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40年以上まえだけれども、父母姉と4人でくらしていたころの正月は、「おいわいやす」ではじまった。おはし紙には父が毛筆(すでに筆ペンだったけれど)で書いたそれぞれのなまえがあった。おぞう煮はもちろん白みそだった。そんなことは、とっくに忘れてしまっていた。本書をよんでいて、なつかしくおもいだした。昨年実家をかたづけた。仏壇も神だなもなくなった。梅棹先生のおうちでは、先生が土着主義的伝統主義者で、奥さまが開明的な近代主義者だったそうだ。つまり、先生は伝統的な形式にこだわり、奥様はもういいのではないかという。しかし、ある年先生は気づく。自分がやっていたのは「正月の美学」だったのではないか、そして奥さまは「趣味の満足のために神さまを利用してはいけない」という。なるほどなあ。奥さまが、いっさいの神事をおこないたがらないのは、「さわらぬ神にたたりなし」という原則だったそうだ。私もどちらかというと伝統的な行事はいっさいおこなわない。けれども、それぞれのものには神がやどっていると無意識にはかんじている。だから、しばらく家をあけるときには、なにものかにむかって「よろしくね」などといっている。わが家での宗教的な行事とはなんであろうか。こどもがちいさなときは、クリスマスケーキをかってたべてはいた。いまはもうしていない。両親がなくなったことで、年に1回墓まいりにいくようになったことくらいだろうか。ところで、梅棹先生がのこされた「こざね」をつなげてストーリーをつくろうとされているが、なかなか真意はつたわらない。先生自身の論理展開をよんでみたかった。