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「自己」が構築される過程において、動機、意味、感情や記憶などの「主観性」を見いだそうとする関心の増大から、精神分析学的アプローチが活用されるようになっている。この点で、エゴ・ドキュメントは、語り手の視点から外側の世界をみる手段であり、記憶・感情・知識・意味などの主観性を考察しうるという利点を持つ。個人という主体の構築において、背後に複雑な社会的・歴史的過程が存在することを明らかにしてくれるのである。(p.8)
ここに見られる子どもの死体からの秘薬の製法、サバトでの乱交、空中飛行などはほぼ当時の紋切魔女イメージに沿っているが、注意すべきは細部のリアルな描写(「油の入ったカボチャ」「目なし尾なしで全身長毛のきれいな馬」など)はおそらくベレッツァ自身の想像力の産物と思われる点である。こうした既成イメージからの想像力による自由な飛翔は「告白」においてさらに奔放な現れ方をする。(p.27)
大幅な加筆と削除と書き換えをともなう転写によって、「告白」におけるベレッツァのエゴは大きくゆがめられることになった。転写においては、自由に読み書きし知識の探究に精進する彼女の姿は後景に退き、代わって他の仲間とともに秘密を行使して人に危害を加える魔女としての姿が前面に押し出されている。その姿は審問官と初期がともに彼女に求める姿であり、転写は彼女を彼らの期待する魔女に創り変えた。こうして「告白」中の「もう一つのエゴ」は転写によって「創られるエゴ」に変えられたのである。(p.38)
活字と手書きのひろがりは、オーラルを衰退させるのではなく、むしろオーラルを刺激する時代があったことに留意したい。オーラルは文字に書きとめられ、書きとめられたオーラルは、あらためて声に出して読まれることで、創造以上に多くの人びとの耳に届けられた。音読の時代であり、識字率が低いなかでも、活字と手書き、代書、読み書き、音読などが相互に刺激し合う時代が長く続いたのである。(p.100)
長谷川のいう近年のエゴ・ドキュメント論の特徴は、ドキュメントが生成される過程に関心を向け、語りの流路に沿いつつその道筋の示す意味を微細に追うこと、すなわちドキュメントの起点に遡り、人びとの内面を読み解く史料として位置付ける点にある。(p.180)
遊女たちの「日記」の特徴は、実務上の必要に基づく記録ではなく、もじが帯びるジェンダー規範のもとで、ひらがなによって書かれた経験の記録であること、また、話し言葉を多用し、時系列に沿って事故の経験を継起的展開として記すという表現状の共通点をもっていること、さらに、近世の文章表現の定型から外れるが、文章語であるという意識を持って書かれたものであった。また、梅本屋は新吉原では小見世の部類であり、環境や能力に恵まれた高級遊女による例外的な行為としての「日記」でないことも明らかである。(p.205)
遊女たちにとって、新吉原という閉じられた空間のなかで、自らの経験を存分に語ることができる相手や場は、案外少なかったと考えられる。「吉原細見」にみるように、遊女たちは日常的に競争的な環境に置かれており、遊女同士であっても、胸襟を開くことができる相手かどうかは容易には決め難く、場合によっては裏切られる危険もともなったと思われる。また豊平のような「重立」の遊女が他者に胸中をうち明けたとしても、それが真に共感を持って受け止められるとは限らない。豊平にとって、精神の崩壊を招きかねない暴力の下、噴きあがる感情を表出する術は、書くことを除いて、思いのほか乏しかったのではないか。自己の経験した事実をひらがなのみで記す豊平の「日記写」は、誰かが読むために書くのではなく、書くこと自体を目的としているかのような激しく強い感情に裏打ちされている。(p.206)
集団の序列がそれほど内面化されていたにもかかわらず、一方で遊女たちは、個として生きることを課題に要求される存在だったことである。家の内部で生きた近世の多くの女性たちとは異なり、遊女たちは「身売り」によって家から切り離され、競争的環境のなかで常に自己の位置を意識し、また仕舞金をはじめとする過酷な経済的負担の管理も一人で負っていく存在であった。本章で見てきたように、少なからぬ遊女が「日記」を綴り自己と向き合っていたという事実は、そのような個として生きることを求められる遊女の生活と無関係ではないと思われる。(p.209)
噂を伝える側にとっては、伝える情報そのものよりも、情報を交換するという行為それ自体が重要である点は、しばしば指摘される。特に歴史主体が危機状況にある場合、自らの強い不安を誰かに話すことで、自分の気持ちを和らげることができる。人とのつながりによって。苦痛を軽減できるからである。その結果、噂や流言は「恐れy不安などの感情を説明し合理化する機能、不平不満をことばによって発散させる機能、願望を空想的に実現させる機能、あるいは好奇心を満足させる機能」を果たすことになる。
他方、情報を交換すること自体に有用な意味がったのは、野戦郵便も同様である。何かを書き送ることによって人間関係を維持し、感情や経験を共有するのである。電報、電話、休暇による一時帰郷というほかの手段がほとんど利用できない以上、遅延や不着があったとしても、野戦郵便だけが彼らの「命綱」であった。そして手紙を通じて、前線における銭湯や空襲の生々しい様子が銃後へと書き送られた。ドイツ本国への空襲が激しさをますなかで、それは前線・銃後ともに理解できる、コミュニケーション可能なテーマであった。暴力経験を詳細に共有すること自体が、何よりも深い両者の感情的紐帯の表れでもあったし、彼らは互いの身を案じ、敵の空襲によって生じる感情を共有し、あるいはそれを宥めようとした。(p.233)
個人文書は、実践的のみならず、学術的にも大きな意義を有する。……我々の同時代人はしばしば謙遜して、自分たちの文書は歴史的関心を惹かないだろうなどと考えるが、そうではない。歴史のプロセスの客観的な解明のためには、傑出した人物のみならず、我々の時代を生きた普通の働き手の見解が貴重なのである。(p.253)
イリザーロフは自著の中で、実現不可能という「敵対者の主要な論拠」は、情報化時代以前の話であり、今の社会状況は大きく変わったことを力説する。「新たなメディア、バーチャルなスペースでの情報の収集・保管という無尽蔵の可能性がひらけたことによ���、その存在の期間に人類が創り出したものだけでなく、惑星地球に生まれ落ちた一人ひとりの個人の情報すべてを保管することが可能となった」というのである。(p.266)