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ダイバーシティ&インクルージョンを進めるために一番超えなくてはいけない壁は、この日本特有の同調圧力だと実感。でもどうやったらここを越えられるのか。
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日本は、「社会」ではなく、「世間」を大切にする、という考えは、腑に落ちる。だから、同調圧力も強くなるということだろう。
佐藤のいう世間のルール、①お返しのルール②身分制のルール③人間平等主義のルール④呪術制のルールという4つの説得力は高い。
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世間の風通しをよくするために諸々の活動をやってるんだよな…と再認識。
少なくとも日本で「世間」が「社会」に変わることはないだろうから、「世間」を自由闊達にできるか、「世間」の風通しをよくするために「社会」を使っていく、まずは「社会」を見つける。
ゆるやかな複数の「世間」に所属する戦略。
いろいろ納得な解説も多い。
韓国でも世間はあるが人格化されていない、具体的な誰かに怒られることは恐るが、日本のように「得体の知れない世間様」を恐れたりしない。
欧米のパーソナルスペースは自分の身の回り76センチメートル以内。恋人のみ入ることを許可される。満員電車の身体接触とかもってのほか。
満員電車での身体接触は我慢できても視線交錯を恐る日本人。
エレベーター内での挨拶は欧米の場合「敵ではない」確認。
言葉への責任、
「社会」に対する言葉…
「好きなことをやってるんだから黙っとけ」
これやったんかもしれへん、肌で感じていたことは。
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内容が悪いとは思わないのですが、ある意味、同じことを繰り返し述べているので、後半になると、飽きてくるかも…。
ちなみに、同調圧力や自粛、忖度、は、英語には対応する言葉がないそうで、そのことからも、これらの言葉が、日本独特といえる、ある種の文化を表しているといえるのだと思います。
対談している二人は、同調圧力について、悪い面ばかりを指摘していて、良い面には、あまり触れていない、というか、良い面をあまり見出せていないようです。
自分自身は、日本は、同調圧力が強いとは思いますが、ある意味、落ちこぼれを作りにくい仕組みとして機能している部分は、意外に大きいのではないかと思っています。
この本を読む少し前に、『感染症の日本史』という本を読んだ際、日本人の国民性は、ずいぶん昔から変わっていない、と思ったのですが、『同調圧力』を読んで、その思いをさらに強くしました。
国民性って、根強い、というか、図太い、というか、無意識レベルで深く国民に染みついているのですね。
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20210128
なんで、定時に帰りにくいのか?ずっともやもやしてたことの答え?がすこしみつかるかもしれない。と期待して読んでいます。
同調圧力。
2021202
読了。
んー。世間の圧力がすごすぎて、気まずくなるのは自分のせいではないってことが書いてあり。
知ることは大事だけど、息苦しさはかわんないなぁ。
風穴を自分で開けるしか無いって、書いてあったけどそれこそ困難を極める風土にわたしたちは住んでるらしい。
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日本社会の息苦しさが何であるのか。
納得することイコール間違いである。と思い読みながら、自分自身にほとんど当てはまる。これが日本人か、、、
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対談本。コロナ下で社会との繋がりを考える。世間……実に日本的で曖昧な単位。空気を読むことは諸刃の剣なんだろう。息苦しい理由に納得。偏った世間のルールに過剰適応すると、視野を狭めて自分の首を絞めかねない怖さがある。
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もっと論文的な分析かと思ったらただの対談
しかもずっと同じ話の繰り返しでした。
その辺のブログの方がもっとまとまっていそう。
だらだら書いていてただ長いし、結論がない。
じ
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感染症のはじまった2020年3月に読んでも、収束しつつある2022年6月に読んでも、合点のいくところが多い。
1、マスクをするかしないかについて、人のとらえる「世間」と「社会」の視点からとらえていて面白い。
2、自分がマスクについて悶々と感じた理由を紐解くことができる。
3、世間ではなく「社会」の成熟について、お二人ともが希望をもって語ってくれるところ、勇気づけられる。
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これまで自分が無意識の内に恐れていたもの(世間)を知るとともに、世間とどのように向き合うかを知ることが出来た。
ただ、この本では世間という日本固有のものを否定的に捉える部分が多く散見された。
つい最近読んだ「島はぼくら」という本からいわゆる島に存在する世間というものの良さ、課題を様々な角度、様々な人によって考えるとことができたたため、一概に世間全てが悪いという印象までは持てなかった。
だからこそ、この本を読んで、世間、同調圧力というものを一概に否定するのではなく、きちんとメカニズムを考えた上で、適切に対応していきたい。
具体的には「ほんの少し賢い個人」として、色んな世間にゆるく所属しながらも、社会と繋がりを持ち、自分肯定感を高め、個人としての意識を高めていきたい。
自己肯定感を高めれば、現在出来ていない身分以外で人を判断する眼力を養うことができ、他人を信頼することに繋がると感じる。
自己肯定感の低さは他人(世間)に迷惑をかけちゃいけないと教えられてきたことが原因だと考える。その弊害として、他人の迷惑にも敏感になることが挙げられて、より一層、人(社会)を信頼できないのではないか感じる。
何かの記事でインド人は「あなたは、何をやっても他人に迷惑をかけるんだから、その分他人が迷惑をかけたら助けてあげなさい」という教育をするという話を見たが、まさに今の日本人が見習う考えだと思う。
私自身も、今後社会人になる身として、一年目はわからないことだらけで、大いに迷惑をかけることがたくさんあると思うが、迷惑にならないようにではなく、思いきり迷惑をかけようと思う。
おそらく、迷惑をかけないようという行動を取ることがより迷惑をかけることにつながると思う。そして、自分が上司になった時に、これまで迷惑をかけた分、部下に思い切りサポートしたい。
日本が世間に縋り付く要因は多神教(アニミズム)という世界から見ると稀な状況という背景にも納得感があった。ただし、本書でもあった世界にも無宗教という若者が増えてきているため、神以外にすがる手法が世界各地で現れるのではないかと感じた。そうした手法が悪い方向ではなく、日本の世間を緩和するような良い方向のものであればと考える。
本書の内容とは関係ないが、本書の中で日本独自の言葉というものが多々あった。こうした日本独自の言葉は日本の文化や、特徴を如実に表すと感じたため、他にどのような日本独自の言葉があるのか気になった。また、言葉の訳し方として、英語と日本語とのニュアンスの違いからもその国の背景を考えるという手法は今までにない新しい発想だった。
同調圧力:「みんな同じに」という命令 その時の一番強い集団に同調する
世間:「所与性」と呼ばれる「今の状態を続ける」、「変化を嫌う」という特徴
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同調圧力、世間、日本、日本人。
本書で熱く語られるよりも、インディペンデントな日本人も増えている実感があり、それほど共感出来ず。自分が同調圧力に屈しているということか?
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「法のルール」より「世間のルール」の方が優先される。忖度。自己責任、自粛警察など。これらが説明できる。
コロナでますますそれが顕著になってきている。息苦しい理由がわかった気がする。
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鴻上さんなので買いました。対談相手の佐藤直樹先生は九工大名誉教授で、元々は刑事法が専門らしいんですが、加害者家族バッシング等を出発点として「日本世間学会」なるものを立ち上げた方だそうです。鴻上さんは随分前に「空気と世間」という本を書いていて、そのつながりでの対談となったようです。対談は2020年5月に行われていて、COVID-19の感染拡大が世間に与えた影響について考察しています。
ホームレスの人が避難所に入れてもらえなかった事件を覚えている方もいると思うのですが、あれは対応した行政職員が、社会よりも世間を優先した典型的な構図だとしています。合理的に考えれば入れるのが正しいが、住民から文句言われるのが嫌だから、という判断です。そもそも江戸時代には社会も個人も、言葉として日本語にはなかったようで、明治維新以降「Society」「Individual」を翻訳してできた言葉だそうです。ヨーロッパは神との対話において個が形成されるが、日本にはそれがないので世間の空気が神になっちゃっているようです。
若者の自己肯定感が低いのも、同調圧力の中で傷つきたくないから、悪目立ちしないようにするから、という構造だと書かれています。日本には強い「個」は、最後まで成立しなかったようです。
そんな日本で息苦しくなく生きていくためには「世間・間・存在」として生きるのがよいと説いています。日本に生きている以上、日本人として育ってしまった以上、世間から社会へ住む場所を変えるのは難しいです。なので、たくさんの世間を渡り歩くことで自由闊達になるのが重要、とのことでした。
あと、言語で思考するんですが、日本語という言語自体が世間語(一人称・二人称だけで無数にある)なので、英語のように「ただの個」同士がやり取りする言語(IとYOUしかない)で思考することもいいと思います。
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著者2人の対談によるもの。新型コロナウイルスの蔓延による騒動を踏まえて話したものが、昨年夏に出版されているわけだからだいぶ短い期間でつくられたんだろう。だから対談なんだろうし、たとえば文字の起こし方とか随所に突貫的なところが感じられる。言い換えれば、著者2人にとってはそのくらいコロナを受けた学校の休校とか、緊急事態宣言とからめた自粛要請、自粛要請と絡めた自粛警察の対応といった一連の国内社会……もとい世間の動きが気になったということだろう。
話の筋としては2カ月ほど前に読んだ佐藤氏の『加害者家族バッシング―世間学から考える―』と同じなだけに、そのお説にお目にかかるのが二度目だからか特に佐藤氏のお話のほうで、何でもかんでも元凶を日本世間のあり方に寄せすぎな気も。とはいえ、おおむね大いに(圧力なしに)同調できる内容。
社会と世間の違いとして、「社会変革」といったことばに耳なじみがあるように、社会は変革できるものであるのに対し、「世間変革」といわないように世間は所与で変革も何もできない(p.145)というのに納得。つけ加えれば、世間が変革できないというのは実態というか、態にあたるものがない、つまりまさに「空気」のように蔓延・充満しているようなイメージ。対すれば、社会だって有形なわけじゃないけど、何らか態があるような感じがするもんね。
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日本社会には「社会」というものはなく、過剰に忖度し自主規制するシステムである「世間」しか存在しない。キリスト教という一神教(→イスラム教も一神教である)が社会の下地にあり、「個人」というものが確立している欧米社会では「社会」が存在するが、「個人」というものを認めず「世間」というものが同調圧力によって人々を支配する日本社会には欧米社会でいうところの「社会」が存在しない。
本書は日本社会(←世の中という意味での社会)において新型コロナ下でさらなる息苦しさを感じている全ての人々に知見を与える内容の一冊です。
本書の記載内容にも関連しますが、先日一年間延期された東京五輪が何とか開催され、日本人選手から感動や勇気をたくさんもらいました。各種メダルをとった選手がインタビューで「みなさん(世間の?)のおかけで勝つことができました。」とか「まずはこのような状況下で東京五輪を開催できたことを皆さま(世間の?)に感謝申し上げます。」というフレーズを次々と述べていましたが、これこそ本書がいう日本社会における「世間」というシステムを如実にあらわした出来事だったかと思います。本書は「世間」というものの悪い面だけではなく良い面も触れていますが、「世間」・「同調圧力」の好き嫌いは別として私たちはそのような「世間」に生きているということを知る上で読んで損はないというお勧めの一冊です。