紙の本
全てを込める
2017/09/21 14:06
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
短くも鮮烈な人生が、残された詩から伝わってきました。今の時代の多くの文学者に影響を与えていることを感じました。
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これは数多くの訳者が手がけているが、やはり定番といえば小林秀雄の訳でしょう。ある意味日本人は、訳詩というオリジナルとは違った文学を味わっているのだと感じる。
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誰が何と言おうと、たとえ誤訳が発見されようと、現代口語の方がランボオにはふさわしかろうとも、何が何でも『地獄の季節』と言えば小林秀雄サマの訳でなければ私は至上の崇拝を捧げない。この世界で最も色気のある文章を挙げよと言われれば確実に絶対に3本の指に入る、美しく絶望的に情熱的で感情と論理が殺めあう凄艶な日本語。愛シテマス、ドウカオ嫁サンニシテクダサイ。と、どんな処女だろうが下着をおろすんじゃないかしらん。
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「気狂いピエロ」で引用されていたので読んでみた。意味はよくわかんないけど心に直接叫びかけてくる。
「叫びだ、太鼓だ、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。
白人等は上陸し、俺は何処ともしれず堕ちて行く
いつの事か、それすら俺には解らない。
飢え、渇き、叫び、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス。」
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こころの本。
この本を読むと、いろいろと考えることがあります。
薄い本。でも、中身は非常に濃い本。電車の中では読めません。少なくてもわたしには。
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初めて読んだランボーの詩がこれで、かなり衝撃を受けた。あまりにもインパクトが強すぎて、『地獄の季節』での一人称は、「俺」以外だと違和感を感じるくらい。誤訳も多いと聞くが、私はこの訳詩が一番好き。
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小林秀雄訳。現在進行形で苦戦中の本です。おそろしいことに、苦戦が終わる日は永遠に来ないかもしれません。ランボオは18歳でこれを書き、原稿のほとんどを自宅の暖炉で燃やした挙句、あっさりと詩そのものを捨てました。
言葉の錬金術。眩暈をも定着する狂気。
Elle est retrouvée.
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.
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自分には詩を楽しむという能力がないことを知った本。
100年位フランス語を猛勉強する機会に恵まれたら、原著にトライしてみようと思います。
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何だか息が詰まります。
退廃的で美的。
首を傾げてるんだけど、綺麗さは分かってる。そんな読後感。
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今の段階では全読していない。昔、教科書にのっていて忘れられなかった詩が入っているので買ってみた。訳者は違うが。
また見つかった、
何が、永遠が、
海と溶け合う太陽が。
頷いた。
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読んでいる私がこのなかの「俺」になってしまいそうな錯覚を覚えて気味が悪かったんだけれどもそんなことは思い違いであってただとても面白かっただけなんです
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薄くて安くて貧乏人に嬉しい
下準備に『ランボオの手紙』をオヌヌメします
難解だけど何故か繰り返し読んでしまう作品です
色んな訳を読み比べると面白いかも
原文読めるのが一番なんだろうけど
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この激しさで以って魂をぶつけた詩作をこの後一切捨ててしまった、
彼の絶望はいかばかりだったのかと思います。
しかし詩作に熱中しているときの、
天才的な勘でする言葉遊びを楽しむ子供のようなランボーを想像するのは和みます。
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インテリチックで美の感性にあふれている
悪徳まみれを装いすぎてる感もある
マッチョイズムにたいしてある種の恐れと憧れを抱いているかもしれない
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(2004.05.06読了)(2003.03.28購入)
「新・考えるヒント」のための第2弾、ランボオ。Jean-Nicolas-Arthur Rimbaud通常、アルチュール・ランボーと呼んでいるけど、フランス語の読みは難しい。
中原中也の詩は一度ではなかなかわからず、読み直すと少しは、心に響くものもあったけど、ランボオはさらに一段と心に響きにくい。難儀なことだ。家の神さんは詩に対する、音楽に対する、感性がなかなか優れているけれど、僕はなかなか大変だ。
著者 ランボオ
1854年10月20日 アルデーヌのシャルルヴィルで生まれる(フランス)
1870年 「酩酊船」
1873年 「地獄の季節」執筆 「飾画」もこの頃
1873年7月10日 ヴェルレーヌによるピストル事件
1874年 ロンドンでフランス語の教師
1875年 ストッツガルトで家庭教師
1876年 オランダ植民地志願兵としてジャヴァ滞在
1877年 サーカス団の通訳としてスウェーデン、デンマークを巡回。
マルセーユで荷揚人足。
1878年 キプロス島の石切り場の監督
1880年 紅海の入り口のアデンとアビシニアのハラルを根拠地として商業取引。
(アデンは、イエメンの都市。アビシニアは、エチオピアのこと)
1891年2月 ハラルで滑液膜炎にかかる
1891年5月 マルセーユへ
1891年11月10日 死亡 37歳
ランボオが生まれた1854年は、ペリーが再度やってきて日米和親条約が調印された年である。1868年が明治元年。1877年西南戦争。ランボオが作品を執筆していた1870年から1875年ごろは、日本では明治が始まったばかりの頃ということになる。
ランボオの作品は中原中也も翻訳しているし、小林秀雄も訳している。感受性ゆたかな人々に訴えるもののある作品なのだろうと思う。
感受性の鈍い僕にはなかなか難儀なことである。インターネットで、ランボーを検索してみたら、ランボーの詩は、青春時代の書きなぐりだというような説もあった。16歳から20歳ぐらいまでの時期で作品の製作は終わっている。
「地獄の季節」の冒頭の作品には「俺の生活は宴であった」「俺は『美』をひざの上に座らせた。苦々しいやつだと思った。」「俺はとうとう人間の望みという望みを、俺の精神の裡に、悶絶させてしまったのだ。」というような文章がある。青春の傲慢とでもいうものであろうか?文章の才能を感じさせるものでもあろう。
「一番高い塔の歌」には、次のような一説がある。
時よ、来い、
ああ、陶酔の時よ、来い。
青春の謳歌であろうか?高らかにうたう。
「飢」という詩は次のように始まる。
俺に食いけがあるならば
まず石くれか土くれか。
毎朝、俺が食うものは
空気に岩に炭に鉄。
実に自虐的だ。これも青春特有の空元気か。
何度も眺めていれば面白いものも見つかるようだ。