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2020年28冊目。
短篇集のなかには、一冊の書籍としてのタイトルにしっくりこないものもある。キャッチーさを重視するだけ、あるいは代表作のタイトルを持ってきているだけになっていると、短篇集全体が醸し出す世界観を表現できているか疑問に感じてしまったり、タイトルから抱いた期待と読後感がずれてしまったりする。
その点、この『一人称単数』というタイトルは、僕としてはとてもよかった。最後に同タイトルの書き下ろしが入っているけれど、そこから引っ張ってきただけとは思わなかった。それぞれの短篇のなかに通底するものを、このタイトルが表出させてくれたように感じる。
自分という個は、たしかに一人称単数の存在に過ぎない。けれど、人ひとりの人生は決してその単数のなかだけでは完結しない。
自分の窺い知れぬところで、密かに進行している悲劇がある。そこに一切の責任がないと言えるのか。
自分のあずかり知らぬところで、起こしてしまっているかもしれない負の影響がある。そこに無自覚でよいのか。
自分の理解を超えるところから、理に適わない難が降りかかることがある。そこから逃れることなどできるのか。
そういう単数の領域を越えた概念を、『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』に出てくる社会科教師や、自分が何をしでかしてしまうかわからない恐怖から引きこもる同作のガールフレンドの兄、『クリーム』で主人公に起きる出来事と複数の中心を持つ円のメタファー、そして最後の『一人称短数』で出てくる女性が放つ「恥を知りなさい」の一言が、総合して訴えかけてきた。
各短篇を書いているときの村上春樹さんがそんなことを意識していたのかどうかはわからない(短篇集としてまとまった本書においてさえ、そんな意図があったのかは定かではない)。けれど、最後にあの『一人称単数』という書き下ろし短編を入れ、本自体のタイトルとしたことで、少なくとも僕のなかではそういう読み方が生まれた。この書き下ろしとタイトルがなければその読み方はできなかったかもしれないと思うと、やはり全体としてよいパッケージだと感じた。
そういえば、主人公が村上春樹さん本人ではないかと思わされる作品も、この短篇集には多かった気がする。『ヤクルト・スワローズ詩集』は思いっきり本人だし、そういう面でも「一人称単数」感が際立った一冊だと思った。
特に響いた作品は、『クリーム』『謝肉祭(Carnaval)』『品川猿の告白』『一人称単数』。『クリーム』で起きるシュールな理不尽さは、村上作品の特に好きな世界観に近かった。『謝肉祭(Carnaval)』は内容がちょっとセンシティブにも思えたけれど、筆のノリに「あ〜〜村上作品」と一番感じさせられた。恋心を抱いた相手の名前を盗む品川猿には既視感があると思ったら、『東京奇譚集』に出てきたあの品川猿じゃないか。こういう読者サービスもいいな〜
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細かな描写で、春樹節が冴える。
モチーフは、今までも見たことがあるタイプだが、
洗練度はさすがと言わざるを得ない。
今回も、楽しめました。
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村上春樹は短編の方が良いと思っていて、「神々の子は…」がベストだと思っている(むしろねじまき鳥以降のメガノベルに挫折した口)。本書収録作は短編やエッセイ寄りの作品もあり、品川猿も出てくるとの自分にとってちょうどいい幅感だった。最後の表題作はなかなか意味深?
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いろんな人の、いろんな思考の中に入っていく短編集。読了後にいまいちそれぞれの話の筋とか要点というものを覚えていないような話だが、旅行に行ったような心地よさのある、そんな感じの短編集。
リラックスのために読む本。
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すごく良い訳ではないが、悪くなかった。どの話もタイトル通り筆者自身が主人公で、短編ノンフィクション集といった趣(とはいえ品川猿はさすがにフィクション感が溢れるが)。
最初の2作品(石のまくらに、クリーム)には特徴らしい特徴がなく、読んでいて光るものはない。3作品目(チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ)は羊を巡る冒険のような世界観がありまぁまぁ。
ハッとする良さはないものの読んでいてニヤっとしたり感心したりするのが4,5作品目(ウィズ・ザ・ビートルズ、ヤクルトスワローズ詩集)。
6作品目も悪くないが、「醜い」という言葉があまりに多用されており賛否分かれそう。
読後感含めて最も作者らしいと思えるのは8作品目(一人称単数)。勝手だが外苑前あたりの地下のバーが想起され興味をそそる。
総じて、5つ星を与えるレベルではなかったものの騎士団長殺しのような著しい落胆はなく、気持ち良い読書体験をさせてもらった。
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比較的平坦な私の人生の時間の中でも、何らかのエピソードとエピソードの間の繋ぎとなるような、ただ経過するだけの時間を過ごすのにとても適したエッセイ。ただ文字を読み、飲み込めるサイズになるまで咀嚼して飲み込んだ。記憶に残るような感情の起伏は無いが、美味しく食べたのだと思う、そんな読書感。
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少し前に『猫を捨てる』で初めて村上春樹氏の本を読みました。
池澤夏樹氏の全集のうちの一つに入っていた
『午後の最後の芝生』を読んでなんか気持ちいいなあと
思って、ページ数も少ないので猫を捨てるを
読みました。
そこからちょっと気に入って、この本を読みました。
まだまだ、著者のファンといえるまででは、まったくないのですが。
この本も気にいった本の一つになりました。
どれも不思議な話ですが、全部ありそうで、なんとなく
引っかかる感じ。かっこいい感じもするし、読了感が
気持ちいいいと思いました。
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一見脈絡の無さそうな8つの物語からなる短編集ですが、緩やかに全体を結びつけるキーワードは「記憶」になるのかな、と感じました。
全体的に「渾身の一冊!」といったような重さは無く、いい具合に力が抜けており、村上さんの数多い作品の中で見ると「佳作(=できばえの良い作品)」という言葉本来の意味がぴったり合いそうな、そんな感じの一冊です。
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収録作品
・石のまくらに
・クリーム
・チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
・ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
・『ヤクルト・スワローズ詩集』
・謝肉祭(Carnaval)
・品川猿の告白
・一人称単数
全体的に私小説っぽさがある。
一人称単数を読んでいるときに感じた、不安感、圧迫感が一番よかった。
読みながらずっと心の中にあったのは、なんでわざわざこんな作品を書いたんだろう?ということだった。何というか、それぐらい意義が感じられない作品だった。
実際本当につまらないものもあるし、中にはそこそこ引き込まれるのもあったが、こういうのはもういいんじゃないのかなという感じがしましたね。
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村上春樹の八編の短編集
不思議な本、というのが読み終わっての感想です。
語り手が村上春樹そのものに思えるような書き方のものもあり、フィクションなのか、ノンフィクションなのかわからないような曖昧な印象の短編集でした。
一つ一つがばらばらの短編で、読み切るまでに時間を要しました。
「石のまくらに」☆
「クリーム」☆
「チャーリー・パーカー」☆
「ウィズ・ザ・ビートルズ」☆
「ヤクルトスワローズ詩集」☆☆☆
「謝肉祭」☆☆☆
「品川猿の告白」☆☆☆
「一人称単数」☆
音楽にあまり詳しくなく、人生経験が足りないので、あまり入り込めなかったのかもしれないですが、以前にも村上春樹さんの本を読んで、わからない、となったのを思い出しました。抽象的な考えをするのが苦手なのでこの評価ですが、好きな人は好きなのかもしれません。
「もちろん負けるよりは勝っていた方がずっといい。当たり前の話だ。でも試合の勝ち負けによって、時間の価値や重みが違ってくるわけではない。時間はあくまで同じ時間だ。1分は1分であり、1時間は1時間だ。」
「時間とうまく折り合いをつけ、できるだけ素敵な記憶をあとに残すことーそれが何より重要になる。」
「幸福というのはあくまで相対的なものなのよ。違う?」
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久しぶりに村上春樹の文章読んだ〜。短篇だし読みやすかった。途中村上春樹本人のことが出てきたから、あれ、これエッセイだったっけ?って何度も確認しちゃった。たまに欲しくなるなぁ、この人の文章。それでたまに読んで、なんかスッとした気持ちになる。
ウィズ・ザ・ビートルズが一番好きだったかな〜
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久々の村上春樹、堪能しました!
エッセイのようなテイストを持つ短編小説。
ガールフレンド、猿、ヤクルトスワローズ、自殺、ビートルズ、クラシック…村上春樹のキーワードがいっぱい。
30年近く村上春樹を読んでいるけれど、いつも文体がみずみずしく、衰えない持久力と文章のうまさ、そして何より自分自身を見つめ深い井戸に潜り込み、そこからいろいろな世界とつながって発信される小説に心惹かれる。
作家というのは、自分の今の年齢に合った作品を書くことが多いように思うが、村上春樹は、還暦をとうに超えた今となっても、時に大学生、時に35歳の感性や気持ちを今ここにあるかのように表現できる類稀なる素晴らしい作家だと思う。
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女性の物語への登場のさせ方が村上春樹。あと道具立てが精神分析的なところも。その中で「ヤクルト・スワローズ詩集」はよかった。あと、最後の書き下ろしの一人称単数は次の大きな物語の一部のような気がしたし、また太宰治的なところも感じられ比較的面白かった。
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タイトルの通り一人称「僕」の視点で描かれる8つの短編。
それ自体は村上春樹の小説で珍しいことじゃない。むしろ、メジャーな作品の大部分は「僕」の視点で描かれる一人称のものではないだろうか。
作者の考え・思いが最も直接的原始的に表現される文体。エッセイにも多用されるし、本作のように小説なのかエッセイなのかその中間を浮遊しているような作品にはもってこいの文体だと思う。
不思議に感じつつもスッと懐に入ってきてしまう。
相変わらずとても村上春樹的な作品でした。
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きみの頭はな、むずかしいことを考えるためにある。わからんことをわかるようにするためにある。それがそのまま人生のクリームになるんや。それ以外はな、みんなしょうもないつまらんことばっかりや。白髪の老人はそう言った。秋の終わりの曇った日曜日の午後、神戸の山の上で。ぼくはそのとき小さな赤い花束を手にしていた。そして今でもまだ、何かがあるたびにぼくはその特別な円について、あるいはしょうもないつまらんことについて、そしてまた自分の中にあるはずの特別なクリームについて思いを巡らせ続けているのだ。(p.48)
私のこれまでの人生には――たいていの人の人生がおそらくそうであるように――いくつかの大事な分岐点があった。右と左、どちらにでも行くことができた。そして私はそのたびに右を選んだり、左を選んだりした(一方を選ぶ明白な理由が存在したときもあるが、そんなものは見当たらなかったことの方がむしろ多かったかもしれない。そしてまた常に私自身がその選択を行ってきたわけでもない。向こうが私を選択することだって何度かあった)。そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?(p.226)