投稿元:
レビューを見る
タイトルだけ読むと、コロナ感染防止のためソーシャルディスタンスと言っている人たちを批判する内容なのかと思ったが、全く違う。ちょっと誤解されやすいタイトルだな、と思ったのだが、読んでみると著者の、このタイトルへの思いが伝わってきていいタイトルだと思うようになった。
幼いころから弱視であった著者の広瀬さんは、13歳のとき全盲となり、中高を盲学校で過ごす。点字の入試で京都大学に入り、イタコや新宗教の研究をする。(新宗教は文字を媒介としない口伝、教典の暗唱が多い。)
その後博物館に就職し「さわる展示」ユニバーサルミュージアムの普及に取り組む。
順風満帆のようだが、日本史が好きで専門を決めたものの、古文書が読めない、たとえ点訳・音訳があっても漢文がどこまでわかるのかと途方に暮れたり、三療(按摩・鍼・灸)以外の職業の選択肢は相変わらず少ないなど、大変な道のりであったことが察せられる。
「さわる展示」と聞くと、目の不自由な人のためのものだと、私のような浅はかな人間はつい思ってしまうが、そうではない。触覚だけでなく、聴覚、嗅覚も使って展示を経験する。視覚に頼りがちな「健常者」に視覚以外の感覚世界の豊かさを感じさせるものである。
「障害/健常」の二項対立を乗り越えるのが目的で、多数派(健常者)の論理にインパクトを与えるものだという。面白そう。
「触文化」「見常者」などの語句も、なるほど、と思う。視覚に頼らない世界がいかに芳醇なものであるか、この本を読むとなんとなく感じることができる。
広瀬さんは、苦労話もユーモラスに描き、エネルギッシュで前向き。読んでいるうちに元気で前向きになれた。障害者とは、健常者とは何なのか、という話も非常に興味深かった。
投稿元:
レビューを見る
新型肺炎の流行により、さわるという行為は濃厚接触とされ、さわる文化の衰退が加速した。視覚障害者にとって濃厚接触は当たり前の世界である。また視覚障害者でなくとも、さわることによって、新たな発見がありうる。特に国立民族学博物館にある展示品はさわることによって気づきが得られる展示品も多い。本書は濃厚接触にあたる、さわるという行為について考察した図書。とはいえ、文章は読みやすく楽しい。
さわる行為についての考察以外には、残念ながら感染症で中止となった企画展で選定されたさわれる展示品の紹介、そしてユニバーサルミュージアムについての今後の展望が語られる。さわる博物館であれば、視覚障害者等関係なく博物館を楽しめる。「見る」という視覚以外の博物館の楽しみがあることを知った。体験してみたい。
投稿元:
レビューを見る
いま(2022/01/30)、濃厚接触者の隔離期間が
最終接触日を0日として7日間の外出自粛、健康観察が必要
となった。
そんな時に手にしたのが、この本
『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!: 世界の感触を取り戻すために』
「コロナ禍の今、なんて、挑戦的なタイトル」
「“濃厚接触を続ける”ってイミシン!炎上狙いか?」
と思ったのは、僕だけかもしれない(´∩ω∩`)
この本の内容はものすごく真面目。
この本では、触ることの文化的な意味、意義。
ミュージアムは、視覚重視で、距離を持つことでの存在であることに対して、
触れたり、持ったり、嗅いだりする、五感を総動員するようなミュージアム『さわって楽しむ博物館』の発想に
どうして至ったのかを書きしるし、実践段階の話を進めている。