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新井紀子さんの”読解力の危機”というのは、けっこうこの本で触れられている「デジタル読み」(デジタル媒体で習慣化されてしまう斜め読み・飛ばし読み・キーワード拾い読みかつ行ったり来たり読みによる因果関係把握の弱さ・気を散らされることの多さによる注意不足、など)によるものが多いのでは、という気がした。
原文によるものか翻訳に由来するものかわからないけど、ちょっと読みにくかった。
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読書は紙媒体がいいか電子書籍がよいか。
本を読むことを習慣としている人であれば、誰しも悩むところではないだろうか。
自分は、コストとスペースの観点で割り切って電子書籍を選択している。紙の本はとんと買わなくなった。(紙媒体しかない書籍は図書館で借りる)
しかし、両者の間で読解、読みの深さに違いがあるのだとしたら、ちょっと損をしたりしないかという心配もあって、本書を手に取った。
著者は、我々のような大人のことではなく、子どもの発達段階における分析をしている。彼女に言わせれば(想像の通り)紙媒体がよいとのこと。端的にいえば、電子書籍だと気が散ってしまうからだと。
ところどころはなるほどと思うところもあった。
ただ、これは編集の仕方の問題かもしれないが、やや根拠や論理が弱く思う箇所もあったように思う。
それが全体的に、説教じみた印象を受けるのだろう。
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「デジタル本」と「紙の本」を読む際、記憶力・分析力・創造力・共感力に関して、双方にどれくらいの差が生まれるかの研究結果を元に、「読書脳」をいかに育てるかを論じた一冊(全編手紙形式で語られる)。研究の結果「紙の本>>>デジタル本」であり、デジタルの場合移ろいやすい傾向が生まれ、注意散漫になり読書に集中できず、結果本の理解力にも差がでてくるそうだ。といいつつも現代~未来になるほどデジタル化は避けられず、脳の発達に応じて幼少時代からのデジタル本(オーディオブックも含む)と紙の本とのうまい共存方法も模索する。
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スマホを持つようになって、私をふくめて多くの人がたくさんのデジタル文字を読むようなった。読むという行為はスマホでも本でも同じようだが、実際には違いがある。本はある程度の長さとまとまりをもっているが、スマホで読むものは新聞記事やコラムのように短いものが多く、その最たるものがツイッターの140文字だ。
次から次へと画面を追うデジタルでの読み方は、いかに速く読めるかが重要で、書き手もそのことを意識するため、さらに短いセンテンスで書くようになっていく。読み手がそれに慣れると、長い文章や込み入った構文や難解な言葉(語彙)を読むことができなくなる。こうした変化は、私たちの思考力や忍耐などに大きな影響を及ぼす。そんな危機感を抱く作者が、こうしたデジタルと従来の本との付き合い方を読者への手紙という形式で書いている。
紙媒体にしろデジタル画面にしろ、大切なことは内容を吟味する力をどのようにつけるかということ。情報や知識をえるためであれ、楽しみのためであれ、良い読み手であるためには書かれた内容について内省的思考が大切である。ついつい読了することが目的のようになってしまいがちな私にとって、もう一度読書について考える機会になった。
「プルーストとイカ」と同様にとてもためになる本。
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原題は『Reader,Come Home The Reading Brain in a Digital World』読書人、帰る。デジタル世界で読む脳、といったところだろうか。読むとは深い内省を伴う行為であって、電子書籍とか画面上で読むという行為は、その内省という能力を大きく損なってしまう、というあたりが本書の骨子だと思う。
読んでいて、この著者は本を読むことが本当に大好きなんだろうな、と感じた。
そしてその著者をして、若いころに深く没頭したヘッセの『ガラス玉演戯』を読み返したところ、楽しめなかったという。デジタルで読むということは、あちこちに注意がそがれてしまうことだという。電子書籍で読んだ読み手は、紙の本で読んだ読み手よりも内容の記憶や理解において、成績が低かったとか。深く読むということができなくなっているのだ。
読むとは深い内省をともなう行為であり、読むことが浅くなっている現代社会について、お互いやひいては自分自身を理解する能力が劣化していくと警鐘をならす。
その中で、著者としては、デジタルで読むことと、紙で読むことのいっしゅのバイリンガルになることを目指そう、目指せるはずだというんだけど、そのあたりはよくわかんなかったな。電子書籍を使うことの利点は、本の重さ、スペースをとらずに多く所持できることにあると思うんだけど、反対に、それ以外のメリットというのがよくわからない。いくつか、認知的な実験で成績の向上している部分もあるなんて記述もあった気がするんだけど、ちょっとピンとこなかった。
この本は、また読み返したいな。
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【読書の意味を改めて考えさせられる】
◇著者の主張自体は新しくないです。
・紙の本が「深い読み」を促す
・デジタル媒体によって、認知的持久力が失われている(「使わなければダメになる!」)
といったところでしょうか。
内容的には、『ネット・バカ』を、ブックカバーを変えて読んでるだけの気分に、しばしばなりました~。
◇では、本書オリジナルなところはどこでしょう。
「深い読み」の文化が失われていることを、嘆く著者自身が
知らぬ間に思考が狭まっており、
読み・考える能力が低下していることに気付かされ
愕然としているところではないでしょうか。
その著者に共感。
私自身も、じっくり読むことができなくなってきている自分に危機感を覚えました、、
(いや、元々できていなかったかも・・・)
◇失われた時間は戻りませんが、
改めて、本書で説明されるような、「深い読み」を実践していきたいとの思いを新たにしました。
特に、深い読みには「背景知識」が必要というところが共感。
そんな読み方ができるようになっていきたいです!
ステイホームの今がチャンスですね(^^)
「本を読むにはある種の静けさ、が必要だ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
◇ということで、この本を読んでみたい、と思ってくれた方に向けて、本書の取扱注意事項?ですw
・本書、Amazon他の評価が低いですねー
これは、1章、2章が、とってもわかりにくいからだと思います。
私も、なかなか頭に入ってきませんでした。
『プルーストとイカ』の著者だから、ということ一つで耐えました。
3章から読んでもらえればよいと思います。
・デジタル媒体の利点については、結局、とってつけたぐらいしか登場しませんでした。
いや、登場してないかも・・・
しかし、私は、本書で自分の読書体験上、初めて、デジタルを活用した読み方をしました!
すなわち、本文中で引用されている人物や書物で気になったものを検索した、ということです。
さも一般常識のように登場するにもかかわらず、わからない。自分の無知、背景知識のなさを思い知らされました。。。(まあ、私は文学部ではありませんのでやむなしということで)
読みたい本は増えましたが、まあ、一生のうちに読むことは難しいでしょうね~
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違和感ありありの日本語
流し読みをした後
読みづらかったので 要約サイト使いました
要するに 私には
調べ物やざっと情報を集めるような時は デジタルで じっくり考え 理解したい時は紙ですかね
今から 文字を読むことを始める子どもたちはまた違うのでしょう
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読書方法:フライヤー
デジタル機器の普及により文字を読む機会は格段に増えているが、
深い読み(高次の読み)は減少している。
深い読みのプロセスに移入がある
他人の視点に立つという他者視点獲得のプロセスが大切
筆者の伝えたいことを、正しく理解する背景知識が必要。
今の若者とは、長い文章を読むことができなくなっている。
今のベストセラーの本は、あえて、行間を広げて文字数を減らしている。
子供の言語学習にとって、読み聞かせが非常に有効
読み聞かせは、共同注意を実現できるから。
子供の学びにとって、
物性と回帰性が必要
→電子書籍は子供の学習に向いていない
知識を広げていくのにデジタルは欠かせない。
ただ、その前提能力として、長い文章を紙媒体で読む訓練が必要
そのことで、デジタルの情報に触れても深い読みができるようになる。
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tl;dr…英語の略語だそうだが、なにを意味するかお分かりだろうか?
本書の趣旨を一言でいえば、デジタル化が進むに従い、人の「読む力」が著しく衰えているということ。よくある若者の…論ではなく、我々自身も退化の一途だ。
一方で非構造データも含めではあるが、人類の蓄積する情報が、僅か数日で過去数百年の総情報に匹敵する(もはやギガやテラを超えて、ペタバイト、エクサバイトという単位だ)。ここまで情報量が増えると「上澄み」を効率よく濾し取って、有効な組み合わせを発見する能力の方にシフトせざるを得ない時代背景のもと、これはむしろ「進化」ではないかとも思う。
ともあれ、読み進める中、自分の「読む力」の衰えを実感しつつも、あえて読書のドロップを狙っているかの如く悠長すぎる筆者の文体には激しい苛つきを覚える。全般的に示唆に富む内容ながら、読む気が失せる文体のため、気になった箇所を幾つか拾っておこう。
現代の読書家(広い意味で文章を読む人)は、文章に「移入」する自由を大きく失って来ているという。まったく、その通り。なにせ邪魔が多すぎる。
有料の新聞サイトのような固い物でも、web上で全く「邪魔」が入らずにひとつのストーリーを読み終えることは難しい。さまざまな広告やら、関連する記事やらがちりばめられる。いわんや無償サイトにおいてや。
デジタル読書で、難しい単語に出会した時、自動的に辞書を引いてくれる機能、この上なく便利だけれど、敢えてそのまま読み進めて、語句の意味を類推する能力は、議論の余地なく奪われている。
もっと言えばスマホ。かつては読書に入れば電話でもならない(普通は深夜にかける人は少ない)限り、そのパーソナルスペースが破られることは稀だった。
紙媒体だと物理的にこれくらいの位置(本の厚み)にこんな事が書いてあったと無意識に記憶できる(メリットがある)。★これは「有る」だろう。一方で、Kindleで小説を読んだ者はペーパーバックで読んだ者より、話の展開や細かな記述の記憶が浅い…というのは「無い」だろう。電子媒体の方が、こんな風にメモを取りやすいというアドバンテージはある。あくまでも、集中の妨げとなる状況の起こりやすさの問題と考える。
これは読書に限らない。これは自分自身の経験だが、若い頃、スペインはプラド美術館で有名なピカソのゲルニカを見た。その1枚専用の広い部屋があるのだが、あれだけ有名な絵画ながら、しばらく待てば自分の他に観客がいない、絵画を独占できる瞬間がやってくる。集中力を研ぎ澄ませ、その「瞬間」が到来した時の嬉しさたるや筆舌に尽くしがたいのだが、おそらく現代であれば、時間潰しにSNSをやったり、さらに下手をすればポケGoをやり始め、対戦しているうちに折角の貴重な一瞬を逃してしまう事態すら起きかねない。自らをコントロールする極めて強い「意志」が求められる。
後半、特に米国では、所得格差が幼少期に「文字」(読み聞かせのようなものも含む)に触れる機会の大きな格差につながっており、その後の学習能力にも影響を及ぼす。結果、格差の定着化、強化につながっていると。★確かにそれはあるだろう。
最後に冒頭の略語(略記号)の意味、too long didn’t read、長いので読めませーん…ということで、普通に若者が使う表現らしい。日本語で言えば「草」や「りょ」(既に古いかもしれないが)のような表現方法だが、長いからという理由で読むことを放棄する選択肢が一般化していることには強い危惧を感じる。
「デジタルで読む脳✖️紙の本で読む脳」(インターシフト、メアリアン・ウルフ著)
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紙に比べると、電子のほうが斜め読みで深く考えることがしにくく、ディスレクシアなど学習障害の場合では、電子が適しているとのこと。
紙での理解度が高い人は、電子での効果は低く、電子での理解度の高い人は逆という記述は興味深かった。
家に本がなく、使い古した携帯だけが学習の接点であるという家庭では、深い読解をしはじめる時期でも適用できない例が多いとのこと。
読み聞かせは効果が高いようだ。
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著者はディスレクシア(失読症)の研究をしてきた脳科学者。
人は読む能力をどう獲得してきたか、人がものを読むとき、脳はどう働くかといった領域の研究をしてきた人らしい。
序盤に、読むときに脳内で何が起こるかを述べたあたりまでは、何か読みにくかった。
イメージ豊かに、(実際、シルクドソレイユのたとえを使う)伝えているのだけれど、どういうわけか難しい。
それから、音声言語を獲得するのは人間にとって「遺伝子的に」プログラムされているけれど、文字を読むことはそうではない、というのだが、行動が「遺伝子的に」プログラムされるって、どういうことなんだろう?
いや、こういう言い回しはこの本以外でもよく聞くけれど、改めてそれがどういうことなのか、実はきちんと説明をされたことないなあ、と思う。
さて関心の中心は、やはりデジタル媒体での読書と、紙の本での読書とでは何が違うのかだ。
デジタル媒体では、深く読むことが難しいという。
自分の実体験でも、そんな気がしないこともない。
ただ、それはもしかすると、現状の端末の環境では、ということなのかもしれないとも思わないでもない。
自分では考えられないことについて書かれているので、読む価値はあったと思う。
ただ、科学者が一般の人向けに、という配慮のせいなのか、著者の持つ文学的背景を共有していないからか、とにかく読みにくかった。
なんで読者への書簡形式なんだろう?
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書いてあることは真っ当だと思ったが、本として、文章として読みづらかった。
デジタル、紙のどちらかという以前に、文章の出来が理解度に大きく影響する。という印象。
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タイトルと原題が異なる。読者よ、戻ってこい。デジタル世界の読書脳。である。
どのようにデジタルでの読書と活字での読書が異なるかについての実験の説明があった。オーヘンリーの弱者の贈り物という小説で、デジタルで読むと筋が混乱して何のことかわからないという読者がいる、という話は驚きだった。
日本でもそうかもしれない。
デジタルのソフトウェアのことを書いたのは職業柄仕方がないのかもしれないが、無駄なような気がしあ。
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タイトル通りの本ですが、後半は、幼児期、児童期における読書のあり方に重点が置かれて書かれています。
デジタルはダメ、紙はいい、という単純な話ではなく、少なくとも幼児期(5歳以下)は、紙の本でしっかりと読み聞かせをして、読むことの基礎を身に付け、徐々に、デジタルものの割合を増やしつつ、デジタルものも読めるようにしていくのがよい、とのこと。
ある意味、まっとうな主張をしている本ではありますが、章によって読みやすさが随分異なる気がしました。
著者の問題なのか、翻訳者の問題なのか、読者である自分の問題なのかはよくわかりませんが、今までにあまり経験したことのないパターンでした。
他の人も同じような印象を受けたのか、そこが気になっています。
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一般に、デジタルよりも紙の本で読むほうがいいと言われているが、その理由を説明できるだろうか。
本書は、デジタル機器が子どもに与える影響、紙とデジタルで読むときの違いを説いた1冊。
さらに、デジタル機器を批判するだけではなく、これからの時代は、両方の能力が必要となることを解説している。