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注!
ネタバレ設定にしていませんが、ある程度、話の流れに触れています。
それは、それがわかっても、この話の面白さが削がれることはないと思うからです。
ただ、全く予備知識なしでこの小説を楽しみたいと思う方は以下は読まない方がいいです。
これは絶品(^^ゞ
たぶん、舞台設定を1920年代のニューヨークとしたことがよかったんだと思う。
現代が舞台だったら、孤児院でシスターたちの形式ばった価値観に育てられた主人公ローズの性格や考え方が(現代の人からすると)エキセントリックになっちゃって。
読んでいる方は、主人公から一歩距離を置いちゃうように思うのだ。
というのは、読んでいると、ミョーに『グロテスク(桐野夏生)』の和恵を思い出しちゃうのよ(^^;
孤児院のシスターたちに仕付けられたお行儀の良い形式ばった価値観で周りの人たちを裁断していく主人公ローズのミョーに上から目線な独り語り。
その、「正しいのはわたし」的な普通の人の感覚とのビミョーなズレが、和恵を思い起こさせるんだと思う。
さらに言えば、華麗な暮らしをしているオダリーに向けるローズの目は、和恵のQ高のステータスを全肯定する姿勢とダブる。
もっとも、ローズは和恵ほどは捻くれてはいない。
タイピストをしている職場である警察署の人たちからは重宝され、可愛がられているし。
下宿先の人たちからだって、(和恵のように)からかいの対象になっているわけではない。
というか、そもそも、それがテーマになっている話ではない。
厭なことや人をこれでもかこれでもかと書き連ね、読者にあった嫌なことを思い起こさせることで、読者の思いに著者が共感していると錯覚させる、昨今ありがちな小説じゃない。
そこがいいんだろう。
不必要に心をかき乱されることなく、一歩引いた立ち位置で物語の世界に入り込めるのだ。
物語の構造は単純。
そういう意味では、すごく古典的な物語だ。
“もう一人のタイピスト”であるオダリーが主人公ローズに「自分が住んでいるホテルで一緒に暮らそう」という、本来ならあり得ない申し出をすることで話が進み出すのだが、読んでいる人はその時点でこれがどういう話かわかると思う。
よって、あちこちに伏線があって、話が進むにつれてそれが次から次へと回収され、最後にどんでん返しがある…、みたいなことはない。
あくまで、読者はローズがオダリーに騙されていることを感じつつ、素敵な先輩(仕事場では後輩)が垢抜けない後輩(仕事場では先輩)に、手取り足取り都会の楽しくも、ちょっとキケンな楽しいアソビを教えていく日々を楽しむのだが……。
そういう小説だ。
というのも、オダリーがやけにローズに優しいのだ。
ゆえに読んでいて、嫌な気持ちにならない。
ていうか。結末を考えるならば、オダリーがローズをあそこまで可愛がったのかがわからないし(ローズに、それだけ可愛気があったということ?)。
さらに言えば、オダリーがオールマイティーすぎる。
そういう意味でも、これは本当に古典的(^^ゞ
ただ、繰り返すようだが、その古典的さがこの小説の魅力なんだと思う。
著者は、謝辞で、“わたしの十代の頃の初恋に自分なりのささやかな敬意を払いたくて、この本に1、2ヶ所、意図して作った場面があるとお伝えしておきます。その初恋とは、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』です”と書いているのだが。
本当にそういう小説だと思う。
なんて言うか、現実から離れて、この世の憂さを忘れられる……
最初に、これは絶品と書いたのは、それなのかもしれない(^^ゞ
ていうか、これ。
こんなに面白いのに、ブクログで感想を書いている人がハードカバー版の『もうひとりのタイピスト』で6人。文庫版で2人って、すっごーーーくもったいない気がする。
今風のいたれりつくれり小説じゃないから、ま、“映え”ない小説なんだろうなぁーとは思う。
でも、こういう世知辛い世の中だからこそ、現実から離れ、お話の世界に没頭出来るという意味で、もっと読まれていい小説だと思うんだけどなぁ…。