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「療養型病院に行くには症状が軽く、介護施設に行くには重いという中途半端な状態」に代表押されるように、制度やらサービスの隙間に落ちている様々な問題がよくわかる。
時折吐かれる“毒”も含めて、臨場感あふれる一冊だ。「一人の人間が去った後に残るものは、ガラクタばかり」とは、まさに自分の持ち物だ。倒れたご主人と同じような不摂生の生活をしているので、少し改めようと思った次第。
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介護や看護が必要な、似たような状況にある人にとても勉強になる本だと思う。文章や表現がうまくて、おっしゃる通り!と思うところがたくさんあった。
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いつか来るかもしれない未来の為に読んでみた。
ずっと元気で過ごしてきたはずなのに、一瞬で人生が一変してしまう。
著者が犬の散歩に行ってる間に、さっきまで普通だったご主人が帰ったら倒れていた。
そのまま集中治療室。脳内出血で脳ヘルニア。そしてほぼ植物状態・・・
2018年の9月から細かく書かれている。
うちももう若くは無いので、特に主人の家系は脳梗塞オンパレード。
本人も健康面は気を付けてても、こればっかりはわからない。
うじうじ考えてても仕方がないから日々頑張ろう。
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夫が倒れた、そして意志疎通は難しい
介護のリアルを正直に、自分の言葉で発言し書いておられます
お元気で書き続けて欲しいです
又読みます 「私だけじゃない」
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終わりの見えない介護
母親も義母の介護をしていましたが、どこか他人事のように見ていました。
介護をする側の意見を見れて、よかったです。
3点印象的でした。
①ちょうどいい心配はない
→自分が出来る限りの心配をしたい
その中で、評価、同調、アドバイスは控えようと思います
(例:あなた頑張っていますね)
②お見舞いを接待にしない勇気
→気を使うことも大切だが、自分自身を一番に
③愛の形は変わっていい
→今までと同じようには過ごせない
→今できる形で、愛することが大切
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夫が倒れたとき、私はどうするだろう?
どうしたいかというよりも、どうすべきか、選んだ手段が、妻や嫁として親戚や世間からどう見られるのか、そういう視点から逃れることはできないように思う。
この本を読んで思ったこと。
まずは自分達の生活を第一の支柱としてよい。
金銭的な面から、施設や治療を選択してよい。
1人で抱えずプロを頼ってよい。
ただし子供に介護の責任を負わせない。
口を出すなら手やお金を出す。
そして、全ての選択に、後ろめたさを感じない!
読後に著者を検索したら写真が出てきて、いい意味で想像と違った。
チャキチャキして、大きな口を開けて笑い出しそうな写真だった。笑顔でよかった。
もちろん笑顔になれない時間もたくさんあり、これからもあるだろうけど、お元気で!
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著者の正直さに感動。
熱心に毎日病院に通って介護「後悔しないように全力をつくす」しながら、一方で「時間になったらとっとと家に帰りたい」。
そうだよね。わかります。
現在 96才要介護5の姑、90才要介護1の実母、実子のいない94才と88才の叔父叔母に囲まれて、介護はある程度わかっているつもりだった私。
この本を読んで、介護が実は自分自身にヒタヒタと迫って来ていたコトに気がついた。
面倒をみている親たちがいることで、自分や配偶者にはまだまだ先の話だと思っていたけれど、作者のようにある日突然「その日」は来るかもしれない。
その日に備えて何も対策していなかった事に気付かせてもらった。
頭がハッキリしている時間は意外と少ない。
人生100年なんて悠長なことは言っていられない。
しかしながら、この著者が被介護者になった時はちょっとウルサイ人になりそう。(笑)
介護のテクに精通してるから。
あ、ワタシもです。ごめんなさい。
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本の雑誌年間ベスト企画から、だったか。なるほど、身につまされる内容。ためを思って発した言葉が、結果、あるべき姿を強要する側面を持つってのは、身も蓋もないけど、事実。だったら何も言わずほっといてくれた方がいい、というのも納得。そのあたりの塩梅、難しいですわな~。そしてここでも、重要なのはエンパシー能力の発動だったりする。