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烏兎の庭 第六部 9.22.20
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto06/doc/koten.html
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一昔前のベストセラーを改めて紹介・評価するというなかなか面白い企画。過去に読んだのは柴田翔『されどわれらが日々―』(大学時代に先輩に貸されてやむなく読むもよくわからなかった)、中野孝次『清貧の思想』(これは途中でつまらないので放棄だったかな?)ぐらいという私にはうってつけの本かも。あ、小松左京『日本沈没』のコミカライズしたものを昨年読んだか。
過去のベストセラー本がどんな内容だか知ることができたのは良かった。さて、改めて読みたい本というと『どくとるマンボウ』のシリーズぐらいかな。評価は高くてもめんどくさい本は今更読む気はしないし。あと、堀江邦夫『原発ジプシー』がちょっと気になったので、簡略版に水木しげるの絵が入ったという『福島原発の闇』を購入してみた。
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表題にある『中古典』は著者の造語。
その中古典の定義付けを語る前にまず触れなくては
いけないのは『古典文学』の定義。辞書には上代(奈良時代)〜近世(江戸時代)の文学とある。ということは近代、即ち明治以降の漱石や鷗外の作品は含まれず、近代文学に属する。ただ現代人の感覚では十分古典の範疇に属している。
その感覚の違いを踏まえ、著者は、古典文学とは
『長きにわたり読み継がれ、普遍的価値を保有する作品である』と定義付ける。
さてというかようやく肝心な中古典の定義…
◉近代以降の60〜90年代の作品で、歴史的評価が
今のところ定まっていない。
◉上梓当時よく売れ、世間の注目を集めた。
以上、この条件に合致した計48冊が俎上に載る。
中身は小説・エッセイ・ノンフィクション・評論等
ジャンルは多岐に及ぶ。特筆すべきは、小説の多くは『青春小説』が14冊と占有率が高い。純文学の主題は『いかに生くべきか』に照らせば、青春小説が多いのもさもありなんである。
その青春小説…
『赤頭巾ちゃん気をつけて』〈庄司薫〉・『どくとるマンボウ青春記』〈北杜夫〉・『キューポラのある街』〈早船ちよ〉・『されど 我らが日々』〈柴田翔〉・『青葉繁れる』〈井上ひさし〉・『青春の蹉跌』〈石川達三〉・『二十歳の原点』〈高野悦子〉
『ノルウェイの森』〈村上春樹〉・『スローなブギにしてくれ』〈片岡義男〉・『桃尻娘』〈橋本治〉
『四季・奈津子』〈五木寛之〉・『なんとなく、クリスタル』〈田中康夫〉・『キッチン』〈吉本ばなな〉・『極東セレナーデ』〈小林信彦〉。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』〜『ノルウェイの森』までの作品は60年代が舞台だけに学生運動との関わりが直接的であれ間接的であれ作品に影を落とし、悩める青年群像が描かれている。
70年代半ば以降となると、青春そのものが多様化し
『いかに生くべきか』の反動ゆえか悦楽化へシフトしボーイミーツガールが話の中心となる。
著者は『はたしてその本を今も読む価値があるか
どうか』の一点で論じ、最後にその評価を〈名作度〉と〈使える度〉の2つの観点から星印で評価を下す。
本作でも寸鉄人を刺す舌鋒でドライブ感を伴いながら小気味良く論じていく。先見を讃え、目を細め眩しいと感慨を抱く一方で、白けたと呟き、恥ずかしいと嘆く。その評価に至る論理の畳み掛けが、独善に走らずストンと腑に落ちる。
本書に取り上げられている作品はいずれもベストセラー。ただあくまでもそれは当時であり、あたかも現代と地続きのように思いがちだけど、『あゝ、この本あったよなぁ〜』と隔世の感ありありの本も多い。
『一昔前のベストセラーの賞味期限』を判定する本書。平たく言えば『読書界懐メロ本』。50代60代のニューミュージック世代にはたまらない一冊になること太鼓判押します!
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1960年代、70年代、80年代、90年代に分け「名作度」「使える度」を3段階で評価。「中古典」とは斎藤氏言うところ「歴史的評価の定まっていない本で、古典に昇格するかどうかは神のみぞ知る。」斎藤氏とは同学年ということもあり、時代感覚は同じかなと思う。70年代以降はほぼ出た時に読んでいる。
1963「江分利満氏の優雅な生活」山口瞳 昭和15年生まれの主人公。気楽なサラリーマン生活とは青春を台無しにされた学徒出陣世代の復讐としめくくる。高度経済成長を牽引したのはこういう人たちだったのだ。
1964「感傷旅行」田辺聖子。これは読んだ気がする。ハイミスものの原点。21世紀になってようやく時代が田辺聖子に追いついた。
1968「青春の蹉跌」石川達三著 これも読んだ気もでも40年まえかなあ。「僕たちの失敗」と混同してるかも。随分古い人で設定も自分からするとふた昔くらい前のような気がするのだが、斎藤氏、名作度、使える度どちらも3である。登場人物も物語も図式的な分、いまも一定の不変性をもっているとしている。
1972「サンダカン8番娼館」山崎朋子。これは77年頃読んだきがする。からゆきさんからの聞き取りを、取材だと断っていず、写真はもってきてしまった、という。そうだったの。
1973「自動車絶望工場」鎌田慧著 これは90年頃読んだ気がする。斎藤氏はどちらも3である。今の派遣労働などの状況を鑑みるに、この潜入体験告発はいまも色あせていないと。
1976「スローなブギにしてくれ」片岡義男著 これは同じ題名の歌がよかったなあ。読んだのは90年ころか、ああこういう内容だったんだ、と思った。歌詞の内容と本がちょっと離れてた。そしてそのあと映画もみて、これまた本とはまったく違った空気だった。国道4号を北上し、そしてまた朝オートバイで戻るその空気感がよかった。まだ東北自動車道が無い時代の話。片岡氏はディティールを描いた短編作家だった、としている。そこが村上春樹になれなかった所だと。名作度2、使える度3。けっこう評価した。
1993「マディソン郡の橋」R・J・ウォーラー著
これは出た時に読んだ。映画も劇場で観た。読んでは、こんな人生送りたくない、だった。だって夫以外の人がもっと好きだなんて、実生活が苦しいなと思ったが、本にはぐいぐいひきこまれた。職場の10歳上の男の本好きの上司は「つまんねえ小説」と言った。斎藤氏は「心の中で思うだけにしておきな」と釘をさす超保守的小説だとする。名作度2、使える度2
「scripta」1号~55号(2006.10-2020.4)の連載をまとめたもの
2020.9.10第1刷 図書館
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期待通り面白かった!「中古典」とは著者の造語だそうだが、これは言い得て妙、さすがの目の付け所だ。確かに明治大正から昭和の戦前あたりの文学って、すでに古典と言っていいだろうし、その後の60年代から80年代くらいに書かれたもののなかに、同じように今後読み継がれていく作品があるはずだ。発売当時よく読まれた48作品が取り上げられ、本としての価値(名作度)と面白さ(使える度)が三つ星で評価されている。忖度なしでバッサリいくところが著者の真骨頂。好きだなあ。
斎藤美奈子さんとは年が近いせいか、そうそう読んだわそれ懐かし~という作品が多く、数えてみたら28タイトルが既読だった(たぶん)。ずっと大事に本棚に並べているものもあり、聞いたこともないよというのはほとんどなかった。そりゃあ楽しく読めるはずだわね。名作であり、かつ今読んで面白いと三つ星が並んだものは10作足らず。星一つずつというのもあったりするが、おおむね納得の評価であった。
読みどころはもちろん、それぞれについての評なのだけれど、最初の「はじめに」がたいそう興味深かった。「予習をかねて軽く紹介しておきたい」と本書で取り上げた作品以外にも触れながら、各年代の特色を俯瞰する内容になっている。短い文章だが、「時代の波をかぶる青春小説」「プレフェミニズム期の証言としての女性エッセイ」「懲りずに湧いてくる日本人論」などなど、なるほどねえとうなずくことしきり。これってまだ連載中なんだろうか。もっと読ませてほしいなあ。
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懐かしの本が沢山出てきて面白かったです。30~40年前の作品なので確かに中古典ですね。再読するには恥ずかしい青春ものもあり、古典候補もあり、20年後に又お目にかかりたいです。
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「青葉繁れる」について、『物語内容に、誰も疑問をもたなかったということよね。この国の性暴力に対する認識は、長い間、この程度だった。「使える度」は、★にしたけど、反面教師としての教材にするには適した素材だ。この本で抱腹絶倒できる人がいたら、自分のセンスを疑いなさい。』と述べられています。
私は、若かり頃抱腹絶倒した覚えがありました。
「桃尻娘」全6冊読もうと思います。
「見栄講座」の余談に驚いた。ホイチョイ・プロの主力メンバーは成蹊学園卒業生で同じ学年に安倍晋三がいた。
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書店で見て気になったもの。一部を除き、中高生以上が読者層ってことになるんだろうけど、そうなると、自身がリアルタイムで間に合ったのは最後の数作品くらい。それを言い訳にしてはいかんけど、既読作品は数えるほど。でも、その既読作品に対する見解がいかにも納得のできるもので、となると、その他取り扱い作品のうち、評価の高いものは俄然気になってくる。という訳で、下記に関しては、どこかのタイミングで読みたいと思えた次第。
橋のない川 1-2
感傷旅行
青春の蹉跌
どくとるマンボウ青春記
自動車絶望工場
兎の眼
桃尻娘
原発ジプシー
悪魔の飽食
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「中古典」に目をつけられるところが、さすが斎藤美奈子さんと思って、それだけで感動する。
いつもどうしてこんなに気持ちいいのだろう。
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どれもなんらかの身に覚えのある(めくった、買った、読んだ、あるいは図書館や書店で見た、一度は手に取った、など)本で、ナルホドーとかフムフムとか思いながら面白く読んだ。
でも浅田彰『構造と力』はたぶん今読んでも、私にはなんにもわからないだろうな、ということがわかった。逆に、これは再読してみようかなと一番思ったのは田辺聖子『感傷旅行』。
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ひと昔前のベストセラーを、名作度、使える度で3段階評価。
つくづく私は、ベストセラーをリアルタイムで読んでいないことと痛感する。
読んだ本はことごとく周回遅れだもんなあ。
『橋のない川』住井すゑ
『江分利満氏の優雅な生活』山口瞳
『白い巨塔』山崎豊子
『天国に一番近い島』森村桂
『赤ずきんちゃん気をつけて』庄司薫
『「甘え」の構造』土居健郎
『日本沈没』小松左京
『兎の目』灰谷健次郎
『知的悪女のすすめ』小池真理子
『窓ぎわのトットちゃん』黒柳徹子
『気くばりのすすめ』鈴木健二
『良いおっぱい 悪いおっぱい』伊藤比呂美
『キッチン』吉本ばなな
48冊のベストセラーの中でこれしか読んでいないうえに、自分からリアルタイムで読んだのは『窓ぎわのトットちゃん』だけかも。
『天国に一番近い島』と『「甘え」の構造』は友達から、『気くばりのすすめ』は父から、『キッチン』は上司から勧められて借りたもの。
片岡義男とか田中康夫なんかはこの先も読まないような気がするけど、ベストセラーにはきっと意味があると思うので、いつか機会があればこの中の未読の本も読むかもしれない。
そんな時に目安となるのが「使える度」
当時は売れても、今の時代には合わない作品もありますから、参考にさせていただきます。
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中古典とはなんぞや?というと、一昔以上前のベストセラーで、古典となる作品候補であるそうな。簡単に言えばブックオフに行けば100円で売られてるようなラインナップである。
書名だけからはとても手に取る気がしないので、このままだと一生中身もわからずじまいだったのが、本書のおかげで「あ、トットちゃんてそんな本だったのか!」と気づくことができたのは良かったです。ただ書名は「すすめ」となってるけど、むしろdisり気味の方が多いかもしれない。たまたま、一つ前に読んだ中年の本棚と同じ紀伊国屋scripta連載コラムでした。
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「中古典」として紹介されている全48冊のうち、はたしてどれだけの本が「古典」として残っていくのだろうか(残念ながら1冊もないような気がする)。
書物という物も、それぞれの時代の空気をしっかり反映しているものなのであろう。しかし、それらの膨大な書物群の中から、「古典」として後世に残っていくものというのは、ほんとうに極めて限られたものしかないのである。
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1960年代から90年代初めまでの「古典未満の中途半端に古いベストセラー」本48冊を評したもの。1980年を境にそれ以前の本は馴染みがないけれど、それ以後の本の書評は内容が分かるだけに笑いながら読んだ。知っている作品は再読してみたいと思う。
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この世のすべての本を1人で読むことはできない。
だから、読むべき本はしっかり選ばないといけない。
とはいえ、有名な古典を読むべし!といわれても、もうすっかり価値のない本だってあるはずだ。そこをしっかり評価してくれる本書は貴重なガイドだ。以前、福田和也氏が書いた「作家の値うち」のような。
著者のいう「中古典」とは、「古典未満の中途半端に古いベストセラー」とのこと。その射程はいかほどだろうか。客観的な価値としての名作度と、主観的な使える度の二つの指標で紹介していく。
未読で気になったのは「橋のない川」「日本沈没」「自動車絶望工場」「スローなブギにしてくれ」「悪魔の飽食」あたりかな。
青春小説をばっさりやってしまう手際も見事だ。「若くして死んだ女を生き残った男が回想する」という日本文学が伝統的に採用してきた物語のパターン(p49)などと。野菊の墓、風立ちぬ、セカチュー、そして「ノルウェイの森」・・・。読まなくていい本が分かるのも、本書の素晴らしいところだ。時間を無駄にせずにすむ。