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大学時代やっていたバンドで深夜の京大の教室でライブをしたことがある。どういう経緯で呼ばれたか思い出せないが、深夜1時か2時かの出演にかかわらず、それなりに沢山の人がいて酒を飲みながらバンドの演奏に合わせ踊っていた。大学の教室の光景としては何とも不思議だが、京大ならばさもありなんと自然と受け入れられた。騒がしい教室を出ると深夜のキャンパスには静かな闇が広がっており、その向こうには京大の底知れぬ自由さが広がっているように感じられた。
同志社大学は今出川通りで京都市大学と繋がっている。私が通っていた90年代、音楽や自治会活動での交流を通じて、同志社にも京大の自由な文化が流れ込んでいた。それは鴨川を越え流れ込む地下水脈のようで、その源流である京大文化には畏怖と憧れを抱いていた。
同じ時代を同志社で過ごした旧知のライター、杉本恭子さんの初の単著「京大的文化辞典 自由とカオスの生態系」は、そんな90年代を中心とした京大文化の様々な事象をまとめたものである。書名からは京大生が起こしたアナーキーなハプニングのトリビア集であるような印象を受けるかもしれないが、本書が描くのは一つ一つの事象の向こうに広がる自由についてである。折田先生像ややぐらとコタツ、自治寮など京大独特の文化を愛情持って紹介しながら、杉本さんはそれらの事象を担保する京大の自由について真摯に考察を進めていく。
旧三高以来、学生と大学当局とがせめぎ合いながらも守ってきた自由は、双方の信頼があって成り立つものである。折田先生像が自然と現れ自然と消えていくように、言語化されずとも学生と大学当局との間に築かれていたはずの信頼関係は、吉田寮やタテカンの問題などで多いに揺らいでいる。もはや京大の自由さはノスタルジーになってきているのかもしれない。しかし本書で紹介される事例のように、京大の自治による自由を経験した人たちが、それぞれの環境で京大流自治で地域を変える試みをしており、そのDNAは全国に引き継がれている。そして京大にそれらの文化の痕跡が残る限り、90年代とは違った新しい自由がまた立ち上がっていくのではないだろうか。変わりゆく京大の自由を憂いながらも、希望を持って書を閉じることができた。
1年半かけ50人もの関係者を取材して作られた労作。当事者の間だけで共有されていたあの時代のことを残してもらえたことに個人的にも感謝したい。
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自由と変人の裏側の思想と行動をいろんな事象からほんの少し垣間見ることができる。自由に「責任」が付きまとうといわれるが、私は自負と覚悟と意地だと学んだのだ。
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折田先生像の由来、意味考察など。
えー知らなかった!みたいなノリで読める、京大カルチャー愛に溢れた本。面白かった。
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自分より少し年下の人が書かれただけあって,頷ける部分も,「そんなんあったっけ??」と首をひねるところも混在するのだが,懐かしい思いがするとともに,「そういう謂われ(伝統)だったのか!」と初めて知ることも多く,とても楽しんで読めた.そういやあ家内が先輩と一緒のバンドで吉田食堂のライブに出てたなあ・・・・ 30年も前なんで忘れてたよ.
尾池元総長の後書きに一番共感を覚えたのは,自分の今の職のせいか?
森見登美彦氏については,不勉強で知らなかったが,今度読んでみようかしらん.
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京大には昔から興味がありまして、大学受験時にチャレンジした大学でもあり(残念ながら、通わせていただけませんでしたが)、また、以前読んで面白かった、東京藝大関連の本に似た雰囲気を持っていそう、と思ったこともあり、読んでみました。
読み終えての率直な感想としては、くどいな、と思いました。
「事典」とあるので、通読するものではないのかもしれませんが、扱っている事象は違えど、各事象の中で書かれている内容や指向性が似通っていることもあり、金太郎あめ的な印象を受けました。
個人的には、「序章」「1章」「森見登美彦のインタビュー」「尾池元総長のあとがき」あたりを読めば(全体の3分の1程度を読めば)、この本のエッセンスは確実に理解できる、と思いました。
ちなみに、京大に関する現時点での最大の関心事は、今年の折田先生像はどうなるのか、です(笑)。