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大大阪時代にどハマりした学生時代、よく橋爪先生の本にお世話になっていた。
本の内容までは覚えていないが、東京の人口を凌ぐマンモス都市だった往時の大阪をストーリー性のある文章で解説。読んだうちの一冊には、当時流行したご当地歌謡曲のCDが付属で入っていたのを覚えている。
本書は2018年に刊行された『1970年大阪万博の時代を歩く』を改題・加筆・修正したもので、刊行年は2020年2月。
話題というより物議を醸している2025年の大阪・関西万博だが、55年前の方はどうして何事もなく成功できたのか。今回の万博は希望を持っても大丈夫なのか。
うん十年ぶりに先生とタイムスリップして確かめてきた。
巻頭には大阪万博の全貌がカラー写真で掲載されている。
全パビリオンほか会場内の施設外観を載せてくれているのも嬉しい。全部なんて見たことがなかったし、今見てもワクワクする。パビリオンごとにはテーマが設けられており、巻末ではそれらも確認できる。
当時小学4年生だった橋爪少年が全館コンプリートのため約18回通い詰めたのも頷ける。(ちなみに大阪市ご出身)
第1・2章では、大阪各地での戦後の歩みを追う。
終戦直後には空襲で家を焼き払われた住民のためにバスを転用した住宅を支給したり、1964年頃に社会問題となっていた交通マヒを解消すべく阪神高速を建設するなど、いかに大阪が復興・発展の途を歩んで来たかが綴られている。
戦時中大阪市東住吉区に模擬原爆なるものが投下されていたなんて初耳だったし、「まず模擬原爆って何?」と他の内容がしばらく頭に入ってこなかった。(これはこれで別途調べよう…)
今の通天閣は2代目で、東京タワー建設も手がけた人物に地元の商店主7名が再建を依頼していたんだとか。今や滑り台も設置された人気スポットだと聞いた日にゃ、彼らも泣いて喜ぶだろうな。
第3章では、いよいよ万博にフォーカス。
万博の開催が正式に決定したのは1966年5月。1940年には「日本万国博覧会」なるものが開催予定だったが、世界情勢の悪化からおじゃんになっていた。その時の前売り入場券は何と1970年の万博で適用できたらしい…!
実は1970年以前にも府内では様々な博覧会(第五回内国勧業博覧会etc.)が開催されており、いずれも成功を収めていた。それらが万博成功への土壌を作り上げた一つなのだろうと先生は述べている。
本章ではパビリオンの展示内容にも多くページが割かれていたが、それらが生き生きして見えたのは、先生が熱心な目撃者だった所以だろう。
第4・終章は万博後の大阪になる。
2025年の日本誘致が成功したのは、上記1970年万博以降も花博や愛・地球博を成功させてきた実績にあるという。先生も専門家として構想に携わっており、終章では会場設備について触れている。
「1970年大阪万博が我々にもたらした最高の財産は『人』であった」と先生は語る。
様々な才能を雄飛させる契機こそが万博。
それらはきっと岡本太郎氏らのような輝かしい才能ばかりではないはず。1970年までの道のり同様、希望を持とうと願い奮闘する人々の分も絶対に含まれている。