の間の妥協点を見つけ出すことです。
・文化には多元性があり、ある文化には明白に見えないことも別の文化には明白に見えるということです。でも、地域の視点を超える、明白な事実もあると思います。しかし、時に文化は、明白さを否定します。我々は、一つのレベルしかない明白な事実という存在を、皆で見つけ出さないといけません。明白な事実が何であるか、我々は完全には分かっていないからです。
・「人間はこうあるべきだ」というモデルを、社会システムにいる全ての人間に押し付けるべきではありません。そのモデルは、人間の現実に即していないからです。それが多様性への論拠になります。「人間はそれぞれ少しずつ違っている」という事実(Fact)が、多様性の根拠です。
・我々は未だかつて(完全に)グローバルな自由貿易が行われたことはありません。どの国もある程度は自国の製品を保護しています。過去の不況でも保護主義で乗り越えてきたことがあります。現在のトランプ大統領の保護主義やEUの瓦解を密につけても、「世界史の針は巻き戻っている」と感じます。
・グローバル経済が、グローバル国民国家の存在なしで機能し続けることは絶対にありません。
・会社の中に倫理委員会が設けられ、彼らは完全な雇用保障、職務保障を得られ、大学の就寝在職権のように、解雇されないモデルが設けられるべきです。
・資本主義は「内なる他者」を生み出し続けている。資本主義の構造がそうなっているからです。現代の資本主義は、必然的に搾取されるグループを作り出すようになっており、そのグループは膨大な数に上ります。自分が消費したいと思う製品を作っている人、それが「内なる他者」です。彼らは、消費する人よりもひどい労働環境にいるに違いありません。絶対的に見ると、下層にいる人の数がこれほど多くなったことは人類史上ありません。グローバル資本主義は、人類が今まで見たこともないほどの貧困を生み出しています。
・自然科学の問題は、倫理観を否定していることにあります。自然科学の観点からでは、倫理学を研究することはできません。物理学の世界では、人間について研究するとき「ある動物��行動」という見方をします。しかし「動物の行動」なんて見方では、人間の価値を認識することはできません。価値とは行動規範のことで、行動規範とは、たとえば「人殺しはいけない」ということです。自然科学者にはこの行動規範という概念がありません。
・(本書の趣旨から外れるが)趣味が悪い人ほどネットに口コミを書きたがるものです。そういう人々の取るに足りない行動を、インターネットはいちいち律儀に登録しているのです。現実世界では、低評価をした人物の意見があなたの決断に及ぼす影響は何一つありません。それがオンラインになったとたんに、その人物の薦めに従ってしまうのです。インターネット上では愚者が愚者にモノを薦めあっている。それを群知などともっともらしい名前で呼んでいます。実際は群れの知識でなく、群れの凡庸化です。
・自動化が最適だというのは、昨今信じられている壮大な神話です。大抵は逆で、自動化は物事を凡庸化してしまいます。
・GAFAはデータで利益を得ています。そのためのインプットは、例えばバーベキューパーティを主催し、その写真をアップする。GAFAはそのアップされた写真から利益を得ます。バーベキューパーティを主催して写真を撮りアップするのは、労働と言ってよい。その人が手を動かしているからです。これはつまり、人々がGAFAに雇われている、文字通りGAFAのために働いているということです。しかし、GAFAは彼らに労働の対価を払っていません。
・各国政府は、我々国民がGAFAに雇われているという事実を認識した方がいい。近いうちに、GAFAは全てを変えるか、我々にお金を支払うかのどちらかを行うと思います。それで経済的な問題の多くは解決されるでしょう。
・減税を公約に掲げた候補者に票を入れたとしましょう。そしてその候補者が当選し、減税を行わなかったら、多くの人はきっと彼を嘘つき呼ばわりするはずです。でも彼は嘘つきではない。彼は有権者を表象しているのです。当選前の公約は「そうなるように努力します」という約束であり、必ず公約が果たされるということはできません。
・人の行う思考は、必ずそれ自体を真だと考えます。「これは正しい思考だ」という思考なしに思考することは不可能です。あなたは自分を信じているのです。というより、自分を信じないことは不可能です。思考それ自体が「これは偽だ」という思考をすることはありません。
・検索アルゴリズムは、最高のレストランではなく、最高の評価されたレストランを表示ます。人間の行為を合計したものを表示ます。間違いを犯す人間はいますが、それでも彼らはレストランを評価します。ですから、シリコンバレー的、統計的な世界観というのは、社会が間違いを犯す可能性を上げているのです。この統計的な世界観がなぜしっぱいするかというと、真実の真実、または偽りを考慮していないからです。
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最近気になる「若き天才」マルクス・ガブリエル。ドイツの哲学者で彼の主張する「新実在論」が今世界中で脚光を浴びている。本書では、大きく変貌する現代社会が直面する5つの危機(価値、民主主義、資本主義、テクノロジー、表象)の提示とその本質の解説と、特に日本に対して「優しい独裁国」と評し、解決方法を提案している。「インターネットは非民主的」「人工知能など存在しない」「GAFAにただ働きさせられている」など、一旦立ち止まって思考することで見えくる本質の大切さに気付かされる。本書の主たるテーマとは異なるが、なるほどと思ったのは、よりよく生きるための思考法ともいうべき「哲学」を、なぜ小学校から教えないのかという点。算数や理科など基礎科目ができなければ、高度な技術や科学は駆使できない。それと同じで、生きるため、社会生活を営むにあたって必要な頭の使い方や先人の知恵を学ぶ機会が極端に少ないのはおかしいという主張。今後も彼の動向に注目したい。