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この本の目的は、「自動車を通して世界経済を俯瞰する(p1)」こと。
「世界「新」経済戦争を勝ち抜くのはどの国か(p10)」という小見出しを見て、そうか、これは企業の対決、というよりは、国の戦争なのか、と今更ながら現状把握。
推し進めようとしているけど本当に環境に優しいのかわからない電気自動車や、なぜか颯爽と登場したグレタ氏の話など、
自分の中にあったもやもやを言語化してくれた。
本文はコロナ前に書かれた本だが、今の現状を把握するのに必要な本だと感じた。
それにしても、「「産官学」で戦うしか日本に残された道はない(p245)」とあったが、産官学でまとまろうとしても、日本は難しいんじゃないかな…。
コロナワクチンも作れないし、それらの必要な基盤に国はお金だしてくれなそうだしねえ。
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新技術が登場したときにそれが普及するかどうかを見極めることは難しいということを何度も経験してきました。携帯電話の出始めは、毎月お金がかかり会社での購入には社長決済が必要でした。写真が撮れる携帯電話の場合、出始めた頃は、デジカメに画質が叶うはずもなくおもちゃと思われていました。インターネットの初期は、通話料金も高く電話代が安くなる夜11時にやっていました。ノートパソコンは重くて、とても持ち歩くきになりませんでしたね。
しかしあれから20年も経たないうちに、それらの技術は超速の進歩を遂げて私たちの生活にはなくてはならないものになりました。
現在自動車は全世界で、エンジンを止めて、モータで動く電気自動車に変わろうとしています。少なくともニュースや欧米自動車メーカの発表を見ている限りではこの流れは変わりそうに思えません。
この本は、自動車の覇権争いを見ることで未来がわかる、という川口女子により書かれたものです。ピアノを極めたと思われる経歴から、どうしてこのような本が書けるのか私は彼女の本を読みながら思いますが、専門的な内容をわかりやすく解説されています。
電気自動車時代を迎えようとする日本、今まで通り、日本の自動車メーカはプレゼンスを発揮できるのか、関連業界に勤務する私としては興味深い内容でした。
以下は気になったポイントです。
・これまでの自動車はいわゆる「擦り合わせ」という職人技で出来ていたが、電気自動車はもっと単純に「組み合わせ」でできる。これまでの古今の技術者が情熱をかけてきたのは、エンジンという心臓部だったが、そもそも電気自動車にはその心臓部がない(p4)
・1900年のアメリカ、4192台生産された自動車のうち、蒸気自動車と電気自動車がそれぞれ40%で、20%がガソリン車であり欧州同様にガソリン車は少数派だった、その電気自動車が急速に衰退するのが、1910年、走行距離が短かったことと、ガソリン車の進歩によりエンジン点火が容易になったこと、決定的なのは値段が画期的に下がったこと。1912年には、電気自動車1750ドルに対して、ガソリン車650ドル(p33)
・1950年代のアメリカンドリームの図は半分しか真実ではない、当時のアメリカには常に人種問題が黒い影を落としていた、アメリカ人の豊かな生活は彼らの犠牲の上に成り立っていた(p37)
・アメリカのフォードとGMは日本の自動車市場を席巻し、1924年にはフォード社が設立されて翌年より組み立て生産が始まった、GMも1927年から創業、震災から10年後の1933年(日産の創業、トヨタ自動車部設置)には日本の自動車の保有台数は10万台を越したが、日本の国産車は技術的にも価格的にも完全に競争力を失った(p42)
・日本はGHQの占領下において乗用車を作ることは禁じられ、トラックの製造だけがかろうじて認められた(p47)
・日本もドイツも敗戦国だが、日本の政府はちゃんと存在しポツダム宣言の条項を呑んで降伏した、それに基づき連合国と平和条約を締結、ソ連や韓国とは別途、日ソ共同宣言、日韓基本条約及び日韓請求権協定を結んだ。��かしドイツはヒトラーの遺言でドイツ帝国の大統領に就任したカール元帥は無条件降伏に調印したのちに連合国に逮捕された、平和条約を結ぶ機会も資格も与えられず無政府状態のまま、米英仏ソの連合4カ国に占領された(p81)
・鳴り物入りで始まった、ダイムラー・ベンツ社とクライスラーの合併は不成功に終わり、2007年に解消された。メルセデスはこの失敗でブランドにもかなりの傷をつけた。その後に同社の社名は、ダイムラー・ベンツ社に戻り、さらに、ダイムラー社に変わった。この決定に際して、ベンツの故郷バーデン地方で抵抗があったので、社名をダイムラー社にする代わりに、車のブランド名を「メルセデス・ベンツ」に統一する折り合いをつけた(p85)
・欧州車のディーゼル不正ソフト事件は、フォルクスワーゲンに始まり、アウディ、ポルシェ、ダイムラーも皆、ディーゼル車からの撤退が避けられなくなった、だからと言ってガソリン車に戻ることもできない、ディーゼル車はガソリン車よりもCO2排出量が少ないということで開発されたものだったから(p97)
・2019年1月から、シュトゥットガルトの市内全域で排気ガスレベルの1−4クラスのでイーゼル車が、まさかの走行禁止となった。その他の地域でも、ハンブルクやデュッセルドルフなど、部分的とはいえ、ディーゼル車の走行が禁止される自治体はどんどん増えている(p101)
・2019年9月のフランクフルトの国際モーターショーでは、自動車業界の巨大な地殻変動が起こっていることを明らかにした。前回の2017年比較で、展示面積が突然半分以下となり、各社は電気自動車を前面に出したが、それが盛り上がらなかった。ドイツ自動車業界にとって電気自動車へのシフトは、これまでの長い車作りの業績とプライドが指の間からこぼれ落ちるように失われていく悲哀の道とも言えるから(p116)
・電気自動車は次世代の産業である、そこには再生可能エネルギー、IT、人工知能など様々な先端技術も複合的に関与する、この時勢に乗り遅れないためにどこの政府も伸び悩む電気自動車の背中を巨額な補助金で押そうとしている。しかしドイツにおいて登録されている乗用車における電気自動車のシェアはまだ、0.1%に満たない。中国やノルウェー、スエーデンで電気自動車が急速に伸びたのも補助金のおかげ、それが外れると販売台数は落ちた(p133)
・2009年にサウジアラビアのヤマ二元石油相のコメント、「原油はまだ地下に眠っているし、コストをかけて新技術を使えば採掘できる。時代は技術で変わる。石器時代は石が無くなったから終わったのではない、石器に変わる新しい技術が生まれたから終わった、石油も同じだ」2019年、国際エネルギー機関は、電気自動車への以降に伴い、乗用車の石油利用は2020年代末にはピークを迎えると予測した。オイルまねーで潤っていた国々(中東)の終焉は近い(p138)
・コバルトの使用量はスマホが5-10グラム、タブレットが30グラム、ノートパソコンが100グラムに対して、電気自動車は10キロであり桁違いである。コバルト年間生産量は、十数万トンだが、2030年の需要量は電気自動車のリチウムイオンバッテリーの原料だけでも約30万トンと予測される、現在コバルトを使わない電池の開発が行われている(p149)
・ドイツメーカーが皆、浮き足立つように電気自動車にシフトしているのは、地球温暖化防止というためよりも、まずは中国市場に居残れるかどうか(2019年より電気自動車の生産割り当て制度が始まった、中国での生産台数・輸入台数の10%が電気自動車、2020年には12%)という死活問題に、猛烈な勢いで取り組まざるを得ない結果と考えた方がわかりやすい(p169)
・2019年5月にはFCAとルノーとの合併騒動もあったが破綻して、FCA(フィアット、クライスラー、オートモービルズ)とPSAグループ(プジョー、シトロエン、DS、オペル、ボクスホール)との合併が成立した(p184)
・特に若い人たちの間では、ものを所有することの価値が失われつつある、ファッションレンタル(毎月定額で好きな服を借りれる)、カーシェアリングも同じで、自動車メーカが良い自動車を作り、それをブランド力で売る時代はまもなく終わりを告げるかもしれない、ディーラーさえ不要になる(p213)
・CHAdeMOという電気自動車の急速充電システムの商標名であるが、2010年に電気自動車普及にかかわる業界が一丸となって協議会を作り、世界中にこの充電システムを普及させて取り組んできた。直流の充電方式なので、世界の異なった交流電圧の下でも難なく利用できる特徴がある(p235)ついに2014年、国際標準として承認された(p237)
・2019年の後半、突然ドイツ全土で時速130キロの速度制限を導入しようという声が出た、何度も却下された案件であるが、かなり現実味を帯びてきている。もしドイツが130キロ制限となれば、電気自動車の最大の問題は氷解する、走行距離が短すぎるという文句も自然に消えるだろう、すると、ポルシェやダイムラーBMWを買おうとする人もいなくなる活もしれない、どっちに転んでも自動車メーカにとっては悲しい話である。ドイツの自動車メーカを救えるのは、もうこの時速制限しかないところまで来ている(p244)
2021年8月15日作成
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未来がガソリン車から電気自動車に置き換わるという単純な話ではないことが、本書を読むとよく理解できる。
これについては、よくよく歴史の流れを紐解いて考えれば理解できるはずなのだ。
しかしながら、我々は生まれた時からこの車社会の環境で当たり前のように暮らしていたため、大きな変化が訪れることになかなか気付けない。
それは「地球で普通に暮らしていたら、まさかその地球が動いているなんて気が付かない」ということと似ているかもしれない。
当たり前のことに感じるが、やはり物事の事象は「点」だけで捉えてはいけない。
過去からの歴史を「流れ」として見なければ、本質が見えないのである。
この自動車・石油・エネルギーがどういう流れで今のこの状態に至ったのか?
過去を紐解くと、電気自動車の歴史は、思った以上に古いというのも驚きだ。
ポルシェ社は1900年開催のパリ万博に電気自動車を展示したらしい。
世界で初めて時速100kmを達成したのもガソリン車ではなく電気自動車で、それが19世紀だという。
それではなぜ、この約100年間、電気自動車でなく、ガソリン車やディーゼル車が主流となったのか。
もちろん技術的な優位性があるのも事実だが、それだけでは決してない。
様々な政治や利権が絡み合い、この形式に結実したのが100年間という時間軸だったと言える。
自動車が国家を代表する産業であることに全く異論はない。
日本を含めた先進国が自国で自動車を製造し、国内の物流の足となり、国内経済を活性化させていく。
さらにそこで自動車製造の技術的なノウハウを蓄積し、他国へも販売することで外貨を得ていた。
そこにはガソリンという化石燃料を使用することが前提で、石油国とも、石油会社とも足並みを揃えて世界の市場が開拓されていった。
石油はズバリ、エネルギーの源であり、今でも「電気」の生産には欠かせない材料である。
他にも原子力や水力風力太陽光など様々クリーンなエネルギー製造方法はあるが、現時点でもこの化石燃料に一定以上頼らなければ成り立たないというのが、世界の実情なのである。
この複雑に絡み合ったしがらみの中で、地球温暖化が叫ばれ、電気自動車へのシフトを強引に進めようという人たちがいる。
しかし「CO2削減は必須だ」と声高に主張したとしても、現実的には電気自動車を作るのにも走らせるのにも化石燃料で発電していては身も蓋もない。
EUがガソリン・ディーゼル車の新車を2040年にはゼロにするという宣言も、紐解いて見るとどうも辻褄が合わない点が多過ぎる。
そもそも、充電ステーションの設置が目標の2040年までに間に合うのか。
さらに、電気自動車に最も必要なバッテリー製造はEU内では行っておらず、すべて東南アジアからの輸入に頼っているというリスクをどう見積もるのか。
そしてこれもよく指摘されているが、バッテリーの材料となるコバルトやリチウムなどレアメタルの採掘については、産出国が非常に限られており、供給が確実に追い付かないことも指摘されている。
それら課題点がすでに見えている状況にも関わらず、電気自動車への流れを止めようとはなっていない。
EUの中で、ガソリン・ディーゼル車が基幹産業のドイツ政府すらも「ガソリン車を廃止する」と宣言してしまった。
ドイツ人のアイデンティティとも言えるガソリン自動車を失くすことは、国民の反発を大きく買ってしまい、後戻りができない状況になっている。
そもそもドイツ国民は電気自動車よりもガソリン車を好んでおり、税金から補助金を出そうが何をしようが電気自動車の普及が一向に進んでいないという。
そしてドイツは日本とエネルギー事情が似ており、国内の消費電力を原子力やクリーンエネルギーで賄えず、化石燃料に頼っている状態なのである。
これらの現実を正面から見てみると、電気自動車の普及を促進するのは矛盾だらけということなのだ。
一体誰の利益を考えて、話が進んでいるのだろうか?
電気自動車を進めることで、果たして誰が得をするのだろうか?
そういう部分も様子見ながら、既存の自動車メーカー各社は生き残りを懸け「戦略」という名のカードを切らざるを得ない。
歴史的に見てもドイツと中国は蜜月であると言われるが、ドイツ自動車メーカ―の今の中国依存の状況は大きなリスクを孕んでいる。
さらにそこに、アメリカと中国の対立が絡んでくる。
かつてのアメリカこそ、自動車産業の栄華を誇ったが、今やその影は薄い。
しかしながら、近い未来ではGAFAが開発する自動運転車が一発逆転で世界をひっくり返す可能性が残されている。
すべてがコンピューター化され、ネットワーク化された自動運転車は、それこそ圧倒的にGAFAなどのプラットフォーマーが有利な状況である。
人々の生活自体も大きく変化するが、産業の勢力図も大きく変わることが当然のように予想できるということだ。
アメリカの思惑、中国の動き、さらにEUやその中でのドイツの考えなどで交錯し、事態はより複雑な様相を醸し出している。
著者の言う通り、答えはそんな単純な話ではない。
本当にガソリン車が全く無くなる世界が実現したら、どうなるのだろうか。
これだけでも相当に複雑で先が読めない状態だ。
ドイツ同様に、日本国の基幹産業でもある自動車業界。
もちろん、そのまま外国の意のままに指をくわえて見ている訳にはいかない。
虎視眈々と生き残りを懸けて対策を練っている訳であるが、果たしてどうなるのか。
確かにすべてが電気自動車となり、更にそれらがすべて自動運転化されたとしたら?
生活は一変するはずであるが、それだけでは済まされないことも、我々は心に留める必要がある。
あらゆるデータはプラットフォーム企業に益々牛耳られ、AIなどを駆使して骨の髄まで活用されていく。
もしそのプラットフォームを中国企業が握ったらどうなるだろうか?
プライバシーも何もかも無いに等しいという状況になりながら、あらゆる物事は「便利だ」という名の最適化に向かっていく。
一見ユーザにとって便利に見えても、実はプラットフォーム企業がデータを利活用して益々肥え太っていくだけなのだ。
巨大企業トヨタですら、プラットフォーム企業に対して、モーターで動くおもちゃのような自動車を提供するだけの会社に成り下がってしまうか��しれない。
貧富の差は益々拡大していくことになるだろう。
そしてあらゆるデータは、本当に正しく活用されるのだろうか?
行動や嗜好の情報がすべて他人に握られたら、一体自分の身を守るにはどうすればよいのだろうか。
考えただけでも末恐ろしい未来が待っている。
しかし時計の針は止まることがない。
本当にエネルギー問題がどうなるか次第で様相は大きく変化する。
もちろん資源の採掘権をどう持つかでも変わってくる。
あまりにも変動要素が多いために、未来の予測は難しいだろう。
だからこそ現時点の正確な情報を掴んでおく必要がある。
点で見るのではなく、きちんと歴史の流れで俯瞰して見ること。
そうしないと確実に流れに乗り遅れる。
私個人は自動車産業と全く関係ない業界にいるが、対岸の火事とは到底思えない。
我々の生活そのものが大きく変わることになる。
日本が生き残るために、自分自身が生き残るために。
本書の終章は「この新経済戦争を日本は勝ち抜けるのか?」という切り口だった。
勝ち抜かなければ未来はないし、今はまだ辛うじて勝てそうな分野が残されてる。
最後は「日本頑張れ」で締めくくられているが、心の底から同意する。
何もせず、指をくわえて負ける訳にはいかないのだ。
(2023/7/12水)
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各国の国民性、自動車の捉え方から見える車作りの成り立ち、経済成長や環境の変化に伴う自動車への影響が、時系列を追って解説されている。
日本とドイツはキャッシュレス化がうまく進まない点や、高度なものづくりが繁栄してきた背景に引っ張られ、新しいものに乗り遅れる傾向があるようだ。
今や車は、ドライバーが制御する機械ではなく、自分で考え、動き回る新しい電気機器とかしている。
ドイツは制限速度がない=丈夫、速い、快適、安全がベースになっている。